2008.05.31
2008.05.30
●「ザ・リバー・オリエンタル」改め
約十ヶ月の休業期間を経て旧「旅館鮒鶴」さんがリニューアル、本日営業再開の運びとなりました。
耐震構造問題→休業→訴訟→勝訴→プラン.ドゥ.シー撤退→店子不在…。
一年程の間に紆余曲折有りましたが、取敢えずドタバタ騒ぎも一段落の様子です。
因みに施設新名称は「FUNATURU KYOTO KAMOGAWA RESORT」。
「鴨川」だけに新たな「船出」と云った所処でしょうか(お後宜しく…)。
先週20日には先行してレセプションも行われたらしいのですが、伺った知人に由ると「そんなむちゃくちゃかわってへんだぇー」との事、ですた。
関連過去ログは下記にて(結構有るもんです…)。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_b200.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/10/post_f1a7.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/07/post_17f6.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/07/post_9910.html
「FUNATURU KYOTO KAMOGAWA RESORT」HPはコチラ。↓
http://funatsuru.com/
楼閣風建物、再オープン
鴨川沿いの「鮒鶴」、結婚式場に
レストラン兼結婚式場「ザ・リバー・オリエンタル」が「耐震構造上の不安」を理由に撤退し、空き家状態になっていた鴨川沿いの老舗料理旅館「鮒鶴」(京都市下京区)が30日夕、ブライダル事業などを手がける大阪市の会社の運営で再オープンする。
建物の耐震構造をめぐり、鮒鶴とザ・リバー・オリエンタルの運営会社(東京都)との間で訴訟に発展していたが、昨年9月の京都地裁判決は「通常時の使用は構造上安全」と認め、鮒鶴側が勝訴した。鮒鶴は今年1月から4月にかけて耐震改修工事を行い、別会社による再オープンにこぎ着けた。
鮒鶴は「京都らしい景観を生かし、より安全性を高めるために工事を実施した。今後も多くの人にかわいがってもらいたい」と再出発を喜ぶ。
新たにオープンする結婚式場は「FUNATSURU KYOTO KAMOGAWA RESORT」。夜間はレストラン営業も行う。
(文.写真共 京都新聞5/30より)
2008.05.29
●「だんだん」進行中
今秋九月から放送開始となるNHK連続テレビ小説「だんだん」。
物語の中核となる祇園ロケも順調に進んでいる様です。
ミヤコが主要舞台となる朝ドラは2000年下期の「オードリー」以来、八年振り。
粗筋を見る限り、ヤスナリ翁の「古都」っぽくも。
詳細は同局HP「放送前情報」を参照の事。↓
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_dandan.html
祇園ロケ よろしゅうに
NHK朝ドラ
9月放送開始のNHK連続テレビ小説「だんだん」のロケが28日、京都市東山区の祇園界わいで始まった。祇園が舞台のドラマで、京舞井上流家元の井上八千代さんをはじめ祇園甲部歌舞会などが全面協力する。
「だんだん」は、生き別れになった双子の姉妹(三倉茉(ま)奈さん、佳奈さん)が島根県と祇園で別々に成長し、再会する物語。
この日は白川南通で、京舞に打ち込む舞妓・夢花役の佳奈さんらが撮影に臨んだ。双子の母役で芸妓という設定の石田ひかりさんと佳奈さんには、井上さんが徹底指導。祇園甲部歌舞会やお茶屋も撮影に協力し、6月末から撮る「都をどり」のシーンでは歌舞練場と衣装を提供する。
ドラマの撮影で祇園甲部歌舞会が全面協力するのは極めて異例で、「偽りのない祇園の姿が全国に伝われば」と期待している。NHKは「祇園は厳しさと温かさが同居しているまち。本当の姿をドラマ化したい」と話している。
(文.写真共 京都新聞5/29より)
2008.05.28
●「蛍如す」
疎水辺りから、早や源平宵絵の便りが届きました。
祇園巽橋の白川蛍もそろそろでしょうか。
百五十万都市の町中で蛍狩りが出来るのはミヤコならでは。
因みに表題は「ほのか」に掛かる枕詞にて。
ホタルふわり、光のダンス
左京・琵琶湖疏水
京都市左京区北白川の琵琶湖疏水(そすい)分線で、ホタルの淡い光が初夏を彩っている。ふわりふわりとした黄色い光跡が水面に描かれ、幻想的な光景を浮かび上がらせている。
27日夜も疏水分線沿いに数10匹のホタルが飛び交った。近所の親子やカップルが次々と訪れ「うわー光ってる」「かわいい」と喜びながら、ホタルの動きを眺めた。
美化活動やホタルの保護に取り組む地元の「白川源流と疏水を美しくする会」によると、今年は昨年より3日早い5月15日に飛び始めた。6月初めごろまで見られるといい、会は「マナーを守って楽しんでほしい」と呼びかけている。
(文.写真共 京都新聞5/28より)
2008.05.27
2008.05.25
●来月の定休日【水無月】 補足
毎年の事ですが、六月は「祝無月」。祝休日と云うものが有りません。
従いまして、毎年六月は勝手に「祝日」を設ける事にしています。
と云う訳で「来月の定休日.補足」にて。
ズル休みの日、確定しました。
御留意の程、宜しくお願い致します。
2008.05.24
●「赤坂をどり」跋記
昨日、組合さんより一包の荷物が届きました。
中身は手拭と番組表。
早いものであれからもう半月が過ぎたものです。
丁度明日はBS‐iにて「をどり」放送の日、余韻に浸りつつテレビ観劇でも致そう哉、と。
「赤坂をどり手拭文様」に就いては下記参照の事。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/09/post_9ab2.html
2008.05.23
●謝辞 四周年
謹啓 弊亭も昨日5月22日にて満四年を迎えることが出来ました。
山も無く谷も無く、只管だらだらとした緩勾配の上り坂だったような気がします。
今日より五年目、是迄通り分相応にやっていく所存です。
四年間、何らかの形で幣亭に携わって頂いた皆様に於かれましては、この場をお借りして厚く御礼申し上げると共に、今後とも変わらぬ御愛顧及び御指導御鞭撻を御願い出来れば幸いと存じます。
…と、昨年と全く代わり映えしない文言で失礼致しました。酒司敬白。
2008.05.22
2008.05.21
●「モヒート.ミントジュレップ」 始めています
昨日は営業中の出来事です。
「ミント関係のカクテルマダー?」
「連休明けからやってますよ」
「 だって、未だブログに『始めました』って記事無かったよ」
「……書くの忘れてました」
すっかりカキコムノを忘れておりました。
という訳で、今更なのですが…。
「モヒート.ミントジュレップ」始めています。
「モヒート.ミントジュレップ」詳細に就いては下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/08/post_7841.html
2008.05.20
2008.05.19
●大堰川「御船游び」
大宮人の舟遊地として名高い嵐山.大堰川。
嵯峨天皇以来歴代多数の御幸があり、宇多上皇御幸の折には「観月宴処」として文献にもその名を残す由緒ある地です。
そんな家の近所にて、昨日は三舟祭が執り行われました。
「詩歌」「管絃」「舞楽」、三船の龍頭鷁首が王朝絵巻宛らの優雅な「御船游び」を披露、古には行幸の度にこう云った宴が開かれたことでしょう。
「観月の名所」とした元来の性格上、宵宮なんぞを行って頂ければ尚興趣もあるのではないか、と。
新緑の嵐山に平安絵巻よみがえる
右京・車折神社の三船祭
平安時代の船遊びを再現する車折神社(京都市右京区)の三船(みふね)祭が18日、嵐山の渡月橋一帯で開かれた。大堰川を渡る船上で雅楽や舞が奉納され、大勢の見物客が、新緑の嵐山を背景によみがえる平安絵巻を楽しんだ。
898年に宇多上皇が嵐山で行ったことにちなみ、例祭の一環として昭和初めから毎年行っている。車折神社での神事後、装束に身を包んだ神職や稚児ら約60人が牛車などを従えて三条通を練り歩き、嵐山の中ノ島公園で船に乗り込んだ。
大堰川では、神職が乗る「御座船(ござぶね)」を先頭に、竜や水鳥をかたどった龍頭船(りゅうとうせん)や鷁首船(げきすせん)など21隻が船上で舞や雅楽、扇などの奉納を行い、訪れた人たちは、次々と繰り広げられる優雅な儀式をうっとりと眺めていた。
(文.写真共 京都新聞5/19より)
2008.05.18
●「深泥池」のこと
「深泥池」
ミヤコ洛外は上賀茂北東に位置する湿地状池沼にて。
池が形成されたのは十四万年以上前、ウルム氷期から残存する水生植物群落が今日に於いても多数生息しており生物生態学的にも貴重な自然遺産。
そんな学術的見地は扨置、市井民にとっては別の意味にて遍く人口に膾炙しておりますこの深泥池。
所謂ミヤコ有数の「出る」スポット、「清滝トンネル」「将軍塚」「宝ヶ池」と並ぶ心霊名所でもあります。
と云う訳で下記書籍、早速アマゾンにて購入。
先程手元に届いた次第でして。
深泥池“百科”出版
京滋の研究者ら69人執筆
国の天然記念物に指定されている深泥池(京都市北区)の生き物や植物、歴史文化を網羅した本「深泥池の自然と暮らし」がこのほど、出版された。京都、滋賀の研究者ら69人が執筆した。深泥池百科ともいえる内容で、池の保全に向けての提言も盛り込んだ。
川那部浩哉・滋賀県立琵琶湖博物館館長ら研究者7人が中心となって編集した。
本では、池は氷河期から残る手つかずの自然というイメージを否定。平安時代以降の人間活動が現在の池を形作ってきたとした。
例えば、貧栄養を好むミズゴケの湿原が維持されてきたのは▽名物のジュンサイ採りが栄養物を池から取り除くことになり、水質の富栄養化を防いだ▽池をかんがいに利用していたので底の泥が流れ出し、浅場を好むヨシが侵入できなかった-など人間の営みが関係しているという。
しかし、天然記念物に指定されて人の手が入らなくなったことに加え、近年は周辺開発が池の環境悪化を招いた。ミズゴケの枯死やヨシの侵入、ブラックバスなど外来種の繁殖などが問題になっているという。水質保全に向け、池周辺の森林も含めた集水域の管理が必要と指摘した。
編集メンバーの竹門康弘・京都大防災研究所准教授は「希少生物が次々と発見され、調べれば調べるほどすごい池だ。里山と同じように活用しながらの保全を検討する必要がある」と話している。
B5判、247ページ。本体価格3000円。問い合わせはサンライズ出版TEL0749(22)0627。
■深泥池(みどろがいけ) 京都市北区上賀茂深泥池町にある周囲約1・5キロ、面積約9ヘクタールの池。成立は14万年前の氷河期にさかのぼり、ホロムイソウなど寒冷植物や高山にみられるミズゴケ湿原「浮島」がある。1927年に植物群が国の天然記念物に指定され、88年には生物群全体に指定が拡大された。
(文.写真共 京都新聞5/13より)
2008.05.17
●来月の定休日【水無月】
- 6月 1日(日) 定休日
- 6月 8日(日) 定休日
- 6月15日(日) 定休日
- 6月22日(日) 定休日
- 6月29日(日) 定休日
- +何処かで一日ズル休み(近日決定します)
以上です。宜しくお願い致します。
2008.05.16
●賀茂の祭り
斎王代発表から御禊儀、歩射神事、賀茂競馬、御蔭祭…。
約一ヶ月の前儀を経て、昨日が本祭でした。
と云う訳で、今年の「賀茂祭」二題。
天候も五月晴れ、祭日和も宜しく神事恙無く執り行われた様子です。
新緑の都大路に源氏絵巻
葵祭
千年紀を迎えた源氏物語にも描かれた葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。フタバアオイを挿し、王朝装束に身を包んだ約500人の行列が、平安時代の優雅な雰囲気を醸し、新緑映える都大路を進んだ。
京都三大祭りの一つで、上賀茂、下鴨両神社の例祭。正式には賀茂祭といい、起源は1400年前にさかのぼる。源氏物語では、車争いの場面が有名。道中の行列は「路頭の儀」、両神社での神事は「社頭の儀」と呼ばれる。
午前10時半、初夏の陽気の中を、本列(近衛使代列)が玉砂利を踏みしめて京都御所(京都市上京区)を出た。狩衣(かりぎぬ)姿の肝煎(きもいり)を先頭に、紅色の水干(すいかん)姿の牛童(うしわらわ)が綱を引く牛車(ぎっしゃ)が車輪をきしませて進んだ。
斎王代列(女人列)が続いた。あでやかな十二単(ひとえ)をまとったヒロインの斎王代が乗った腰輿(およよ)が近づくと、沿道を埋めた2万6800人(午前11時、京都府警調べ)が見つめた。
(文.写真共 京都新聞5/15より)
新調の十二単晴れやか
葵祭 左京・喜多川さん作
紅梅色の唐衣(からぎぬ)が陽光に映えた。葵祭のヒロイン斎王代がまとう十二単(ひとえ)が今年、25年ぶりに新調された。人間国宝の有職(ゆうそく)織物作家・喜多川俵二さん(72)=京都市左京区=が、亡父に続いて装束を手掛けた。「責任を果たせた。天国の父にも喜んでほしい」。15日午後、25年前に父が祭りを見詰めた北区の加茂街道で、斎王代の姿を追う。
1956年、斎王代列が復活した時、父親の故平朗さんが源氏物語絵巻を参考に斎王代の装束をつくった。妻を亡くして気落ちしていた平朗さんを元気づけようと、家族が装束の再制作を勧め、喜多川さんも手伝って、83年に完成した。「斎王代の装束は家族にとって意味深く、大切なものです」と思い入れが強い。
今回は1人で唐衣と表着を仕上げた。「自分が全責任を負うわけですから、重みが全然違います」。手本は父親がつくった装束。長年の使用で色が焼けた部分は、当初の色に戻すよう心掛けた。
この日朝、斎王代の村田紫帆さん(25)=東山区=は新しい装束を着けて「身が引き締まる思いです」と緊張気味に話した。
大役に決まってから1カ月余り、「うれしさと不安」を抱きつつ、斎王代のことばかりを考えてこの日を待ち続けた。知り合いからは祝福され、4日の「御禊(みそぎ)の儀」で斎王代に寄せられる視線を肌で感じた。
「思った以上に注目されて戸惑いますが、いい経験です。やるしかないです」。きりりとした表情で腰輿(およよ)に乗り込んだ。
(文.写真共 京都新聞5/15より)
2008.05.15
●「愛宕詣」傾向と対策
先日帰京の後日談(最近こればっかですが…)。
「東の比叡」と並び称される「西の霊峰」愛宕さん。
その頂、標高924mのミヤコ最高峰にて鎮座おはせまするのが京都.愛宕神社。
遷都以降は王城鎮護の守護神として、亦現在に於いては火伏神として崇敬を受ける同社は全国八百余、愛宕社の総本社です。
私め、現在トーキョー在住の身でして、流石に「月参り」とは行きませんが「火迺要慎」の祀符を戴きに年に一度は詣でております。
と云う訳で、以下は先日五月四日「愛宕詣」の登頂記。
愛宕さんに参られる際は登山計画の考材にでもして下さい。
幾つか有る参拝ルートのうち、今回御紹介するのは一番オーソドックスな「清滝からの表参道コース」です。
因みに標識なぞでは「山頂まで約二時間」と記されていますが、四十男が休憩せずに登頂して、所要時間約一時間程である事を参考迄に。
【写真右】奥嵯峨鳥居元、一の鳥居。
旧来は此処より50丁(5454m)の道程が愛宕詣。
【写真左】試峠の幽霊トンネル。
深泥池と並び、ミヤコの「出る」心霊名所です。
【写真左】清滝の表参道登山口。
此処より40丁(4.2km)を数えて山頂となります。
【写真右】五分程歩くと3丁目、「お助け水」到着。
尤も水を欲するには少々早過ぎますが…。
【写真左.中】暫くはコンクリートや矩形石で舗装された山道が続きます。
足場も良く、勾配も程々にて快適な登山道。
【写真右】5丁目、少し視界が広がった所処にある民家跡地。
この辺りから本格的に「山登り」開始と云った心持ちに。
7丁目位からの参道は、自然石組や丸太組みの不定形な足場に。
この後20丁目位迄は急勾配、厳しい登り道が続きます。
12丁目(三合目)に最初の休憩小屋。
山頂本宮迄あと2.9km。
休みたいのは山々ですが、此処は我慢して登山を続けるべし。
因みに鳥居本からの換算では、此処が丁度行程の半分です。
漸く20丁目(五合目)に到着。休憩処脇には大杉大神。
愛宕登山の難所は是にて一旦終了。
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取敢えず愛宕山参道で急勾配が続くのは此処迄です。
御老身.婦女子以外の方々(所謂成人男性)なら、この辺りまでは我慢して休憩せずに登りましょう。そうすると後々の行程が大分楽になります。
休憩を入れるのが一度なら27丁目小屋。二度なら20丁目と30丁目が最適かと。
序で云う迄も無く、下山の際は此処よりの下りが足突き八丁。
登下山の疲労蓄積に加え、足場の悪さが追い討ちをかけるので御留意を。
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此処からは一転、比較的優しい参道。
平坦道→緩勾配の繰り返しが四~五回続きます。
【写真左】27丁目(七合目)の休憩小屋。
落語噺でも有名な「愛宕山(かわらけ投げ)」の旧跡です。
【写真右】此処は山道中で最も見晴らしの良い処。山頂本宮迄あと1.6km。
【写真左】30丁目水尾別れ。
三又の道を右に登ると山頂、左に下ると水尾の里です。
当日は小雨模様もあって、この辺りから急に濃霧となりました。
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真夏以外の登頂の場合、この辺から長袖の着用が必要となります。
参道も比較的緩勾配が続き、汗も引いてくる所処で薄ら冷え込んできます。
1000m未満の山と侮る事無かれ、下界と山頂の温度差は10℃程あるので御注意。
尚、冬場に於いてはこの辺りより山道が氷結しており、アイゼン必携。
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32丁目、近年迄「火伏せの樒」が売られていたハナ売場跡。
何時も此処迄登ると「ほっ」と一息。
ここら辺りまで来ると先が見えてきます。
山頂本宮迄あと1.1km、ラストスパート。
34丁目。ハナ売場跡から暫くした所処。
階段が切石組から丸太組に変わります。
36丁目。横転した大杉が参道頭上を横切っています。。
何時からか覚えていませんが、大分昔からずーっとこのまま。
39丁目。黒門が見えてくれば山頂はもう目の前。
因みにこの山門、明治の神仏分離令に由り破棄された白雲寺の遺構です。
40丁目。愈々神社境内に入って来ました。
左手には社務所が伺えます。
【写真左】最後の試練、本宮迄続く石畳階段。
【写真右】銅板巻の鉄鳥居が見えてきました。あと百数十段で到着です。
漸く愛宕神社本宮到着。
此方で宮司さんから「火迺要慎祀符」(御守や樒も)を戴きます。
当日は生憎の小雨模様にて足場も不安定の為、登山タイムは58分。
残念ながら自己更新はなりませんでした。
関連過去ログは下記にて。
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_dcfe.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_7d15.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/05/9_dc84.html
2008.05.14
●「有頂天家族」トレイル 後篇
前述記事の続きにて、「有頂天家族」トレイル後篇。
【下鴨~出町柳界隈】篇です。
【写真左.中】下鴨神社「糺の森」二写。
云う迄も無く下鴨一家の居住地。結構広いので塒の確認迄は出来ませんでした。
【写真右】は御手洗川。矢四郎がラムネを飲みながら夕涼みしたり、矢三郎が母に蹴り込まれたりする所処です。
作品中、頻繁に登場する出町柳商店街(桝形商店街)。
糺の森からは徒歩十分位です。
『出町柳商店街の裏』路地を散策。
商店街中には二筋の小路が縦断しており、天狗先生の住んでおられる「コーポ桝形」はこの何れかの近辺だと思われます。
残念ながら木造二階建てのボロアパートは探し出せませんでした。
『出町柳商店街を通り抜け寺町通りに出た所』に在る蕎麦屋さん。
矢三郎が金閣銀閣の謀略により捕獲された「竹林亭」のモデルだと思われます。
丁度小腹も空いており、折角なので此処で昼餉とする事に。件の玉子飯は無かったものの、親子丼を頂きました。
【写真右】蕎麦屋を出て寺町通りを北に望む。
矢一郎が人力車を疾走させ、天狗先生を風呂屋に連れて行く道筋でもあります。
【写真左】は該当のお風呂屋さん「鞍馬湯」。
入ろうか迷ったのですが、湯船で虎と狸が喧嘩していても嫌なので止める事に。
立地距離的にも、此処は百%間違いの無い所処です。
と、以上まぁこんな感じでした。
特に意味の無い企画だったのですが、其也に阿呆らしく楽しいもので。
差し詰め「面白きことは良きことなり」と云う事で。擱筆。
●「有頂天家族」トレイル 中篇
前述記事の続きにて。
「有頂天家族」トレイル中篇、【岡崎~丸太町今出川周辺】篇です。
冷泉通りより「夷川発電所」三写。
雨中「鴨虎」と化した矢一郎が、金閣銀閣を疎水に放り込んだのはこの辺です。
【写真右】の岬先には「北やん」こと北垣国道知事の銅像が。
此処発電所周辺で、今企画の中でも最も困難であろう「偽電気ブラン工場」を探す事と致しました。
夷川家統括、秘密工場捜索の建造物条件は以下の通り。
①「左京区聖護院蓮華蔵町」内で
②其也に薄汚れた建物で三階建て、
③「三階から冷泉通の桜並木」と、
④「同、夷川ダムと疎水事務所」も見下ろせる場所。
是等、該当条件を全てクリアした物件が一軒だけ有りました。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E135.46.43.4N35.0.47.2&ZM=12
発電所北側、聖護院保育園の西側に佇むこの建物。
「左京消防団 川東分団器具庫」と云う表示看板も何やら胡散臭く感じられます。
そう云えば偽電気ブラン開発者の甘木氏も旧京都中央電話局職員、上記建物も京都市消防局庶務課主管。
所管部課は違えど、同じお役所の管轄物件と云うのも尚更アヤシイものです。
中に入ろうとしたのですが生憎閉まっており、内部捜索は已む無く断念。
この辺迄来ると、周りにいる人々が皆狸に見えてくるものです。
丸太町東山は熊野神社。
『玉垣で覆われた神社西側の町内』に在る「魔王杉」へ。
町内一通り散策したのですが「これは」と云う古木が特定出来ませんでした。
【写真右】が一番其れらしかったので挙げておきます。

『賀茂大橋西詰にある一階がカフェのビル』の玉突き場へ。
カフェは営業中も、ビリヤード場は如何やら閉店してしまった様です。
「黒服の王子」は何処で玉突きをしているのでしょう。
取敢えずはこんな所処。
続きは「有頂天家族」トレイル後篇、【下鴨~出町柳界隈】篇へ。
TO BE CONTINUED 。
2008.05.13
●「有頂天家族」トレイル 前篇
先日帰京の後日談。
私め、日帰り(水泥棒)を含めまして、月に一~二度は上洛しております。
従いまして、地元に戻ったと云って今更「京都観光」をする訳でも有りません。
自転車で洛中洛外をぶらぶらしたり、御所や加茂の河原で「呆ーっ」としたり…。
然乍ら、余りに無作為に過ごすのも勿体無いものにて一計を案じる事に。
以前【書架彼是】でも紹介した森見登美彦氏著「有頂天家族」の作品中に出て来る現場巡りなぞを思い立ったのでありました。
名付けて「偽電気ブラン工場を捜せ!!」ミヤコ捜索ツアー。
例に由って興味の無い方には何のこっちゃら「意味不明」だとは思いますが、まぁコレも「阿呆の血の成せる業」でしょうか。
と云う訳で「有頂天家族」トレイル、先ずは【三条~四条界隈】篇です。
【写真左】最初に訪れた先は烏丸西入ル「六角堂」、通称六角さん。
【写真中】が「へそ石様」。何処から如何見ても「フツー」の石です。
流石名うての古狸、尻尾を出す気配は有りません。
【写真右】境内より烏丸方面を望む、恐らく「洛天会ビル」だと思われます。
但し屋上に桜の木は確認出来ませんでした。
続いては扇屋さん、「西崎源右衛門商店」へ。
弁天さんが「風神雷神の扇」を修理に出し、矢三郎が「薬師坊の奥座敷」を借りに行ったお店です。
『三条高倉を少し上がったひっそりとした町中』
に所在との記述でしたので写真の辺りだと思われますが、残念ながら暖簾の確認は出来ませんでした。
東に進み寺町三条へ。上記二写は周辺写真。
件のBAR、「朱硝子」はこの界隈地下一階に所在。
昼間はカフェにて営業している筈ですが、其れらしき店は発見出来ません。
【写真左】の辺りが怪しい感じです…。
折角「赤割り」でも飲もうと思っていたのですが。
先斗町へ移動、「夜は短し歩けよ乙女」でも御馴染みの「千歳屋」を探す事に。
『歌舞伎練場近くに有る喫茶店の正面、鴨川沿い』の記述からすると、【写真右】の辺りが該当地です。
真っ昼間と云う事もあってか、「金曜倶楽部」らしき面々とは遭遇しませんでした。
少し計り南下、『四条木屋町を下って五分程、鳥彌三の並び』に有る「仙酔楼」へ。
上掲写真辺りの筈なのですが、矢張り暖簾の確認は出来ませんでした。
よく考えてみると、赤玉先生が「風神雷神の扇」で吹き飛ばしてしまった後の事。
再建されずに駐車場【写真左】になってしまったのかも知れません。
引き続き建仁寺南へ移動、六道珍皇寺へ。
蛙と化した次男矢二郎が棲処としている「古井戸」は本堂の奥です。
残念ながら本堂は拝観不可、板戸越しでしか伺う事が出来ませんでした。
尤も狸なら入り込めそうです。
取敢えずはこんな所処。
続きは「有頂天家族」トレイル中篇、【岡崎~丸太町今出川周辺】篇へ。
TO BE CONTINUED 。
関連過去ログはコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/10/post_fa14.html
●「賀茂祭」 前儀其の四
昨日は下鴨さんで御蔭祭が執り行われました。
賀茂祭最後の前儀にて、後は明後日の本祭を迎えるのみ。
祭列道中、御清泰の趣お祈り申し上げます。
「賀茂祭」関連過去ログは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_c0f6.html
新緑のもと 御蔭祭
優雅に舞い披露
葵祭の前儀に当たる御蔭祭(みかげまつり)が12日、京都市左京区の下鴨神社などで営まれた。神職や氏子ら約120人の行列が下鴨中通を進み、境内では「東游(あずまあそび)」が優雅に舞われた。
御蔭祭は、御蔭神社(左京区上高野)に降りた荒御魂(あらみたま)を迎える重要な神事。
この日、荒御魂をいただいた行列は摂社の赤の宮神社(同区高野)へ立ち寄った後、下鴨中通を練り歩いた。今年から、皇族が使った馬車が日本馬事協会を通じて貸し出され、沿道の注目を集めていた。
境内では切芝(きりしば)神事があり、荒御魂をもてなす「東游」が新緑まぶしい糺の森で披露された。古代歌謡に合わせて6人の舞人(まいびと)がゆったりと体を動かし、観客を典雅な世界へと引き込んだ。
(文.写真共 京都新聞5/12より)
2008.05.12
●「鴨川条例」是非
去る四月一日より施行された「鴨川条例」の余波一題。
鴨川夏の風物詩「納涼床」に行政により規制が入るかも、との事です。
景観を損ねる各種建造物や広告を規制排除する目的で新たに制定された京都府.市の各種条例、その骨子「そのもの」は評価出来るのではないかと思います。
然し他法令同様、条例と云うものが一文一句の文面だけで論じられては「仏創って魂入れず」、其れも亦「悪法」と成り得ません。
昨秋施行された「景観条例」にしてもそうですが、結果「都をどり」花見小路門の飾り付けや、高野川の「鯉のぼり渡し」なぞ、時節の風物として市井民にも一定認知されていた風景の変更.撤収を余儀無くされています。
しかもその理由は「けばけばしいから」との事、明文化された「条例」の効力を発生させるには、余りにも人(お役人)の主観に由るものです。
「19.9mは良くて20mは駄目」「朱色は良くて桃色は駄目」
確かに景観(風情.情緒)の保全に関して、文面規定で線引きするのが難しいのも亦事実です。尤もそこら辺は施行側の「見識の見せ所処」なのですが…。
但しミヤコ行政の「すっとこどっこい」振りは過去数多目を覆うものが有り、御世辞にも「有能」とは云い難いものです。
まぁ各種新条例は制定.改正された計り、もう暫くは府政市政の御手並み拝見と。
関連過去ログはコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/09/j_e240.html
鴨川の「納涼床」どう変わる
府、今夏に審査基準
京都らしい夏の風情を漂わせる鴨川の「納涼床」が、景観への配慮を促す京都府鴨川条例の4月施行に伴い、大きな転換期を迎えている。府は、納涼床が出そろう6月の実態調査を踏まえ、納涼床の審査基準を決定する方針を打ち出した。床の高さや柱の色などが具体的にどう規制されるのか、関係者は気をもんでいる。
納涼床の設置をめぐっては、鴨川が現在の形状になった1952年に床の高さや張り出しなどの見本を示した「許可標準」が作成されたが、「あくまで標準にすぎず、個別のチェックが甘かった」(府河川課)という。
近年は、納涼床の増加や営業形態の多様化などで、床を支える柱の形状が店ごとにばらばらだったり、隣接する店の床の高低差が目立つなど、景観上の統一感が失われてきたとされている。
今回の府条例は、納涼床設置に関する審査基準について「鴨川の良好な景観形成に配慮して定める」と規定した。これに基づいて設置に必要な占用申請を許可する。
施行に先立ち府は2006年10月に京都市や京都鴨川納涼床協同組合、学識経験者を交えた「鴨川納涼床検討懇話会」を設置。床の高低差や柱の構造、色などが、対岸からの景観に配慮したものとなるよう議論してきた。
府河川課は「今まで景観の視点に立った規制はなく、大きく見直しを迫られる店もあるかもしれない」としており、今夏には鴨川条例に基づく審査基準を示す方針。
京都鴨川納涼床協同組合の久保明彦理事長は「府がどういう指示を出すかを黙って待つだけ。観光都市の景観を担っているという発想で指示を誠実に受け止め、前向きに対応したい」と話している。
(文.写真共 京都新聞5/9より)
2008.05.11
●「アマンニワ」を捜せ
引き続きホテルネタ、先日帰京の後日談にて。
「Aman resorts 」
云わずもがな、世界中のアッパー層ホテルユーザーからそのホスピタリティを絶賛されている、国際的なリゾートホテルグループです。
その「アマン」の日本初進出地が「京都」と発表されたのは2006年秋頃の事でした。
尤も例に由っての完全極秘主義、用地の選定.測量から買収迄内々裡に進められていたのですが、当の開業予定年(今年)になっても何の音沙汰もアリマセン。
進展らしき事と云えば、名称が「アマンニワ」と決まった位です。
扨果、その進捗具合は如何なものなのか…。
と云う訳で勝手に「アマン建設予定地見学ツアー」を決行する事に致しました。
取敢えずは建設予定地の選定から。
京都と云っても「程々」に広いもので、どこら辺に建てるのかと云うと…。
「京都市北区鷹ヶ峰周辺.金閣寺より北西約1キロ 」
プレスリリースで参考に為り得る情報は上記のみですが、其処は(旧)地元民の強み、建設可能な地域の見当は大体付くものです。
更にはトーキョー、ミヤコ各々にて諸事情精通の方々に伺った所処、建設候補地は下記の辺りに絞り込めました。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E135.43.57.1N35.2.47.3&ZM=9
要するに左大文字の裏手、「しょうざん」左横らへんの山峡地。
まぁ「百聞は一見に如かず」、先ずは行ってみる事に。
写真左。円町より西大路通を一路北へ。中央奥には左大文字が窺えます。
写真右。北大路を越え、更に北上すると鏡石通入り口に「しょうざん」の案内板。
この辺りは未だ住宅地、此処より左大文字山沿いに奥へ向かいます。
鏡石通沿いに幾つか有る、左大文字山への侵入通道。
それっ「ぽい」気配はするものの、ホテル建設中の様子は有りません。
更に鏡石通を道なりに進行。
「しょうざん」西門を通過して暫くすると、左手に旧松山織物邸宅(?だった様な…うろ覚えです)が見えてきます。
実は、一番「うさん臭い」と目星を付けていたのが此処でした。
胸踊り正面玄関に到着したものの、正門は閉じられたままで中を窺い知る事は出来ません。
尤も機材搬入はおろか、工事の物音一つしていませんでしたが…。
邸宅跡をもう少し北上した所処。
山間秘境のリゾート地、と云うコンセプトに合っているかは兎も角、長閑な鄙風景。
更に紙屋川沿いに進むと吟松寺です。
鏡石通より左大文字山鷲峰を望む。
開業の暁には「アマン山」とでも呼ばれるのでしょうか。
で、視察結果に就いてですが…。
結局は敷設現場はおろかアマンの「ア」の字も見当たりませんでした。
本当にこの周辺で不安になる位です。
尤もアマンが当初の発表通りに竣工する事の方が稀なもの。
今年から着工して二、三年後に開業すると考えるのが賢明かも知れません。
序で、アマンがミヤコにホテル建設を決定した別の要因として「2008.SUMMIT」が京都で開かれるのを見越して、と云う噂も有りました。
然し周知の通りサミットは洞爺湖に持っていかれたので、従い急いで建設する必要が無くなった、とも云われています。
それと重要な事項がもう一つ。
この地域は京都市 都市計画局 風致保全課により「近景デザイン保全区域」及び「眺望空間保全区域」指定されている事です。
昨秋の新.景観条例施行により、建造物規制は更に厳しくなっており、アマンがこのハードルを超えらるのかも関心の集まる所処でしょう。
「アマンニワ」最新情報はコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/07/post_1861.html
●シンガポール「スリリング」
世界中至る所処で至る業界が再編成加速する昨今。
ホテル業界もその例外では無さそうで、夙に知られた名門「ラッフルズホテル」もこの度所有者が変わるそうです。
一見、幣ブログとは余り関係なさげなネタですが、幣亭生業も一応「BAR」なるもの。
「ラッフルズ.スリング」の誼で掲載しておきます。
名門ラッフルズホテル、欧州の個人投資家に売却へ
【シンガポール=実森出】
シンガポールの名門ホテル、ラッフルズホテルが欧州の個人投資家に売却されることが8日、明らかになった。
シンガポールの地元紙ビジネス・タイムズが伝えた。
売却価格は6億5000万シンガポール・ドル(約494億円)前後で、仮契約した段階という。買った人物の名前は明らかにされていない。
ラッフルズホテルは1887年の開業。2005年、他の系列ホテルとともに米投資会社コロニー・キャピタルに17億シンガポール・ドル(約1300億円)で売却され、現在は中東の投資家が筆頭株主。同国を代表する観光スポットにもなっており、カクテル「シンガポールスリング」がバーの看板メニューとして知られる。
(2008年5月8日15時01分 読売新聞)











手桶と柄杓。








