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2008.06.15

●御子左流 「小倉山忌」

昨日、北嵯峨は二尊院にて「小倉山忌」が行われました。

真偽の程は兎も角、小倉山付近は定家百人一首撰定の地。
その私撰所処とされる別業「小倉山荘」があったのが二尊院南側(現在の厭離庵)辺りで御座いまする。
そんな誼も相俟って、同地での法要でありました。

「百人一首」関連過去ログは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/12/post_42f6.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/08/post_8121.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/06/post_245f.html

P2008061400172冷泉家、二尊院で小倉山忌
平安・鎌倉期の歌人藤原俊成・定家父子が遠祖の歌道宗家・冷泉家(京都市上京区)は14日、定家にちなむ「小倉山忌」の法要・和歌披講を右京区嵯峨の二尊院で行った。関西や東京、長野、四国などから門人ら約50人が参列、定家山荘跡とされる厭離庵や定家選という「小倉百人一首」の歌碑も訪ねた。
披講は、「卯花(うのはな)」の兼題で寄せられた和歌から「ほととぎす鳴く住吉の松かげに浪かと咲ける白き卯の花」など9首を選び、冷泉為人二十五代当主ら3人が独特の声調で詠み上げた。
為人当主は「五月闇蛍とび交う川の辺に光とまがう卯の花のちる」と夏の情趣を、貴実子夫人は「五月雨の滴ひまなき山庵に世をうの花の散る夕まぐれ」と梅雨の趣を世相に重ねて詠んだ。
(文.写真共 京都新聞6/14より)

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