●お茶に纏わる話
私事に成増が…。
実は未だ人生に於いて「ペットボトルのお茶」というものを買った事がありません。
別に高尚なポリシーなぞ有る訳ぢゃありません。理由は単に、
「お茶はお湯沸かして入れるもん」と云う習慣が定着している事が壱つ。
それと、「お茶をお金出して買うんは勿体無い」と云う貧乏性がも壱つです。
其れは扨置、昨今のペットボトルお茶市場はスゴイ事になっているらしく、ミヤコ茶輔ものは特に人気が高いそうです。
「伊右衛門(福寿園.サントリー)」「お~いお茶 濃い宇治茶(伊藤園.※期間限定)」に引き続き、七月には辻利さん(JT)が参入。そのうちに更なる新規参入があるかもしれません。
で、先週の京都新聞にて「ペットボトルのお茶に纏わる」面白いコラムが掲載されていたので下挙ておきます。
因みに本日の記事打ち込みは、「雁金焙茶.光悦」を啜りつつ、「塩野」羊羹を食しながら、でした。
ペットボトルのお茶 日本文化のDNAを継承し成功
いつの間にか、会議で準備される飲み物といえば、ペッボトルのお茶になった。テレビのニュースで流される政府の会議でも用意されるの、やはりペットボトル。
よく考えると、日本人がぺットボトルからお茶を飲むのは、不思議な光景だ。茶葉を急須に入れて、熱いお湯を注ぎ、湯呑茶わんで飲むのが伝統だ。そんな伝統的な飲料を現代的なパッケージに入れ、何の違和感もなく日本人は飲んでいる。ここでも広告メディアが果たした役割は大きい。
ペットボトルは、ゴミ問題の高まりから、飲料業界が自主規制し、五百ml以下の小型商品を発売しなかった。一九九六年に、自主規制が解徐され、多種多様な商品が発売されるようになった。実は、ペットボトル入リ飲料は十一年の歴史しかなく、猛烈なスピードで普及したのだ。
ちなみに、ペットボトル入り緑茶より早く、缶入り緑茶が一九八五年に世界で初めて登場した。出したのは伊藤園。八九年には、「お~いお茶」をブランド名とし、ペットボトルの販売も始まリ大成功した。続いて、大ヒットしたのが、二〇〇〇年に発売されたキリンの「生茶」で、松嶋菜々子のCMも人気を呼んだ。「お~いお茶」と比較するとお茶が「生」になり、より味わいや性格が具体的になった。そして注目すべきは、サントリーが発売した「伊右衛門」だ。京都で一七九〇年創業の老舗・福寿園の当主名がブランドネームになった。より深く、より古く、日本の茶文化を強調するようになったわけだ。
テレビCMでは、本木雅弘が演ずる「伊右衛門」を、宮沢りえが演じる母性的な妻が支える。この構図は単なる思いつきではない。商晶開発する際、市場調査によって、ペットボトル入リ緑茶に対する生活者の深層価値が「大人のほにゅう瓶」であると突き止めていた。緑茶の入ったペットボトルは、成果主義やリストラでギスギスするビジネスマンにくつろぎと癒やしを与えると考えた。つまり、お母さんからもらった「大人のほにゅう瓶」だった。
さらに企業は工夫を凝らした。「伊右衛門」は、伝統的な高品質のおいしいお茶のイメージをPRしようと、竹筒型の容器を独自開発した。旅や行楽に竹筒のお茶を携帯するのは、日本の伝統文化だ。さまざまなかたちで、日本文化のDNAを継承しだのが成功の秘密だったと思う。
振り返ってみると缶入り緑茶が発売されていた当時、緑茶の消費量が低迷していた。それが、ペットボトルの登場でどこでも目にするようになった。ペットボトルのお茶は、新しい茶文化の展開を促し、日常飲料としての緑茶の復活を果たした。業界にとって、まさに救世主だったのだろう。
しかし、茶文化の将来を考える上で、手放しで喜べない。急須で入れる茶文化の衰退は、いまだに食い止められていない。成功した広告を読み解く限リ、古い文化か新しい文化に置き換わったわけではない。あくまで伝統の上に、新しい商品が支えられているのだ。
(青木貞茂 同志社大教授)