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2009.07.28

●「ルネ・ラリック」展

01_2昨日は昼過ぎより六本木へ。
国立新美術館は「ルネ.ラリック」展に行って参りました。
因みに展覧会正式名称は『生誕150年ルネ.ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ』展…。長っ。

正直「ラリック展」と云われても然程目新しさを感じないのですが、それは恐らく「アールデコ」「近代ガラス」関連の展覧会でよく目にするからかも知れません。
実際、ラリック単独での大規模な展覧会は2003年(大丸ミュージアム)以来。
よーく考えてみれば六年振りなのです。

しかも今回の展示作品数は約400点、前述大丸の「ラリック展」では約250点でしたから、比肩して本展の力の入れようも判るものでしょう。
更に今回の「ラリック展」は、出展量のみならず質の面に於いてもこれ迄と一線を画する内容となっています。

興味深いのは比較的「さらっ」と流されがちな、前半生(~1910年頃)のジュエリー宝飾品が可也豊富に展示されている事。
ラリックの作品を時系列的に俯瞰する上で、アール.ヌーヴォー期(「ガラス作家」以前)のラリック作品は非常に重要なもの。
ルネサンス、バロック.ロココは元よりイスラム、ケルト…、そして「ジャポニズム」。
「様々な国」の「様々な時代」の芸術様式の影響を受け、次時代(アール.デコ)への新しい道筋を切り開いた過程を窺う事が出来ます。

亦、作成に当たってのデザイン画.修作も多く展示されており、作品と見較べてみると如何にデザイン下地が精巧に造形化されているかが解るもの。
優れた「デザイナー」であると同時に「プロデューサー」としての彼を垣間見る事が出来ます。

勿論ラリックの真骨頂とも云うべき「アール.デコ」作品も数多展示されています。
ラリック作品の代名詞とも云える「オパルセントガラス」「ロストワックス」「パチネ」の技法を用いたフラワーベースやボウル、プレート。
アール.デコ博パビリオンで展示されていた作品の数々。
史上最強の工芸ガラスコラボレーション、コティの香水瓶。
その他諸々…。

そんな訳で此処数年のガラス関連展覧会の中では、2005年に江戸東京博物館で開催された「エミール.ガレ」展と並びハイボリュームなものでした。

尤もガレ展に比べ「脳内&視覚」疲労困憊状態にならなかったのは、ラリックの作品があくまで使用実地に伴ったものだからでしょうか。
精巧な装飾技法や可塑.透過性の美しさに感嘆し心惹かれるものの、その立ち位置は「産業工芸ガラス」。
何せガレの作品の場合、「観念の魂塊(物を云うガラス)」。
訴えてくるものが多過ぎて重過ぎて、下手すると生気を吸い取られかねません。

とまぁこんな所処でした。
尚、「ガラス工芸様式.作家」その他詳細に就いては下記弊サイトを参照に。↓
http://bamboo-bar2.cocolog-nifty.com/
「ルネ.ラリック」の項だけ、一応コピペしておきます。

【Rene Lalique】

云う迄も無く、アールデコのみならず近代を代表するガラス工芸界の巨匠。
ラリックについては研究書としても幾百の出版物が出され、簡単に解説を加える事は難しい。従って彼の極々簡単な履歴と、ガラス作家としての功績を辿ってみる事にする。

1860年 4月6日、パリの東に約120km、シャンパーニュ地方のマルヌ県アイにて生誕。
1876年 父親死去。16歳で宝飾技師ルイ.オーコックの元で働く。
1878年 ロンドンに渡り、2年間美術学校でデザインを学ぶ。
1880年 パリに帰国。二年間、宝飾デザイナーとして働く。
1882年 宝飾デザイナーとして独立、各杜にデザインを提供し活躍。
1886年 宝飾工房を買い取り、自ら実作を始める。
1889年 パリ万国博覧会に出展。(29歳)
1890年 宝飾部品として、鋳造ガラスを手掛けはじめる。
1898年 パリ郊外にガラス工房を設ける。
1900年 パリ万国博覧会に出展。その後も数々の博覧会出展や製作依頼が続く。(40歳)

ラリックはアールヌーヴォー期には宝飾デザイナーとして活躍した。
1889年のパリ万国博覧会に出展し注目を浴び、その後数々の展覧会やサロンで名声を高める。1900年のパリ万国博覧会では100点以上の作品を出展し、賞賛の中で宝飾作家としての地位を不動のものとする。
この頃の作品はやはりアールヌーヴォーらしく、今までの既成概念を打ち破った材質や細工を用いていた。また、彼がこの時期までに培ったデザインの技法、ガラスの製法技術は、後のガラス作家への転身の際に大きく役立つ事になる。

1908年 香水商フランソワ.コティとの共同関係が始まる。
1909年 パリ南東コーム.ド.ウィルにてガラス工場を構え、ガラス製品の生産に入る。
1911年 ガラス作品への比重が増えていく。
1912年 ガラス作品のみの展覧会を自営店で開催、この後宝飾作品の製作を放棄する。
1914年 第一次対戦勃発。同年から1918年までガラス製作を休止


1907年にラリックの後半生の運命を決定づける、香水商フランソワ.コティとの出会いがあった。
コティはラリックに香水瓶のパッケージデザインを依頼、これを期に本格的にガラス製作に入り込む事になる。今までの一点ものの宝飾品とは違い、量産品の香水瓶という商品自体が、あたかもその後のラリックの方向性を暗示している。そして1907年を最後に、彼は宝飾作品から離れ、ガラス作家一筋に取り組むようになる。

1918年 第一次大戦終了。
1921年 アルザスロレーヌ地方に第二工場を設立。ガラス製作再開。
1925年 現在装飾美術産業美術国際博覧会出展、ガラス工芸.工業部門代表を務める。
1926年 「ルネラリック杜」設立


第一次大戦により操業休止を止むなくされたラリックだが、戦後翌年には近代設備を整えた大規模な第二工場を設立、生産を再開させる。それまでの宝飾作家としての知識と技術に加え、新たに開発した技法など全てをガラス製作に注ぎ込み、以後次々と作品を発表していく。
そして1925年のアールデコ博では工芸作品の出展以外に、自身のパビリオンの他、各パビリオンの内装、ガラス製の大噴水など室内外を問わず大規模な作品を発表、大成功を収めた。こうしてアール.デコ期を通じ、ラリックがガラス工芸界に与えた影響は限りなく大きいが、大別すると以下の通りであろう。

ラリックの革新性は、当初から品質の高い量産品を造ることを念頭においていたことに挙げられる。
アールヌーヴォー期の殆どの作家達が、作品の近代化に相反して、手作り志向による一点製作主義から脱却出来ずにいたのに対し、ラリックはガラス工芸を同時に産業として捉え、自らはデザインを担当、生産は機械化された工場で、と工程を明確に分離した。ガラスの手工業的生産を近代的生産システムヘと脱却させたのである。
そして作品を大量生産とすると同時に、エミール .ガレらが築き上げた「美術工芸品」としてのガラスの価値も継承していく。デザイナーとしてラリックは、ガラスの特性を最大限に引き出し、なおかつ独創的で時代の最先端の造形を生み出していった。同時に、素地にはセミ.クリスタルガラス、成型にはプレスや型吹き、という風に、量産に適した素材や技法の開発を続け、高品質な工芸作品を生産していく。また博覧会用などに、自ら手掛ける一品製作も並行していくが、生産品とは一線を画した形で行われた。
こうした生産システムの確立により、ガラスの用途が新しい分野にも拡がっていく。異なるガラス素地や装飾のものを様々なバリエーションで大量生産出来ることで、今までには無い、未領域へのガラスエ芸の進出が可能となった。テーブルウェア、シャンデリア、花瓶といった既存の分野に加え、コンポート、モニュメント、船舶や列車、教会など室内外を問わない大規模な装飾、更にはカーマスコットに至るまで様々な領域に可能性を拡げていった。しかもそこには量産品としての品質劣化は見受けられず、優れた美術作品としての価値も並存していた。

ラリックの技法的特徴については諸誌を参考にしていただきたいが、作品の大きな特徴は素材、装飾共にガラスの透明性を最大限に活用したことであろう。
素地には透明クリスタルと、半透明ないしは乳白色のオパルセント .ガラスの組み合わせを好んで多用する。色ガラスを用いる際にも色彩をぼかし、極力透明感を表現する。装飾にもサチネ、パチネといった色、光沢表現を主とした技法でガラスに更なる奥行き、立体感を与えた。
こうしたラリックの作品は、光の調度で色彩、透明感、輝度が微妙に変化し、独創的な質感を持つ。そこには優れたデザインからくる造形美に加え、ガラスのみが持ちうる、重厚さ、はかなさ、神秘性などといった、素材からくる美しさも秘められていた。

1939年 第二次大戦勃発。ガラスエ場停止。
1945年 5月5日、85歳にて永眠。息子マルク.ラリックが後継となる。


アールデコ博後も精力的な制作活動を行っていたラリックだが、1939年の大戦勃発により二つの工場はドイツ軍に接収され止むなく休止、その後本格的な活動に入ることなく1945年にこの世を去ってしまう。
ラリックの築き上げた業績は、1950年代を代表する工芸作家として活躍した息子マルク、さらにその娘マリークロード・ラリックによって継続されていた。

が、経営とアートディレクションを担っていたマリーは1994年に自社株を売却、1996年には完全に事業から撤退し血縁者による経営は終わりを告げた。ラリック社は現在ポシェ社の傘下に入っている。
しかしラリック社の芸術性と実用性に富んだ作品は今尚高い人気を誇っており、植物、動物、女性像などのモチーフを、クリアとフロステッドによる対比で柔らかく表現する手法は同社独特のものである。

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