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2009.05.31

●「嵐峡館」再開綱領発表

以前より数次に亘りお伝えしている「嵐峡館」さんの最新情報です。

先日のプレスリリースに由ると、開業日を始め営業再開要旨が決定したとの事。
但し「嵐峡館」と云う屋号は消滅し、「星のや 京都」と云うナンダカ素敵な名前に改称するそうです。
明治期創業以来の由緒ある名前が無くなるのは、地元民として「ちと」淋しいもの。

その他部屋数や宿泊金額等、施設概要も発表されました。
十数年来続いている「京都観光バブル」も弾けつつある昨今ですが、宿泊料金は結構強気の設定です。
尤もこの類の営業再建には定評のあるホシノさん、勝算は充分におありでしょう。
狙う獲物は勿論「(勘違いラグジュアリー)トーキョー人」。

私めも一泊3万円位なら一度泊まってみようかと思っていたのですが、流石に家の近所で一泊5~15万は莫迦莫迦しいので止める事にしました。

尚、「嵐峡館さん」関連ログ総まとめは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/bamboo-wp3.html

「嵐峡館」改め「星のや 京都」HPはコチラ。↓
http://kyoto.hoshinoya.com/

P2009053000041“嵐峡館”高級和風旅館に改装
星野リゾート 12月開業へ

星野リゾート(長野県軽井沢町)は、京都・嵐山で買収した老舗旅館「嵐山温泉・嵐峡館」(京都市西京区)の本館を改装し、高級旅館「星のや京都」を12月12日に開業する。客室を広げて内装の高級感を高め、1泊5万5000円-15万6000円の富裕層向け和風リゾート施設として再生する。
嵐峡館は明治期創業の老舗旅館だったが、2006年に当時の経営者が亡くなった後、休業していた。渡月橋近くの大型旅館再生は嵐山観光の活性化につながりそうだ。
星野リゾートは、外観をほぼそのままに、全室が川に面した好立地を生かして客室を全面改装する。部屋数を31室から25室に減らして1室当たりの面積を広げる。音楽や映画を楽しめる書斎などを備えた2-4人部屋(広さ約120平方メートル)やツイン(約35平方メートル)などがある。投資額は25億円。
「星のや京都」は星野リゾートが軽井沢町で運営する旅館「星のや」の2号店で、高級リゾート施設運営の手法を持ち込む。宿泊の予約受け付けはすでに始めている。
(文.写真共 京都新聞5/30
より)

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2009.05.30

●「花街.夏の御挨拶」準備風景

弊亭も「名入りうちわ」をお願いしている京都岡崎の「小丸屋さん」。
その小丸屋さんに就いてのコラムが先日の読売新聞に掲載されていました。
何時も御世話になっている誼で記事を挙げておきます。

因みに私めの存じている限り、芸舞妓さんのうちわを作成されているのは現在ミヤコで二件だけ。

関連過去ログは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/05/12_c16f.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/05/post-4027.html

http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/05/post-c27d.html

Kn20090526121215119l1花街十職<6> 京丸うちわ
柔らか 思いやりの風

芸舞妓による4~5月の公演がすべて終了した花街は、夏の準備に忙しい。「小丸屋住井」(京都市左京区)では、職人6人が白地に朱色で源氏名が刷られた「京丸うちわ」作りに追われている。
同店の創業は江戸前期の1624年(寛永元年)にさかのぼる。日蓮宗の高僧、元政上人(1623~68)が考案したナツメ型の「深草うちわ」を伏見・深草の良質な竹で作り、京土産として人気を集めた。明治~大正期に花街向けの京丸うちわを手がけるようになり、今は、年間約2万5000本を製作する。

畳敷きの工房には、竹の節から先を42本程度に割ったうちわの骨と、八角形の和紙が積まれている。職人たちは正座し、まず、骨をのりの入ったたらいに浸す。置屋などの紋が印刷されたうちわの表になる紙を裏返し、その上に骨を置き、小さなささくれをピンセットで取り除いて、間隔が均等になるように調整。名前の入ったうちわの裏になる紙に、はけでのりを付け、骨の上に載せる。
「芸舞妓さんのうちわだから、ふわっと丸く、色気のようなものが伝わらないと」。職人の木野高利さん(43)は、のりがむらにならないよう、撫でるようにブラシを紙の上に滑らせる。のりが薄い部分は、乾燥後に紙が浮き、濃いと骨が反るという。「適度にしなやかで、それでいて紙と骨がきっちりとくっつくように力を加減します」と説明する。

木野さんは約20年前、知人の紹介で、うちわのほか京扇子や舞踊の小道具を製造・販売する同店に就職。うちわの作り方は、先輩職人の手元を見ながら覚えた。「最初は表面がでこぼこになった」と振り返る。やがて、気温や湿度の微妙な変化で、のりの乾き方が変わることに気づいた。気温が低いと乾燥に時間がかかり、竹のあくが出て紙が汚れる。このため、乾きやすいよう、やや濃いのりを作り、除湿器を使った。失敗作が減るのに10年かかったという。
丸1日かけて乾燥させた後、半月型の枠を上から当てて、はみ出した紙と骨を切り落とす。さらに、竹べらで骨を1本ずつなぞって筋を際だたせ、「念入れ」と呼ぶ仕上げをする。うちわ1本を完成させるのに7~10日間必要という。

同店10代目当主の住井啓子さん(59)は「うちわは本来、相手をあおいであげるためのもの。人を気遣う思いやりの心が根底にある」と語る。6月中旬、芸舞妓は一人数十~数百本ずつ、うちわを得意先に配る。料理屋にずらりと並ぶ様は古都の夏の風物詩にもなっている。冷房が発達しても、丁寧な手仕事から生まれる柔らかい風が、うちわの宿す精神を運んでくれる。

芸妓さんと京丸うちわ
うちわの表の紋は、舞妓は所属する置屋、独立した芸妓は自分の家紋を刷る。裏には芸舞妓の名のほか、上七軒と先斗町は花街の名、ほかの花街では、舞妓は置屋の屋号、芸妓は自分の名字を入れるなど、しきたりが異なる。
毎年、約160本を小丸屋住井であつらえる上七軒の芸妓、梅嘉さんは「うちわは夏を一番に感じるものどすやろね」と話す。「手作りのうちわは、少しの力でええ風が起こりますし、何よりも丈夫。お客さんをあおいで差し上げると『プラスチックのうちわとは、全然風が違う』と喜んでもらえて、うれしおすね。職人さんの手仕事に支えられている、と思うのどす」
(文.写真共 読売新聞5/26
より)

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●「金龍さん」初登楼

先々日木曜日の赤坂は降り敷く「五月雨」の所為か、深更頃の人通りも疎らにて。

弊亭も「ジェットストリーム」の終わる頃、客足がぱったりと途絶えました。
そんな訳で「御誂え向き」と計り、25時に営業早仕舞い。
予てから「一度見においで」と御高招戴いていた、新装開店間も無い「金龍」さんにお邪魔して参りました。

取敢えずバーコーナーでアペリチフを頂きつつ、眼前の庭を眺めていたのですが…。
「いい日を選んで来たものです」。
敷瓦、石畳、新緑の植木群…、矢張り庭は雨に濡れそぼっている方が風趣なもの。

尤も御挨拶がてら御邪魔した心算だったので早々に退散する予定でしたが、他にお客さんも居られなかったので亭内を内見させて頂く事になりました。

御手洗に始まり御茶室、御座敷、サロン、舞台に大広間…。
まぁよくぞ此処迄設えたものだなと。
天井の網代や羽目、欄間や仕切りの築地塀も流石なのですが、以前の敷居や階段を残して普請されているのには只々感服。
建物(特に古建築)の一部を残して解体、造作するのはトテモタイヘンなのです。

尚、残念乍ら「写真の類」は御座いません。
私め、商い中の店内でシャッターを押す程「非常識」な育ち方はしておりませんので。

赤坂金龍さんホームページはコチラ。↓
只今準備中です。
http://www.akasaka-kinryu.com/

尚「金龍」さん関連過去ログは
←サイドバー『■「金龍さん」関連』のウェブページ参照の事。

090528_002で、本日仕事前の「一服」風景にて。
お茶請けは帰路に就く際頂いた「開店御祝儀」の引出物。
「赤坂の和菓子」に合わせるのは
「寺町二条の新茶」
「寺町御池の菓子切り」
「祇園町の団子皿」
「新門前古道具の茶器」

都と帝都のコラボレーション、嗚呼なんて素敵なジャパネスク。 

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2009.05.29

●来月の定休日 【水無月】

  • 6月  7日日)  定休日
  • 6月14日日)  定休日    
  • 6月21日日)  定休日
  • 6月28日(日)  定休日

  • +何処かで一日ズル休み(近日決定します)

以上です。宜しくお願い致します。

 

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2009.05.28

●「Bamboo」施工前と施工後

先日ログ「Bamboo.施工風景」の続篇です。
今回は「施工前」と「施工後」の弊亭を、外内観同じアングルで写してみました。

まぁ、「変われば変わる」ものでして…。

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【写真上】一ッ木通り側より見た外観。 
【写真下】みすじ通り側より見た外観。
「京簾」「「京瓦」「鍾馗さん」「見世窓」「銅雨樋」「駒寄格子」…。
出来る事は全てやった心算です。
お隣の小料理屋「きく」さんは、三年前に店仕舞いされてしまいました。

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【写真上】入口側から見た店内。
上部の張り板を打ち抜いたので、天井が大分高くなりました。
青白市松は「アソコのアレ」のパクリです、云う迄も無く。

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【写真上】店内路地側。
布袋さんの置いてある棚はその儘生かして本棚にしました。

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【写真上】店内より見た玄関。
大正頃の引戸を当て込んだ為、玄関間口は可也小さくなりました。
築地円窓も当然「アソコのアレ」の本歌取りです。

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【写真上】二階踊り場より。
階段は五寸程幅詰めし、残す事と致しました。
何せ約40年前の階段、適度に「ミシミシ」鳴る軋み音が心地良いものでして。

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【写真上】二階東司。
此方は逆に半丈広めに敷設し直しました。
「四半敷」「漆喰塗」「斜格子蔀戸」と臨済禅刹使用、従って「東司」な訳です。
開き戸は懐かしの二本閂、白金の古建具屋さんで購入しました。

と、こんな所処でしょうか。
何だか成長した子供の小さい頃の写真を見て「ニコニコ」している莫迦親みたいな感じです。
最後にこの場を借りて、施工前後の写真を残して頂いた工務店「スペースビーンズさん」には、厚く御礼申し上げる次第にて。

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2009.05.27

●「Bamboo」施工風景

先日土曜日にて弊亭も満五歳、只今六年目に向かって邁進しております。

そんな節目の年、「開店前の事」を振り返ってみるに宜しい折かも知れません。
と云う訳で施工前後、皆様の御存知無い「Bamboo」を紹介させて頂こうかと。
時は2004年3月から5月、粗毎日「現場」に常駐していた二ヶ月間でした。

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【写真上】旧店舗外観(04年2月初旬)。
弊亭の前身は、40年に亘り赤坂で商いを営まれていた小料理屋「あけみ」さん。
「高度成長期」から「バブル隆盛.凋落」「失われた10年」「ITバブル」に至る迄、赤坂の浮き沈みを経験されてきたお店です。

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【写真上】旧店舗内観(04年2月初旬)。
お店を畳まれて数日後の様子、営業時の姿が殆どその儘残されています。
仕方無い事とは云え、歴史有るお店を解体するのは心痛むものでした。

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【写真上】乾燥養生中の弊亭カウンター。
千葉山奥の材木店にて購入、長さ6300×横幅680×高さ60(mm)の欅一枚板。
みすじ通りから僅か数mの距離を男手12人掛かりで搬入したのを思い出します。

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【写真上】造作中の弊亭三景(04年4月上旬)。
一ヶ月程掛けて、解体.基礎工事が済んだ所処。
床板やカウンター、天井梁や網代も敷設を終え、大分「それっぽく」なって来ました。

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【写真左】表構え七割方完成の図(04年4月下旬)。

浅田製瓦さんによる瓦敷きも終了、小振りの京瓦が品美しい。
銅雨樋と虫籠窓(偽)の敷設も終え、後は駒寄せ格子と築地円窓の造作、鍾馗さんの設置を残すのみ。

引戸は新木場の古建具屋さんで購入。
東西線にて一人で赤坂まで搬送、手が千切れそうでした。

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【写真上】バックバー粗方完成の図(04年5月上旬)。
貼った計りの五三桐唐紙も眩しいバックバー、唐長さんには只々感謝にて。
一文字シェード、指物も設置済み、後は腰板を張るだけです。

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【写真左】表構え外観(04年5月中旬)。
開店二週間前、大方に於いて施工完了致しました。
此処からは細かい飾り付けだけです。
【写真右】東司も施工終了(04年5月中旬)。
塗りたての壁材が美しい。矢張り漆喰は宜しいものです。

とまぁこんな感じでした。
続きは明日の『「Bamboo」施工前と施工後』を御覧下さい。  

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2009.05.26

●「京もドゲザで五~時♪」

「三条京阪前のドゲザ」

例に由って殆どの方々には「何のこっちゃら」訳が解らないと思いますが…。
市井民にとっては普く認知されている、古くからの「待ち合わせ場所」で御座います。
云うなれば渋谷では「ハチ公」、名古屋では「ナナちゃん」、ミナミでは「ロケット広場」に該当する所処とでも申しましょでしょうか。
私めも学生時分、飲み会の待ち合わせと云えば「河原町阪急前」「丸善一階」か、このドゲザ前でした。

然乍ら97年の京津線路線廃止により「三条駅」が地上から姿を消して以降、待ち合わせ場所としての役割も減少。
「雨露」を凌げ「底冷え」「蒸し暑さ」からも免れる「京阪三条駅」地下構内にその責務を移行していき、現在では周辺で屯する人数も少ないもの。
そんな訳で「ドゲザ前」待ち合わせ全盛期の往時を懐かしく想うものでした。

因みに土下座してるこのおっさん、正式には「高山彦九郎皇居望拝之像」と申します。
事由云々に就いてはグーグル様かウィキ様にでも聞いて下さい。

尚、表題は鈴木雅之(with菊池桃子)のデュエットソングに因んだものにて。

Kn20090514105636315l1土下座前、歴史思う…
高山彦九郎の像(東山区)

「土下座前で」と京都の若者たちが言えば、京阪・三条駅(京都市東山区)前のこの像の前で待ち合わせよう、という意味になる。
江戸時代の思想家、高山彦九郎(1747~93)が京都御所に向かってひざまずき、拝礼する姿をかたどった「皇居望拝之像」。高さ約3メートル。特異な姿と大きさでいやが上にも目につき、待ち合わせの定番スポットとして知る人ぞ知る存在だ。
若くして勤王思想に目覚めた高山は、日本中を旅しながら朝廷による文治政治実現を説き、後の尊皇攘夷運動にも影響を与えた。京も頻繁に訪れたが、東海道を経て到着し、そして立ち去る際には、その起・終点の三条大橋のたもとで必ず、御所に向けて居住まいを正したという。
鴨川の対岸には、尊王攘夷派の志士と新撰組が死闘を演じた三条木屋町界隈も広がる。「土下座前」での待ち合わせのひととき、高山以後の歴史の転変に思いを巡らせるのも、一興だ。
(文.写真共 読売新聞5/14
より)

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2009.05.25

●「名入りうちわ」配布中

先日ログ、5月21日の「ネタ明かし」。

初夏の「「ミヤコ花街」を彩る風物詩、名入りの京丸うちわ。
弊亭では節目の年に作成し、初夏の御挨拶を兼ねて御贔屓さんにお配りしています。

で、今年は五周年。
「@」云う間に無くなった三周年の反省を踏まえ、結構多めに作ったのですが…。
果たして前回を上回る勢いで配布が進んでおりまする。
次回は2011年、七周年の折に作成する予定。

因みにうちわの表面は家紋入りの方、裏面は名入りの方。
是豆知識迄。

090522_001_2
「京丸うちわ」詳細に就いては下記参照の事。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/05/12_c16f.html

←「小丸屋さん」リンクはサイドバーにて。 

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2009.05.24

●「北野をどり」替わります

本日は上七軒のオハナシ。

「ミヤコ春の催し」と云えば四花街の演舞会、所謂「を(お)どり」です。
四月一日より始まる祇園町「都をどり」を筆頭に、重複する形で宮川町の「京おどり」、上七軒の「北野をどり」。
立夏の頃には先斗町で「鴨川をどり」も御座います。

所処が来年より、「北野をどり」が前倒し公演になるとの知らせが。
変更後の開催時期は三月下旬から四月初旬迄の二週間。
今迄は四月に三花街の演舞会が重複しており、スケジュール的にはこの方が却って宜しいかも。
因みに来春からは下記の様な公演枠組に成増。

      |-三月---|---四月---|---五月
・上七軒        ・・・・・・  
・祇園甲           ・・・・・・・・・・・・・・・・
・宮川町            ・・・・・・・
・先斗町                        ・・・・・・・・・・・

と云う事は…。
弊亭も来年三月に備えて「白地に紅のつなぎ団子」提灯を設えなくてはなりません。

P2009051800039北野をどり、上七軒3月開幕に 
半世紀ぶり 甲部より一足早く

花街最古の歴史を誇る京都市上京区の上七軒が、毎年4月に開いている「北野をどり」を来年から3月に前倒しして開幕することを決めた。京都の花街の踊りは、祇園甲部(東山区)の「都をどり」が一番早く4月1日に始まることが慣例化しており、それより早まるのは半世紀ぶりだ。近年は桜の開花が早まっているが、華やかな芸舞妓の舞台でも春の訪れが一足早くなる。
北野をどりを主催する上七軒歌舞会によると、来年の日程は3月下旬から4月上旬までの約14日間を予定している。例年の4月中旬から下旬より2週間ほど繰り上げる。
会場の上七軒歌舞練場は今月から、昭和初期に現在の建物になって以降、初めての大改修を行っている。年末に工事を終える予定で、来年の北野をどりが「こけら落とし」公演になることから、地元の北野天満宮の縁日に合わせて、3月25日に幕を開けることも検討している。
北野をどりは、初開催の1952年は3月25日が初日だったとの記録が残るが、少なくとも58年以降は4月開催が定着している。上七軒歌舞会は「原点に戻って3月に繰り上げることで『京都の春は北野をどりから』と言われるようになれば」と期待する。
一方、花街の踊りで最も歴史のある祇園甲部の都をどりは第1回の1872(明治5)年以降、3月に始まった年もあったが、1902(同35)年以降は4月1日開幕が定着している。北野をどりの開催日繰り上げについて、祇園甲部歌舞会は「各花街がにぎわうのは結構なこと」と好意的に受け止めている。
(文.写真共 京都新聞5/18
より)

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●「五周年」明けし後

「しっちゃかめっちゃか」な金曜日とは打って変わって、平穏無事な土曜日の営業。
久し振りに静かな一日を過ごす事が出来ました。
まぁ「記念の日」にはお誂え向き、偶にはバーカウンターの中で色々と思い起こす事もあるものです。

そんな風に「こっそり」五周年を迎えた心算でしたが、果たして果たして。
お花やらシャンパンやら和菓子やらお醤油やら…、色々とお祝いの品を頂きました。
と云う訳で、この場を借りて御礼迄。
「おおきにぃ~ ありがとぉございますぅ~

因みに私め、本日はササヤカな祝杯を挙げに湯島の某所へ行ってきます。

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2009.05.23

●「火迺要慎」.六枚目

扨、弊亭も本日より六年目に入ります。

とは云うものの、然して目新しい事をするでも有りません。
今迄と変わらず凡常にお勉めするだけです。
何せ屋号からして、「竹」だけに「並」なのが肝要かと…。

090522_004_2変わった事と云えば…。
そうそう、神棚の火伏祀符が一枚増えました。
連休中に「愛宕さん」に参詣し、戴いてきたものです。

そんな訳にて、引き続き御愛顧宜しくです。

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●謝辞.五周年

謹啓 弊亭も本日5月23日にて満五年を迎えることが出来ました。
まぁ「山」も「谷」も無く、只管ダラダラとした緩勾配の五年間だった様な気がします。

と云いながらも「不図」思い起こせば…。
この五年間、色々な事があったものでして。

例えば「個人的」な出来事では
 地元の昔から行き着けの店が数件畳まれ、トテモ悲しかったり、
 知り合いの若い子達が続々と独立したり、
 ツール中に鎖骨と頬骨を骨折したり、
 何時の間にか「不惑」を迎えようとしていたり…。

序で御膝元、「赤坂」の出来事では
 サントリーさん本社が埋立地に移転されたり、
 「赤坂をどり」が復活したり、
 キャピトル東急が閉館したり、
 「赤坂サカス」なるものが出来たり、
 街の多国籍化が益々加速したり、
 街の下流化も益々加速したり、
 100年に一度の「何とか」のお陰で空きテナントが増加の一途だったり…。

亦、最近では
 キヨシローが帰らぬ人となったり ・゚゚・(≧д≦)・゚゚・ …。

で、今日より六年目で御座います。
尤も弊亭を立ち上げた際、少なくとも此処で「三十年」お店を続ける事を目標としてやっておりますので、未だ道程は「5/30(+α)」。
従って「先は」まだまだ長いのです。

そんな訳でこの五年間、何らかの形で幣亭に携わって頂いた皆様に於かれましては、この場をお借りして厚く御礼申し上げると共に、今後とも変わらぬ御愛顧及び御指導御鞭撻を御願い出来れば幸いと存じます。

今日からも別段変わる事は無く、今迄通り分相応にやっていく所存にて。
酒司敬白。

01

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2009.05.22

●夏も近づ~く 八十~八夜♪

090521_004野~にも山にも若~葉が茂る(ヨイヨイ)♪

と云う訳で、遅れ馳せ乍ら事後報告。
今週初め、寺町二条より新茶が届きました。
例に由って「夏越祓」頃迄の供茶と成増。

因みに今月の御茶請けはと申しますと。
・胡麻八橋 (聖護院さん)
・金平糖 五種 (緑寿庵さん)
こんな所処です。

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2009.05.21

●「例のモノ」届きました

090521_003_2昨日、ミヤコは岡崎より「例のモノ」が届きました。

「例の日」に「ナニ」する「アレ」です。

指示代名詞計りで「何のこっちゃら」訳が解りませんが、「花街.夏の御挨拶」と云えば察しのよい方はお気付きの事でしょう。
そんな訳で少しフライング気味ですが、昨日よりの配布となっております。

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●節気.小満

昨日のトーキョー最高気温は29度超え。
今週に入り「五月晴れ」を通り越し、初夏を思わせる晴空が続いております。

そんな訳で、弊亭も此処数日は「引き戸」を開け放っての営業。
一足早く「初夏」の先取り風情です。
果たしてこんな事を云ってるうち、直ぐに「盛夏」もやって来るのでしょう。

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090520_005弊亭主戦「涼取」道具、手桶と柄杓。
今年も打ち水の宜しい時節の到来、これから暫く活躍してもらう事になりそうです。

尤も本日よりお天気は下り坂の様子、週末は雨模様らしいですが…

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2009.05.20

●染井「最盛」

今更乍のオハナシですが、弊亭の「お水」はミヤコの伏流水を使っております。

所謂「井戸水」と云うヤツです。

水源はと申しますと、御所東側は寺町通り沿いの「彼処」です。

従故、季節によって風味が異なります。

正直、チト硬かったり、雑だったりする季節もあったり致します。

では何時頃の井泉が、より「結構」かと申しますと…。

年間を通して、この時期(四月~六月入梅迄)の状態が最も良好。

甘味溢れる清水を「渾々と」涌き出す、甘露の砌。

差し詰め「華水季」と云った所処でしょうか。

そんな訳でウチのお水も只今「絶好調」で御座います。

0204121_007弊亭「お水の事」詳細はコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/05/post_44fc.html

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●ウヰスキー彼是.4

・THE BALVENIE CLASSIC
(750ml 43度 1970年代前半ローテーション)

090508_004_2

懐かしのブランデースタイルボトル。
オレンジキュラソーを髣髴させる濃厚な甘さ。
見事な迄の芳醇な熟成感。
以上。

因みにこの時期、「クラッシック」と謳われたバルヴェニーが幾つかのバリエーションがリリースされましたが、これはシェリー樽でフィニッシュしたものです。

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2009.05.19

●御霊祭

葵(賀茂.鴨社)、三船(車折社)に伏見、今宮、熊野、松尾、愛宕野々宮…。
「皐月のミヤコ」は洛中洛外不問ず神社「例祭」が目白押し。
これ等の殆どが、所謂「よそ行き」の観光中心的催しではなく、近隣市井.氏子たち「地元のお祭」だったりします。

その中でもミヤコ最古の歴史を有するのが「ごりょんさん」こと上御霊神社の御霊祭。
5月1日の神幸祭に引き続き、昨日は還幸祭(渡御之儀)が行われました。
今年は御所内神輿巡行が復活、何と140年振りとの事。
早良さん、逸勢さんらも何処かで御覧でしょうか。

後、散々記述済ですが、一応迄に「神社例祭基礎用語」。
神輿(神様)を本宮の外にお連れする「お出掛け」祭事が神幸祭。
神輿(神様)を本宮にお戻しする「お帰り」祭事が還幸祭。
お出かけ中に神輿が仮留、お休みになられる「みこしやど」が御旅所です。

P2009051800146140年ぶり 御苑に勇姿
上御霊神社・神輿巡行

上御霊神社(京都市上京区)の御霊祭(ごりょうまつり)が18日に営まれ、3基の神輿(みこし)が140年ぶりに京都御苑を巡行した。御苑では大勢の氏子が出迎え、京都御所北門に当たる朔平門(さくへいもん)前で神輿を差し上げて揺らす「神輿振り」に酔いしれた。
上御霊神社によると、江戸時代には公家や宮家の屋敷があった現在の御苑内を神輿が練り歩いたが、都が東京へ移った後の1870(明治3)年以降は御苑内の巡行が途絶えた、という。
この日夕方、3基の神輿は今出川御門から御苑へ入った。朔平門が特別に開かれ、その前で法被姿の担ぎ手が「ヨーサ」の掛け声とともに神輿を豪快に揺らした。小栗栖元徳宮司は「長年の悲願がかなって感無量です」と目を赤くしていた。
(文.写真共 京都新聞5/19
より)

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●大堰川「御船游び」

大宮人の舟遊地として名高い嵐山.大堰川。
嵯峨帝以来歴代多数の御幸があり、宇多上皇御幸の折には「観月宴処」として文献にもその名を残す由緒ある地です。

そんな家の近所にて、先日日曜日に「三船祭」が行われました。
「詩歌.管絃.舞楽」、三艘の龍頭鷁首が王朝絵巻宛らの優雅な「御船游び」を披露。
平安の御世には、行幸の度にこう云った宴が開かれたことでしょう。

「観月の名所」とした元来の性格上、宵宮なんぞを行って頂ければ尚興趣もあるのではないか、と。

P2009051700126平安の舟遊び 優雅に再現
嵐山で三船祭

平安時代の船遊びを再現する車折神社(京都市右京区)の「三船祭」が17日、嵐山・渡月橋上流の大堰川で営まれた。雨の中、船上で雅楽などが披露され、観光客が王朝の雅(みやび)に思いをはせた。
三船祭は、898年に宇多上皇が大堰川で船遊びをして以降、行幸のたびに船上で詩歌や管弦などを楽しんだことにちなみ、昭和天皇の即位を記念して1928年に始まった。
恒例の行列は雨で中止したが、大堰川では船遊びを行った。深緑を映す川面を雨粒がたたく中、竜頭船や稚児の乗る船など約20隻が繰り出し、舞や小唄などを奉納した。観光客は傘を差しながら、船上の優雅な遊びに見入っていた。
(文.写真共 京都新聞5/18
より)

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2009.05.18

●「今日の目出度き席を寿ぎて」

昨冬より数次に亘り更新している「赤坂金龍」さん情報、続篇です。

090517「花街赤坂」はみすじ通りに唯一残された、旧料亭「金龍」さん。
約四年の休業期間を経て先日金曜日、待ちに待ったリニューアルオープン。
目出度く営業再開の運びとなりました。

因みに14、15日の二日間は御贔屓さんを招いてのレセプションが行われた様子。
表口には各界様々な方々より送られた祝賀の花輪が、「老舗再開」に彩りを添えておりました。

今日より一般にも門戸を開けての営業です。
詳細に就きましては亦後日にでも。

090517_005黒塀には「三絃」「胡弓」「箏曲」等、御稽古処の掛札が。
そう云えば以前、「二階は日舞や三味線の公演を行う見込み」とのお話を伺っておりました。
お昼の時間で「お稽古」も始められるらしく。
昨今花街に於いて「地方さん」の人材難は赤坂に限らず共通の悩み事、その辺も御考慮されての案出でしょう。

地元民としては、散歩の折に「三筋」の音色が聴けるのが今から楽しみです。

尚、表題は長唄「寿」に因んだものにて。

「金龍」さん関連過去ログは
←サイドバー『■「金龍さん」関連』のウェブページ参照の事。

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2009.05.17

●「酒ほがひ」 御幸町仏光寺

瓦斯灯(東京)、KKKKKK(京都)で練磨を積んだ俊英が、満を持しての一本立ち。
今年二月オープン、ミヤコ「BARシーン」のニューカマーです。

陰翳が支配する薄暗い店内と、日暮刻の残照が眩い計りの坪庭。
夕刻五時に訪れた際の陰影コントラストからは一種の様式美すら感じられます。
従って開店直後の座席は引き気味が宜し。

と、まぁそんな訳で今後に「乞う御期待」。

Brcimage

・揺り椅子(暖炉付き)
下京区御幸町通仏光寺下ル 東側

BAR Rocking chair ロッキングチェア

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2009.05.16

●「ウェブページ」始めました

えー、何時もお世話になっております弊亭酒司です。

弊ブログ開設三年余り、大方の予想に反して日毎更新を続けている今日此頃。
で、いい加減その量も「莫大なもの」となって参りまして、記事の仕分けが『カテゴリー区分』けだけで追い付かなくなってきました。

そんな訳で、主題が同じものに関しては「ウェブページ」にて一括に纏め、サイドバーで「表題表示」する事に。

取敢えず四つ程の校正が終了、今後は「少しずつ」収拾していく予定です。

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2009.05.15

●賀茂の祭

斎王代発表から御禊儀、歩射神事、賀茂競馬、御蔭祭…。
約一ヶ月の前儀を経て、本日は「賀茂の祭」本祭でした。
所謂「葵祭」と云うやつです。

「京都三大祭」なぞと云った謳い文句の為、その真義が曖昧になりがちですが、本来の立ち位置は「賀茂社.鴨社」の例祭にて由緒正しき官祭。
それはこの時期に催される事からも明らかでして、四月~五月はミヤコ各社「例祭」真っ盛りなのです。

と云う訳で、今年の「賀茂祭」二題。
御日柄も宜しく五月晴れ、神事恙無く執り行われた様子です。

P2009051500088華麗 都に王朝の列
みやびやかに葵祭

京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。王朝装束をまとった511人が約1キロにおよぶ列をなし、若葉がまばゆい都大路を進んだ。沿道では3万5000人(正午現在、京都府警調べ)が優雅な行列を見守った。

上賀茂、下鴨両神社の例祭(賀茂祭)で、行列の装束や社殿にフタバアオイを飾ることから「葵祭」といわれる。道中の行列を「路頭の儀」、両神社の神事を「社頭の儀」と呼ぶ。
午前10時半、やわらかな日差しの中、本列(近衛使(このえづかい)代列)が京都市上京区の京都御所・建礼門を出発し、「御所車」と呼ばれる牛車(ぎっしゃ)が車輪をきしませて進んだ。
女官が先導する斎王代列(女人列)が続き、斎王代が乗った腰輿(およよ)が近づくと、京都御苑の観覧席からひときわ大きな拍手があがった。十二単(ひとえ)に身を包み、フタバアオイと金銀の金具で髪を飾ったヒロインを見つめる大通りの観客からはため息がもれた。
(文.写真共 京都新聞5/15
より)

P2009051500098斎王代 凛と映え
葵祭

日差し穏やかな初夏の15日、古式ゆかしい葵祭が京都で催された。緑が映える都大路、行列の最後を斎王代の女人列が進む。十二単(ひとえ)の斎王代はもちろん、小袿(こうちぎ)や打袴(うちばかま)の伝統装束をまとった命婦(みょうぶ)、采女(うねめ)も女性のあこがれの的。かつての斎王代の娘や姉妹も華やかに練り歩いた。

■祖父の励まし胸に
皐月(さつき)の空のようなすがすがしい表情で、斎王代の千万紀子さん(21)=立命館大4年、京都市上京区=は腰輿(およよ)に乗り込んだ。垂髪(おすべらかし)を飾る白い日蔭絲(ひかげのいと)が揺れる。「見晴らしがいいです。ちょっと緊張してきました」と笑顔を見せた。

万紀子さんは裏千家の千宗室家元の長女。高校生のころから、「斎王代に」との話があったという。「斎王代は若い女性が務めていたと聞いていたので、できれば学生のうちにやらせていただこうと決心しました」
水泳部に所属し、毎日2-3時間泳ぐスポーツウーマンだ。早朝、祖父の千玄室前家元に「行ってきます」とあいさつしてプールに出掛ける。前家元にとって、万紀子さんはただ1人の孫娘。「ちいちゃい時からかわいがって…。才気煥発(かんぱつ)な女の子に育ってくれた」と祖父は目を細める。
祭りを前に、斎王代が下鴨神社で身を清めた4日の御禊(みそぎ)の儀。十二単(ひとえ)の万紀子さんが御手洗池に向かう際、玄室前家元はスーツの胸ポケットから故登三子夫人の写真を取り出し、胸の前に掲げた。「晴れ姿をひと目見せたかった」と言う。
この日、祖父は久遠寺(山梨県)で献茶式を行うため、腰輿に乗った孫娘は見られない。「朝方、『おめでとう、頑張ってね』と電話がありました」と万紀子さん。祖父の励ましを胸に、斎王代は凛(りん)として都大路を進んだ。
(文.写真共 京都新聞5/15
より)

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2009.05.14

●祝?.5000万人突破

一昨日、2008年の京都市「年間観光客数」が発表されました

「東山.嵐山花灯路」「都の賑い」を筆頭に閑散期に各種催しを遍く段取り、更に重度リピーターは意図的に混雑期(桜花紅葉.宵山周辺等)を外して上洛される様になりました。
最早ミヤコに「シーズンオフ」は無い様子です。

以前記述済みですが、強いて「空いている時期」を挙げるならば…。

 ④万遍無く二月 (底冷えしますが、我慢出来ない程じゃありません)
 ③連休明け以降の五月 (意外に穴。新緑のミヤコは可也お勧めです)
 ②成人の日三連休以降の一月 (枯れた感じのミヤコも宜しくて)
 ①8/17(送り火翌日)以後の八月 (死ぬ程蒸し暑いですが…)


流石の「ミヤコ」もこの辺りは空いております。

後、余談ですが…。
何時ぞやか述べましたが市役所さん、私の帰京分(年間約30日)は観光客数のカウントからさっ引いといてください…。

P2009051300054観光客5000万人突破
オール京都で構想達成

京都市が「観光客5000万人構想」を2年前倒しで実現した。目標を掲げた当時は達成を疑問視する指摘も出ていたが、「産」と「官」、寺社など観光施設の連携が年々緊密になり、地道に施策を積み重ねた成果と言える。
「オール京都の成果。喜びを分かち合いたい」。11日、会見で門川大作市長は達成の要因として、各界の連携を真っ先に挙げた。

市内の観光客は長年、3800万人前後で推移していたが、観光をテコに経済活性化やまちづくりを進めようと、2000年に5000万人の数値目標を打ち上げ、翌年に構想を策定した。「当時は突拍子もないと受け止める向きも多かった」(市幹部)という。
しかし、この時期に、古都税問題などで対立が続いていた市と京都仏教会の和解が整い、観光社寺との連携強化で「十分、目標は達成できる」との目算もあった。和解と同時に仏教会が提案した「光の回廊」計画を生かし、東山で3月、嵐山で12月に開いている「花灯路」は、年間約200万人を集めるまでに成果が出た。

さらに、01年に策定した観光振興推進計画で、宗教界や京都商工会議所などの連携による誘客策や受け入れ態勢の整備など100以上の事業を盛り込み、国の「ビジットジャパンキャンペーン」も外国人観光客誘致の追い風となった。こうした攻めの事業展開によって、5000万人を達成したが、今後、数だけでなく観光の質を求める次期構想に焦点が移ってくる。
京都商工会議所は4月、京都観光の10年後を見据えた提言を市と府に提出した。観光業界は業種業態が多様で「振興に向けて一体感を持ちにくい」(立石義雄会頭)と指摘、連携から一歩踏み込み、けん引役としてオール京都での独立組織の必要性を呼び掛けた。

市は6月から新たな観光振興推進計画の策定作業を始める。経済界などの要請を受け、どうあるべき観光施策を構築するのか。門川市長は「観光は文化や芸術、産業、宗教、交通など都市の営みの総和が問われる」と数値目標だけでなく、「質」重視へと転換していく姿勢をみせた。幅広い連携を目指す「オール京都」で観光活性化の議論が新たにスタートすることになる。
(文.写真共 京都新聞5/13
より)

京都観光 5000万人突破
08年、外国人客急増 2年早く達成

京都市は12日、2008年に市内を訪れた観光客数が5000万人を突破した、と発表した。経済界や寺社などと連携したオフシーズン対策強化が効果を上げたほか、欧米を中心とした「日本ブーム」で外国人観光客が急増したとしている。2000年に10年後の達成を目標に掲げた「観光客5000万人構想」を2年前倒しで達成した。

08年の観光客数は5021万人で、前年(4944万人)より1・5%増えた。月別では12月が前年度比2・5%減となった以外伸びた。
外国人宿泊客数は94万人で、03年の45万人から倍増した。修学旅行生は101万人で前年比0・5%増と、少子化の中で100万人を維持した。この結果、5000万人構想を打ち出した00年に4051万人だった観光客が、8年間で約1000万人増えた。

5000万人達成の要因について、市は▽03年以降に東山や嵐山で始めたライトアップ事業「花灯路」や、特別公開の寺社を巡る「京の冬の旅」など観光客の少ない時期に仕掛けた催しが定着した▽06年から米国や中国などに情報発信拠点を設けて誘致活動に取り組んだ効果が上がった▽「源氏物語千年紀」の関連イベントが年間を通じてあった-としている。
門川大作市長は記者会見で「市民や寺社、経済界などオール京都の取り組みの成果」と述べた上で、観光振興計画を予定より1年前倒し来年1月に策定する考えを表明した。「見る観光から触れあう観光へ、今まで以上に『質』を重視したい」と語った。
(文.写真共 京都新聞5/12
より)

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2009.05.13

●「嵐峡館」現状報告.GW篇

えー、先日帰京の後日談。

以前から数度に亘りお伝えしている嵐山の老舗旅館「嵐峡館」さんに就いてです。
諸事情により一昨年春より休館状態が続いていましたが、昨年六月に軽井沢の「星野リゾート」さんが経営権を取得、業務再開に乗り出す事が決定しました。

プレスリリースでは営業再開は今夏頃との話ですが、上記プロジェクトの責任者(知人)に由ると、実際には秋から初冬頃にずれ込むとの事。

そんな訳でGW帰京の際、散歩序でに改装工事の進捗状況を覗いて参りました。

090505_024_2
【写真上】5月5日午後三時、渡月橋より大堰川を望む。
当日は大型連休真っ只中、嵐山一帯は可也の混雑振りでした。
川面に浮かぶは「ボート大渋滞」絵図。

090505_011
【写真左】「嵐峡館」さんの玄関口。
工事関係の搬入搬出をし易くする為でしょうか、スチール製のアコーディオン扉が設置されています。
連休中と云う事もあり当日は普請お休み中、人の出入りは皆無でした。
【写真右】「建築許可証」と「労災保険関係」の提示板。
事業期間は今年の11月30日迄と、前回訪れた際より工期表示が延びています。
矢張り再開は今冬以降になるのでしょう。

090505_012
【写真上】大悲閣入口側より母屋を望む。
改装中と云うより、老朽化した不要資材を撤去している段階でしょうか。
何せ明治期創業の古い旅館、その上二年程未使用ですから相当傷みが進んでいる筈です。
以前知人の責任者に聞いた所処、部屋数自体を削減(31室→20室程)するとの話でしたから、間取り変更の基礎工事からして大変そう。

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【写真上】保津川側より旅館を望む。
建物全面を防護ネットとスチールパイプが覆っています。
特に目立った外観造作はまだ見られません。

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【写真左】嵐峡館さんより保津川を望む。
渡月橋周辺の雑踏が嘘の様な静寂振りです。

渡月橋より嵐峡館迄は徒歩で約20分。
この辺りは「嵐山の奥座敷」と云うに相応しい、鄙びた余情が漂う佳景地です。
地元を離れる迄、私めの散歩ルートでもありました。

とまぁこんな所処にて。
関連過去ログを下記ツリーに纏めてみましたので、興味のある方はドーゾ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/09/post-b6dd.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/08/post_ccae_1.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/08/post_68aa.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/08/post_4253.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/11/post_d8fb.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/06/post_5cb1.html

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2009.05.12

●ウヰスキー彼是.3

TEACHER'S ROYAL HILAND12y (7/18 SOLD OUT)
(760ml 43度 1960年代前半ローテーション)

090508_006云わずと知れた古典的ブレンデッドスコッチ「ティーチャーズ」。
「ロイヤルハイランド」はそのスタンダード品「ハイランドクリーム」の長熟版として1968年にリリースされたブランドです。

ビターチョコ.ラムレーズン.カラメル…。
丸紅時代(70年代流通)のものはキーモルトのドロナックが効きまくり。
今時の「ダメダメ」シェリーのモルトに比べ、余っ程確りしたシェリー風味を楽しめます。

開封して約半年、コンディションも只今最盛にて。

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2009.05.11

●ウヰスキー彼是.2

OLD QUAKER RYE 16y (5/14 SOLD OUT)
(500ml 50度 1917蒸留/1933瓶詰)

090508_003_2オールドクエーカー社のライウイスキー。

禁酒法が米国全土で効力を発生したのは1920年1月16日~1933年12月5日間である為、禁酒法以前に蒸留され、同法施行中に瓶詰されたもの。
故にラベルには「MEDICINAL PURPOSES ONLY」の文字が記されています。
起源はペンシルバニア(らしい)も、1846年にイリノイに蒸留所が設立され、以後は同地で生産されていました。
因みに近年迄販売されていたものはシェンレー社(ルイヴィル蒸留所)のもの。

そんな御託は扨置、ライのスパイシーさの中に潜む穀物由来の甘さと上質なアルコールの旨味は、現行ライウイスキーと全くの「別物」です。

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2009.05.10

●「モヒート.ミントジュレップ」始めました

此処数日続いていた「皐月梅雨」も漸く一段落。
本日のトーキョーは久方振りの「五月晴れ」、青空に恵まれた週末を迎えております。

と云う訳で、弊亭でも「ミント物」コクテールの支度が整いました。

090508_002_2
「モヒート.ミントジュレップ」詳細はコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/08/post_7841.html

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2009.05.09

●続.雨上がりの夜空に

連休初日の5月2日、新幹線にて帰京した私めはその儘夕刻より飲み歩き「へべれけ」になっておりました。
その為忌野清志郎氏の訃報を知ったのは翌日の昼、初めは「ふーん、そうなんだ」位の心持ちでした。

それから二日後、木屋町二条の「某酒屋件バー」で飲んでいる際の事。
店内に設置されているハイビジョンからは在りし日の故人のライヴ映像が流し出されておりました。
楽曲を聴く度に、何故か色々なものが胸中込上げて参ります。
そして想い巡るのは後悔の念…。

「何でずーっと忘れていたのだろう」

此処で大学時分の追懐を在此語るのはハズカシイので止めときますが、カナシイキモチで「Daydream Believer 」をカラオケで熱唱した事もあるものでして…。
従い此処数日は故人のCDなぞを聴いているのでありました。

そんな訳で此処二日間、「ジンライム」を沢山作っておりまする。

090508_011・「お月さまの様なジンライム」
 ボンベイサファイア 45ml
 スクイズライム 少量
 粉糖 微量
 ブルーキュラソー 3dash

「雨上がりの夜」以外でもお出ししています。

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2009.05.08

●雨上がりの夜空に

只今金曜日の「雨上がり」乙夜頃。
弊亭のBGMであるラヂオからは懐かしいメロディが流れ続けております。
「オマエに付いてるラジオ~ 感度サイコー~♪」

【21:10~22:45 NHK FM/ミュージックライン 「忌野清志郎特集」】

69年生まれの私めにとりまして「RCサクセション」はリアルタイムでありました。
そんな訳で余りにも早逝だった故人へ、追悼の意を込めて。

生憎今宵、「ジンライムの様なお月様」は望めませんが…。

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●連休明けし後

連休明けの木曜日は一昨日よりの霖雨模様。
鬱陶しく降り続く「皐月梅雨」は日常に戻り滅入った心持ちをより一層憂鬱にさせるもの、街を行き交う人々の面持ちと足取りも重たげな様子です。

弊亭も昨日より営業再開、長期休暇の明け初日は悪天候も相俟って「どー考えても」暇に決まってる筈、と高を括っておりました、が。
果たして意外や意外、結構バタバタとしたものでした。

そんな長雨も漸く降り止んみ、雲間から青空も見えるようになった夕刻の金曜日。
扨果、本日の混み具合や如何に。

因みに週末のトーキョーは、打って変わって「五月晴れ」との予報です。

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2009.05.07

●立夏の嵯峨野にて

先日帰京の後日談。
私めミヤコに帰った折「如何にゆとりを持って」在京しているか否かは「鴨川と御所」、そして「広沢池」の滞在時間にその儘正比例するものです。

と云う訳で上洛最終日の火曜日は嵯峨野路をジョギングしておりました。
ルートは広沢池西岸から後宇多天皇陵.大覚寺を経由し一条通から児神社へ。
一周3kmの程好い距離を三周、クールダウンがてらにウォーキング一周。

その後はチャリンコにて、のんびり「嵯峨野逍遥」へと赴く事と致しました。

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【写真上】児神社より望む広沢池と遍照寺山。
云わずと知れた「観月の名所」ですが、「春には野花」「初夏には新緑」「晩夏には送り火と灯籠流し」「秋には紅葉」「冬には涸池」…。
大宮人も愛した「四季折々の景趣」が未だ残されています。

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【写真左】後宇多天皇陵辺りより望む嵯峨野。
北嵯峨から宇多野一帯は庭園業者さんが多く、資材の庭石が至る所処に山積みされています。
【写真右】同、北嵯峨外周道路の竹林。
野々宮周辺の竹林に比べ、手が行き届かないのか荒林が目に付きました。
因みにこの辺りの竹林は良質の筍畑でもあります。

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【写真上】北嵯峨.野焼き風景二態
田園の鄙びた風情は「さらなり」と謳われた嵯峨野の原風景。
関連過去ログは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/11/4_f896_1.html

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【写真上】立夏の野花、蓮華草と蒲公英。
大覚寺は名古曽滝跡にて。

090505_030【写真左】
奥嵯峨「端午の風情」

洛中でもすっかり見掛けなくなった鯉幟ですが、此処嵯峨野の農家ではよく目にする事が出来ます。

矢張り「空」の狭い所処では鯉も泳ぎ難いものにて。

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2009.05.06

●「鴨東」立夏風情

先日帰京の後日談。
私めミヤコに帰った折、「如何にゆとりを持って」在京しているか否かは「鴨川と御所と広沢池」の滞在時間にその儘正比例するものです。

と云う訳で上洛三日目の月曜日は「チャリンコ逍遥」がてら、鴨川で「のんびり」を決め込む事と致しました。
勿論「三種の神器(葉巻.珈琲.文庫本)」は必須持参にて。

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【写真上】大橋より見る鴨川デルタ。
「四月五月の鴨川」と云えば黄色一面のセイヨウカラシナ。
因みに地元では単に「芥子菜」と呼んでおります。

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【写真上】同、寄州と中州を二写、左は鷺も被写体に入れてました。
この三角州周辺の咲きっぷりは特に見事です。
しかし「菜花色」は写真に収めるのが難しいもの、色合いが飛んでしまいます。

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【写真上】京都市美術館より東山連峰を一写。
黄緑色と新緑のまだら模様、原因は年々増殖が目立つシイの木。
松や楢が枯死していく一方で繁殖力の強いシイは急激にその分布を拡げており、特にこの時季はシイの開花時期の為、その影響が露骨に見て取れます。
観光で来られた方々も、京都駅新幹線ホームから東福寺方面を見て頂くとお解り頂けると思います。

まぁ「恣意(シイ)」だけに「自分の思うが儘に振る舞って」繁殖するのでしょうか。
…。おアトの宜しいようで、チャンチャン。

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●「GW」上洛総括

えー、最終の「のぞみちゃん」にて只今東下した所処です。

今回の帰京は三泊四日「ぱたぱた」と過ぎ去って往ったものでして、実際ミヤコで「何を」してきたのかと申しますと…。

初日   飲んだくれてダメ人間と化す
二日目 山登り&ツーリングに勤しむ
三日目 新緑の川端で「呆~」としている
四日目 ランニングに勤しむ

…。別段キョートぢゃなくても良さそうなものでした。

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2009.05.05

●「賀茂祭」前儀二題

ゴールデンウィークもあと二日、列島彼方此方で帰省ラッシュもピークを迎えている様子です。
そんな中、連休中のミヤコでは「賀茂祭」前儀が着々と進行中。
三日には「流鏑馬神事」、四日には「御禊の儀」が恙無く執り行われました。

後は本日の「賀茂競馬」、十二日の「御陰祭」を経て本番を残すのみです。

P2009050400104厳かに「御禊の儀」
下鴨神社

葵祭を前に斎王代や女官役の女性らが身を清める「御禊(みそぎ)の儀」が4日、京都市左京区の下鴨神社であった。大勢の観光客が新緑の境内で繰り広げられる優雅な儀式を見つめた。
午前10時すぎ、斎王代の千万紀子(せんまきこ)さん(21)=上京区=は十二単(ひとえ)をまとい、50人の女官らと表参道の南鳥居を出発した。御手洗(みたらし)池に着くと、おはらいを受け、池に両手を差し入れて身を清めた。父親である裏千家の千宗室家元や祖父の玄室前家元らが見守った。
万紀子さんは「身の引き締まる思いです。緊張して(池の)手前に座り、手がぎりぎり届きました」と笑った。
御禊の儀は、葵祭の前儀式で1956年に復活し、下鴨神社と上賀茂神社が隔年で行っている。
(文.写真共 京都新聞5/5
より)

P2009050300136新緑射抜く一矢に歓声
下鴨神社 勇壮に流鏑馬神事

葵祭の道中の安全を願う下鴨神社(京都市左京区)の流鏑馬(やぶさめ)神事が3日、営まれた。新緑まばゆい糺ノ森(ただすのもり)には2万5000人が訪れ、大地を響かせ走り抜ける射手(いて)と馬の一瞬の技に目を奪われた。
下鴨神社の流鏑馬は、馬上から矢を射ることで道中の穢(けが)れをはらう神事として、飛鳥時代の7世紀ごろから受け継いできたとされる。明治初期に一度途絶えたが、1973年から復活し、毎年、この日に営まれている。
神前で拝礼を終えた射手が、全長約400メートルの馬場を一気に疾走。揺れる馬上から、3カ所の的を矢継ぎ早に射抜いた。約4メートル先の的に的中させる勇壮な姿に、観客席から大きな拍手と歓声がわいていた。
(文.写真共 京都新聞5/4
より)

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●【五月四日】昨日の出来事

09:00 起床 軽く朝餉 
10:00 チャリンコ出立 洛中散策&仕入れ
13:00 鴨川にて一服&読書
14:00 釈迦堂門前にて至宝の昼餉
15:30 嵯峨野散策
18:00  夕餉

19:30  飲み屋1 (木屋町二条 二階)
20:10 飲み屋2 (木屋町二条 一階)
21:20 飲み屋3 (間之町二条) 

22:30 帰宿 先日の教訓を生かし、程々で切り上げる

明日は最終の「のぞみ」で帰東の予定。

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2009.05.04

●新緑と山藤

一昨日「愛宕詣」の続篇其の二。

下山後、清滝~高雄間のオフロード(東海道遊歩道)をサイクリング。
幽谷の立夏風情を楽しんで参りました。

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【写真上】清滝の渓谷風景二写。
新緑の翠葉を引き立たせる、晴れ渡った淡青空と清流の深碧。
清々しい迄の心地良さは、初夏ならではの景趣にて。

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【写真上】新緑の中に映える山藤三写。
実際はもっと綺麗に見えるのですが、写真だと淡紫色が飛んでしまいます。
藤花の色合いは嫋やかなもの。

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【写真上】山藤近景。
木の花は
「藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」

016【写真左】水々しい計りの翠楓。
と云う訳で、身も心も晴れ晴れとした約10㎞の「若葉狩り」でありました。

因みに紅葉頃「清滝~高雄間東海道遊歩道」のルポタージュはコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/11/post_80ca.html

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●「茜襷に菅の笠」

「な~つもちぃ~かづく はぁ~ちじゅ~うはぁ~ちや♪」

と云う訳で、只今宇治では茶摘みの真っ最中。
今年の茶葉は例年に比べ早育らしく、新茶の出荷も早そうとの事。
「初夏の香味」が届くのも、間も無くでしょう。

P2009050200091夏近づく 一番茶摘み
宇治

新茶の季節の到来を告げる「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」が2日、京都府宇治市宇治の京都府茶協同組合茶業センターで開かれた。かすりの着物姿で、手ぬぐいを姉さんかぶりにした摘み娘(こ)たちが茶畑で初摘みを行い、訪れた市民らに新茶がふるまわれた。
府茶業会議所などが、初茶摘みの目安となる立春から88日目のこの日に毎年開いている。センター内の茶園では、昔ながらのいでたちの茶摘み娘6人が、青々と育った柔らかな新芽を摘み取っては、手際よく手持ちのかごに入れていた。
今年は3月が暖かかった影響で、一番茶の萌芽(ほうが)が平年より4日早い4月2日だった。今後も温暖な気候が続くと考えられ、生育は平年より早くなる見通し。
(文.写真共 京都新聞5/3
より)

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●立夏の観桜

昨日「愛宕詣」の続篇にて。

「愛宕詣」の主目的と云えば霊験灼たかな「例の御札」を戴く為ですが、この時期に参詣するのには、もう一つ「大きなお目当て」があったり致します。

そう、それは標高924mならではの「鄙風流」。

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【写真上】本宮前「紳祠の森」の櫻群。
立夏の頃に愛でる桜と云うのも是亦「贅沢」なもの。
昨年よりは開花が早かったらしく、今年はそろそろ散り始め。
見頃は今週いっぱい位かと。

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【写真上】桜花近景三写。
「濃紅」「淡紅」「純白」…、色取り取りの山桜。

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「時節外れ」のこの景趣、4㎞強の道程を経た参詣者だけに与えられる「御褒美」と云った所処でしょうか。

と云う訳で、登山の疲れも和らぐ「立夏の観桜」でした。

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2009.05.03

●「愛宕詣」

五月三日のミヤコは絵に描いたような「五月晴れ」。
そんな絶好の行楽日和、帰京二日目の私めはと申しますとGWお決まりのルーティーン、愛宕さんへと参詣して参りました。。
勿論「火伏せの霊験灼か」為る「例のモノ」を戴く為で御座います。

尤もこの愛宕神社、その所在地を申しますと「右京区嵯峨愛宕町 壱」。
要するに御鎮座おはせまするのが愛宕山山頂でして、「参道=山一つ」なのです。

P1070129_2と云う訳で、今年も924mの頂に登って参りました。
今年の登頂タイムは59分17秒。
最後の本宮石段を全力疾走して「如何にかこうにか」の一時間切りでした。
まぁ、二日酔い気味にしては健闘した方です。


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【写真上】奥嵯峨鳥居元、新緑の楓と平野屋さん。
手前に見えるのが「一の鳥居」、旧来は此処より50丁(5454m)の道程を「愛宕詣」と云いました。

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【写真上】27丁目(七合目)より望むミヤコ市街。
参道中で最も見晴らしの良い所処、落語噺で有名な「愛宕山(かわらけ投げ)」の旧跡でもあります。

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【写真左】愛宕神社本宮一写。
【写真右】拝殿右の納札所。
少し古いのやら、大分古いのやら色々です。

因みに「愛宕詣.傾向と対策」は下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_2506.html

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●【五月二日.三日】昨日&今日の出来事

えー、只今帰京中。
草薙的な初日⇔健康的な二日目、両極端な生活を送っております。

【五月二日】
16:20 京都駅着 自転車組み立て
16:40 団栗橋で一服
17:00 寺町二条にて書籍購入
17:30 仕入れ関係色々

18:10 飲み屋1 (食前酒 縄手新橋上ル)  
19:30 夕餉会食 (祇園町)
21:30 飲み屋2 (何故か島原) ←既に疲れ始める。
23:00 飲み屋3 (御幸町仏光寺) ←この辺で止めときゃよかった...。
00:00 飲み屋4 (寺町二条) ←ダメ人間寸前..。

01:30 帰宿 ソートー気持ち悪い状態になっている

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【五月三日】
11:30 起床 午前中台無し 
12:00 二日酔いの中 無理矢理朝(昼)餉
12:30 愛宕さんに向けて出立 

13:00 清滝着 愛宕さん登頂開始
14:00 愛宕神社本宮到着  ←登りタイム59:17 酒気はすっかり抜ける
14:40  火伏御札授与 下山開始
15:20  清滝~高雄間 東海道遊歩道MTBトレイル
17:00  広沢池で一服

18:00  夕餉
20:00 お茶&読書  ←今ココ。  
23:00 明日に備えて寝る(予定)

明日は「ツール.ド.キョート&鴨川で読書」の予定。

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2009.05.02

●御留意

本日5/2(土)はお休みと成増ので御留意下さい。

そんな訳で今日から五連休、昼過ぎより上洛致します。

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●床開き

ミヤコ立夏の風物詩と云えば「尾上の桜(鴨川をどり)」と「加茂の早床(皐月床)」。
連休中の事も相俟って、五月上旬の先斗町は慌しそうです。

尤も今年の川床は「鴨川条例」の件もあり、床出しのお店さんも色々御苦慮な御様子。

「鴨川納涼床」関連過去ログはコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/04/post-01ab.html

P2009050100177鴨川で納涼床開き
祇園囃子が花添える

京に初夏の訪れを告げる鴨川の「納涼床開き」が1日、京都市内で行われた。料理店のなじみ客や観光客らが川面からの風を受け、「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)の音色を楽しんだ。
この日の市内の最高気温は24・8度と、日中は汗ばむほどの陽気に包まれた。中京区の料理旅館「幾松」では午後6時半ごろ、ぼんぼりが川沿いを照らし、待ちかねた客がビールや京料理を楽しんだ。祇園祭の長刀鉾の囃子方約30人がお囃子を披露し、舞妓さん2人も接待した。
初日にオープンしたのは、京都鴨川納涼床協同組合94店のうち86店。6月15日に全店が出そろい、9月末まで開かれる。
(文.写真共 京都新聞5/1
より)

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2009.05.01

●「鴨川をどり」はじまりました

ミヤコ花街「春.演舞会」の殿りを飾る「鴨川をどり」が本日より開幕。
「皐月床」と並ぶ先斗町「立夏風物」でもあります。
下記事は昨日行われた前夜祭の様子にて。

「鴨川をどり.衣装合わせ」の様子は下記参照の事。
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/04/post-6f52.html

P2009043000211情感たっぷり 女歌舞伎
鴨川をどり前夜祭

新緑の京を彩る「第127回鴨川をどり」の初日(5月1日)を前に、前夜祭が30日、京都市中京区の先斗町歌舞練場であった。
公演は2本立てで、第一部の「艶競(はでくら)べ女歌舞伎」は、出雲の阿国から数年後の都で大流行した女歌舞伎をテーマにした新作舞踊劇。華やかな歌舞伎風の舞台衣装に身を包んだ芸妓たちが、若い男女の恋模様を情感たっぷりに演じた。
第二部は、四季折々の風情を舞踊でつづる「京都四季ごよみ」。桜舞う春の鴨川を舞妓たちが愛らしい踊りで表現した後、芸妓がしっとりと踊る「大文字」、狂言風の「紅葉狩」と続き、フィナーレはアヤメの花を手にした芸舞妓の総踊りで招待客を楽しませた。
24日まで。先斗町歌舞会Tel:075(221)2025。
(文.写真共 京都新聞4/30
より)

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●表構え.「都千鳥」

F_005扨、月替わり五月です。

ミヤコの「をどり」も本日より先斗町開幕。
弊亭軒端の灯りも「つなぎ団子」から「都千鳥」へと模様替えです。

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