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2009.09.30

●四国漫遊記.「讃岐国.女木島」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、四日目高松篇です。

前日は昼二時過ぎに高松着。
(昼うどん)→「高松城見物」「丸亀城見物」→(夜うどん)→「飲み屋二件」→(宵うどん)
と結構な強行軍にて疲れたのか、十時頃には就寝致しました。
翌朝は七時に起床、駅周辺から栗林公園迄を「朝散歩(&朝うどん)」した後に当日の遊山先を決める事に。
予定では「金毘羅参り」の筈でしたが、ホテルロビーの観光案内本をパラパラと捲っていると、「海の彼方」に触手をそそられる所処が見付かりました。

そんな訳で急遽目的地変更、目指すは「鬼の居る島」女木島。
以下はその際のスナップ集にて。

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【写真上】高松港よりフェリーに乗船、一路女木島へ。
何せ「ミヤコ」には海が無いものでして、海は何時見ても「ワクワク」、船は何時乗っても「ドキドキ」するものなのです。

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【写真上】瀬戸内一写、手前の船は小豆島行き「オリーブライン」。
そう云えば「新漬けオリーヴ」の季節も近づいて参りました。

乗船後二十分程で女木島に到着。
因みに「女木島」は高松沖合4㎞先に浮かぶ、周囲8.9km.人口約200人の小島。
隣の「男木島」と併せて「雌雄島」と呼ばれています。

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そんな訳で「御出迎え二体」。
【写真左】何故か「モアイ像」。一体だけ居ました。
【写真右】当然「鬼っ子像」。島内至る所処に居ました。

女木島港からはバスで海抜188mの山頂、鬼ヶ島洞窟へ。
嘘か誠か観光戦略か「桃太郎伝説」発祥の地、鬼の隠れ家と云われる洞窟です。

090923_029_2【写真左】鬼ヶ島洞窟入口。
天然の洞窟では無く、人の手により作られたもの。
平安時代に瀬戸内海を跋扈していた海賊の巣窟だったそうです。

尚、穴高直径は洞窟内外2mありません。
気を付けないと頭打ちます。

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【写真上.左下】洞窟内二写。
入口から出口迄は約450m、暑い日に来ると「冷んやり」してて気持ち良いです。
因みに洞窟内には野生の蝙蝠が「フツー」に飛び交っておりました。
【写真右下】桃太郎と鬼さん達。
「宴の間」「牢屋跡」等、至る所処に「鬼さん達」の姿が見受けられました。
ユルめで安っぽい展示物は「温泉街の秘宝館」を彷彿させるもの、「昭和の観光地」的なダメさ加減が中々「グー」な感じでして。

洞窟を出た後は、徒歩数分の場所にある景勝地「鷲ヶ峰展望台」へ向かいました。

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【写真上.下】鷲ヶ峰展望台より二景。
上は島部西方、瀬戸内の島々を眺む。右手前は屋島。
下は島部南方。奥には高松湾岸「サンポート」を望む事が出来ます。

瀬戸内の眺望を愛でつつ紫煙一服。
港への帰路は2.5kmの下り道、「のんびり」歩いて戻る事と致しました。

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【写真左】下山途中にある「円山古墳」。
古墳時代後期に築造された盛土円墳だそうです。
【写真右】同、「住吉神社」。
この辺り迄来ると、空気の匂いが「山の香り」から「海の香り」へと変わってきます。

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【写真上】「オーテ」一写。
島の海岸沿いでは季節風が強く、風害.塩害から住居を守るために「オーテ」と呼ばれる防風石壁が設けられています。
写真の通り、石垣には新石と古石が入り交じっており、可也昔から補修を繰り返して使われている事が分かります。
島内では住宅石垣以外にも「段々畑の棚垣」や「道路の路垣」等、至る所処このオーテを見る事が出来ました。

因みに石材には島内で採取される安山石(黒石)と、讃岐五剣山周辺で採掘される花崗岩(白石)が併用されています。

090923_037そんな訳で、昼過ぎには再びフェリーに乗船。
男木島に寄航後、折り返し高松港へと戻る事に。
【写真左】男木島より望む女木島。

結局高松へ帰港したのは二時半頃。
「昼うどん」の後は栗林庭園へと向かいました。

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●四国漫遊記.「讃岐国.丸亀城」

えー、先週シルバーウィークの「伊予二名洲」旅行記、三日目高松続篇です。

高松城を後にしたのが15時過ぎ、宿に入るにも夕餉の時間にも早過ぎます。
そんな訳で旅路の予定を前倒し、翌日訪れる筈だった丸亀城迄足を伸ばす事と致しました。
以下はその際のスナップ集にて。

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【写真左】北堀石橋より望む大手門。
【写真左】枡形より望む一ノ門。
手前の高麗門が二ノ門、右奥の櫓門が一ノ門。
共に寛文期の造営で江戸様式の建築ですが、築城時の城郭遺風を残しています。

090923_014【写真左】御殿表門
薬医門は城郭建築より、寺社建築や武家屋敷に良く見られるもの。
と云う訳で、此処から先は嘗ての藩主居館。
お屋敷の表門に当たります。

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【写真左】三ノ丸石垣
内堀から天守迄に至る迄、城内の石垣は四層に亘って詰み重ねられており日本一の高さ(約60m)として有名です。
写真は「見返り坂」より見た三ノ丸北側の石垣、「三日月勾配」とも謳われ反曲線が最も美しいとされる所処。
写真ではアングルが良くないですが、ホントはもっと綺麗な反りを描いています。

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【写真左】天守閣二写。
1602年(慶長7)築造、所謂「オリジナル12」の一つ。
三層三階、高さ15mと現存のものでは最も小規模な天守閣です。
但し四層石垣上に築造されている為、城下から見上げた天守容姿は実寸以上の大きさを感じさせ、その偉容は中々のものでした。

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【写真左】本丸より望む丸亀港と市街。
周辺には主だった山林も無く、丸亀城天守からは四囲が一望出来ます。
従ってこの「亀山」に築城したのは戦の為の確信犯、至極納得したものでした。

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【写真左】大手門から見上げる天守閣。
帰路の折、不図振り返ってみたものです。

そんな訳で一時間半程の丸亀滞在、七時過ぎには高松に戻って再び「うどん行脚」。
因みに丸亀駅の発着メロディは「瀬戸の花嫁」でした。

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以下余談。
私めの専門分野は寺社建築と庭園史なものでして、正直城郭建築に関してはそれ程造詣が深くもありません。
亦、個人的嗜好として「喧嘩する為の建物」には余り興味が湧かないのも事実です。

只、今回訪れた「松山城」「高知城」「丸亀城」は平山城の中でも結構堅固な城郭を誇り、戦国末期の遺構として「喧嘩する気概」が充分に感じ取たものです。

本来の目的を見失って「戦の役に立たない」上に、美しさに於いてもにお武家さんの「悪趣味甚だしい」御殿や庭園しか持ち合わせていない「平城」に較べれば、よっぽど「潔い」とも思えるのでした。

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2009.09.29

●「落柿舎」のこと

「落柿舎制札」
一,我家の俳諧に遊ぶべし、世の理屈を言ふべからず。
一,雑魚寝には心得あるべし、大鼾をかくべからず。
一,朝夕かたく精進を思ふべし、魚鳥を忌むにはあらず。
一,速かに灰吹を棄つべし、煙草を嫌ふにはあらず。
一,隣の据膳を待つべし、火の用心にはあらず。
右條々   俳諧奉行 向井去来

一,庭の柿実は速かに売るべし、野分は歓迎すべからず。
右條々   俳諧奉行 赤坂酒司

と云う訳で、うちの近所「落柿舎」の修復工事が終わったとの知らせ。
教訓、庭の柿は台風の来る前に収穫してしまいましょう。

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嵯峨、落柿舎の修復完了

京都市右京区嵯峨小倉山の草庵「落柿舎(らくししゃ)」の修復工事が終わり、一般公開を前に28日、報道関係者に公開された。かやぶき屋根や朽ちた床材が取り換えられ、美しい姿がよみがえった。解体の結果、現在の建物が江戸時代末期の建築と判明した。
落柿舎は、松尾芭蕉の門人の向井去来(1651-1704)の別宅で、芭蕉が「嵯峨日記」を記したことで知られている。1687年ごろに建てられたあと再建、修復してきた。老朽化を受け、作家や研究者らでつくる落柿舎保存会が昨年12月から初めて本格的に解体工事をしていた。
柱や梁(はり)、土壁は使用されているものをできる限り残し、屋根は1995年以来、ふき替えた。玄関や土間からは江戸末期のくぎやカンナの跡が見つかった。居関正二郎執事(66)は「今の建物は明治以降のものと思っていた。文化財的価値が高まることになるかもしれない」と話した。
一般公開は10月1日から再開される。有料。
(文.写真共 京都新聞9/28より)

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●「大ざらえ」二題

今月も残す所処、今日と明日の二日限り。
「長」月とは名計りにて九月の過ぎ行くのは早いものです。

そんな訳で来月からはミヤコ花街「秋の演舞会」も順次開幕。
下記事は昨日行われた「大ざらえ」、祇園町と宮川町の二コマにて。

P2009092800087本番さながら華やか「七福神」
祇園甲部、温習会前に「大ざらえ」
祇園甲部歌舞会の秋恒例の「温習会」(10月1~6日)を前に、けいこの総仕上げとなる「大ざらえ」が28日午前、公演会場の祇園甲部歌舞練場(京都市東山区)で始まった。
温習会は、芸舞妓が精進を重ねた芸を披露する場。今年は舞妓33人を含む121人が出演する。京舞井上流五世家元の井上八千代さんが「芸妓さんに舞(も)うてほしい」と振り付けた地唄「由縁(ゆかり)の月」が初めて上演されるほか、大曲「熊野(ゆや)」や「隅田川」、27年ぶりとなる上方唄「梅見船」、常磐津「廓(くるわ)八景」など多彩な演目が並ぶ。
大ざらえは、華やかな振り袖姿の舞妓13人が一列に並んで舞うおめでたい上方唄「七福神」から、本番さながらに行われた。八千代さんら師匠が客席から声を掛け、念入りに所作を指導していた。
温習会は連日午後4時開演。演目は日替わり。指定席8000円、自由席4000円。祇園甲部歌舞会TEL075(561)1115。
(文.写真共 京都新聞9/28より)

P2009092800150秋の「みずゑ会」 舞台げいこ披露
宮川町、10月8日から公演
京都五花街の一つ、宮川町歌舞会(京都市東山区)は28日、秋の舞踊公演「みずゑ会」(8~11日)を前に、宮川町歌舞練場での舞台げいこを報道関係者に公開した。舞妓たちが、舞やお囃子(はやし)のけいこの成果を確かめた。
みずゑ会は2006年、35年ぶりに復活した。今年は芸舞妓56人(うち舞妓20人)が日替わりで出演する。
全6曲中、地唄「荒れねずみ」と長唄「高尾さんげ」と、楳茂都(うめもと)流の曲を2曲上演する。特に、「荒れねずみ」はコミカルで珍しい群舞で、宮川町を代表する曲としてさまざまな場所で披露してきたが、同歌舞練場の舞台に登場するのは数十年ぶりという。
舞台げいこでは、舞とお囃子とも舞妓による上方唄「紅葉の橋」を披露。振り袖姿の舞妓たちがしっとりとした舞を見せた。
公演は連日午後4時開演。6000~2000円。宮川町歌舞会Tel:075(561)1151。
(文.写真共 京都新聞9/28より)

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2009.09.28

●四国漫遊記.「讃岐国.高松城」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、三日目高松篇です。

高知より高速バスにて移動、高松駅に到着したのは14:30頃でした。
観光案内所にて宿の手配を済ませた後は、軽く「うどん」タイム。
腹熟しがてらに駅の近隣をぶらついた後、向かっのは高松城跡「玉藻公園」。
以下はその際のスナップ集にて。

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【写真左】城郭の北岸、月見櫓と水手御門.渡櫓。
この辺りは嘗て高松港に接しており、水手御門は海からの大手門とも云うべきもの。
【写真右】月見櫓近景。
三層三階、櫓の一つとしては大規模なものです。
「水城」と云う城の性格上、船航の目印にもなっていたのでしょう。

尤も現存している城郭からは往時を偲ぶべくもありませんが。

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【写真上】披雲閣、表裏二写。
まぁ特にコメントも無い建造物と庭ですが、取敢えず写しときました。
右は書院内より見た石橋と灯籠、左はその石橋より見た書院建物。

090923_008【写真上】披雲閣庭園。
蘇鉄が植えてあったのでつい写してみました。
ミヤコに較べ温暖な地域だけあって、桂.外腰掛や西本願寺のものより生育は良い様で。

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【写真左】天守閣跡。
現在石垣解体修理中、天守復元に向けて調査も兼ねた工事らしく。
高松市は平成22年の着工を目指しているそうです。
【写真右】艮櫓。
月見櫓と同時期の造営、一層目の千鳥破風を覗けば規模.様式とも粗同様。
別の場所より移築したものですが、違和感無く収まっています。

と、まぁこんな所処でした。
この後、思っていたより時間が余っていたので急遽旅程を前倒し。
翌日訪れる予定だった丸亀城へと向かいました。

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2009.09.27

●「21.0975km」09年秋.其の一

今日は朝六時に起床、上越新幹線にて東京駅より越後湯沢へ向かいました。
勿論この時期「スキー」に行く訳ではありません、秋のマラソン大会第一弾「越後湯沢秋桜ハーフマラソン」に参加する為です。                      

090927171935【写真左】7:11越後湯沢駅着。
冬になると数知れず「滑りに」訪れている同駅ですが、よく考えてみると「雪の無い越後湯沢駅」を見るのは今回が初めてです。
                        

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シャトルバスで八時半に競技場到着。
着替えと受付の後、軽くアップを済ませ九時半に競技スタートです。

コース設定は上記の様な感じ。
前半7kmは高低差約200mの登り坂、その後は緩急に富んだ下り坂が10km続きます。
下りコースは回りのランナーも飛ばしがち、「ついつい」ペースアップしたくなるのですが、此処で無理をするとコース最後の登り坂で足が云う事を訊かなくなるのが必定。
取敢えず前にいる集団をペースメーカーに、暫くは我慢の走りです。

14km頃からペースアップ、前方の集団をクリアした後は最後の4kmの登りでラストスパート、取敢えず中盤で抜かれたランナーは粗方抜き返しました。
トラックが見えてからは全力疾走、足腰.心肺機能の限界寸前で何とかゴールです。

そんな訳で走破タイムは1:34:34(オフィシャルでは1:34:37)。
今回目標のは35分台はクリアしましたが、大学時代のベスト29分台には及びません。
まぁ此処から「6分縮める」のは可也至難の技な気がします…。

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【写真左】「大会ポスター」。
大会タイトル通り、コースの途中では所々に秋桜が咲いておりました。
田園の稲穂は黄金色に色付き、畦道の薄穂は風に靡く。
新潟では、早や「秋の風情」が野山を彩っています。
【写真右】「完走記録証」。
胸の張れる成績でも無いもので、ゼッケンと名前はモザイクをかけときました。
スタッツ詳細は亦後日にでも。

完走後はアフターのお楽しみ、「こまくさの湯」でひとっ風呂。
その後は隣の蕎麦屋に駆け込み、真っ昼間から「打ち上げの宴」です。
「ハーフ完走」した上に「温泉上がり」なものですから、まぁ麦酒の美味い事美味い事。
CMが撮れそうな位、「グビグビ」喉を通ります。
「鮎の一夜干し」「舞茸天」と「せいろ」をお供にシアワセな昼餉時を過ごした後は「重い脚」で温泉街散策、夕刻にはトーキョーへ着いたのでありました。

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2009.09.26

●四国漫遊記.「土佐国.桂浜」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、三日目高知篇です。

二日目の夜は夕餉の後、飲み屋巡りも程々に早めに床に着きました。
御蔭で翌朝は七時起床、「トテモトテモ」健康的なルーティーンです。
そんな訳で土佐電にて「はりまや橋」から「桟橋通五丁目」迄乗車、朝の散歩も兼ねて桂浜へと「てくてく」散歩して参りました。

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6kmの道程をのんびり散策、50分程で桂浜に到着。
前日迄の炎天下とは一転、この日は夜雨上がりの曇天模様にて暑さも幾許か和らいでくれました。

【写真左】「坂本龍馬銅像」ぜよ。
取敢えず撮っとかないとね。

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【写真上】「桂浜」ぜよ。
雨上がりの早朝と云う事もあり、未だ人影疎らで御座いました。
この辺りからの眺めが一番のビュースポットだと思われるきに。

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【写真上】「下竜頭岬.海津見神社より二写」ぜよ。
「海無しミヤコ」人にとって、海は何時見てもワクワクするものです。

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【写真上】「土佐湾二景」ぜよ。
大海原を眺めながら珈琲と煙草で一服、「物想いに耽る僕なのさ」でありました。

こうして一時間半程、桂浜周辺を散策。
帰りは流石に歩く気もせず、バスにてはりまや橋迄戻る事に致しました。

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【写真左】はりまや橋一写。
滞在時間は15秒程、まぁ一応見とかないとね。
【写真右】おまけ一写。
はりまや橋北隣のお店看板、「御当地キティ」は全国各観光地にいるものです。

この後は少し早めの昼餉、「鰹」「鯨」は昨日散々食したのでこの日は「青さ」「どろめ」「ウツボ」なぞを頂きく事に。
そんな訳で昼時から「キモチイイ」軽酔状態な中、12:00から高速バスに乗車。
土佐を後に一路「讃岐国」に向かったのでありました。

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●四国漫遊記.「土佐国.高知城」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、二日目高知篇です。

松山より高速バスにて移動、高知駅に到着したのは13:30頃。
先日の教訓を生かし観光案内所にて早々に宿の手配を済ませた後は昼餉の時間。
麦酒を片手に「鰹と鯨」を鱈腹頂き、「テケトー」気持ち良くなったその足で向かいましたのは高知城。
以下はその際のスナップ集にて。

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【写真左】追手門一写。所謂城の正面口です。
築城時の遺風を偲ばせる天守閣と追手門(大手門)が両方現存している城跡は意外と珍しく、翌日に訪れる丸亀城の他僅数しか残っていません。
【写真右】二の丸より見る詰門
本丸と二ノ丸り間に掛けられた櫓門、まるで行く手を遮るかの様に建てられています。

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【写真上】天守閣二景。最上階は残念乍ら工事中でした。

所謂「オリジナル12」の一つ。
1747年(延享4)再建に由るものですが焼失以前のものを忠実に築造されており、桃山様式を偲ばせるに充分の佇まいを残しています。
四層六階.最上層に望楼風高欄が設けられているのが特徴、本丸内に御殿が隣接しているのも珍しい遺構です。
天守.御殿の他、本丸から三ノ丸にかけて多くの古建造物が現存しており、築城当時の城郭がほぼ完全な状態で残っている貴重な城跡です。

まぁその他、城史沿革に就いては公式HPかウィキ様にて調べて下さい。

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【写真上】天守閣より高知市街を望む。
「莫迦と煙」ぢゃありませんが、此処迄来たら取敢えず上っとかないとね。

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【写真左】山内一豊像。
そー云えば、数年前に大河ドラマでやっていた様な(見た事無いですが)…。
観光客らしく、一枚収めておきました。

とまぁこんな所処にて。
この続篇は、翌日の「桂浜篇」と成増。

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●四国漫遊記「伊予国.道後温泉周辺」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、二日目松山続篇です。

前述ログにある様「宿無し→ホームレス→ネット難民」となってしまった道中初日。
浅い眠りから覚めたのは午前五時半、御蔭でヒジョーに「感慨深い 感慨不快」二日目の朝を迎える羽目となりました。

取敢えずは眠気覚ましも兼ねて「温泉でひと汗流したい」もの。
そんな訳で「伊予鉄」始発にて松山駅前より道後温泉へ向かう事と致しました。

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【写真左】松山駅より乗ってきた伊予鉄「路面電車」。
地元京都で慣れ親しんだ「らんでん(京福電鉄)」でを思い出させるものです。
【写真右】道後温泉駅に展示してある観光用の「坊ちゃん電車」。
云われてみれば「マッチ箱の様な」気がしないでもありません。

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【写真左】朝6:40頃の道後温泉本館、「雑踏惨況の図」。
【写真右】枝垂れ柳を手前に「住田の温泉宿」一写。

早朝にも関わらず、切符売り場には約300人程の入浴客が列を成していました。
で、よく見てみると半数以上は旅館の浴衣を羽織ってます。
 「と云う事は殆どは近隣の宿泊者が「朝風呂」に訪れている様子」。
 「と云う事は殆どは朝食の時間になると一旦宿に戻る筈」。
 「と云う事は九時頃に来れば今よりは空いている筈」。
うーん、何と云う慧眼。
と云う訳で「ひとっ風呂」浴びたいのは山々の所処も、此処は我慢我慢。
先に「伊佐爾波神社→石手寺」散策へ出掛ける事と致しました。

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【写真上】参道下より伊佐爾波神社を望む。
135段の石階段の向こうには楼門の姿が伺えます
【写真上】伊佐爾波神社、楼門正面より。
絢爛豪華な装飾からは桃山様式の遺風が感じられます。

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【写真左】廻廊右側より見る楼門と末社(常盤新田霊社)。
【写真右】同、本殿(1667年(寛文7)造営)。
楼門から廻廊を歩くと「八幡造」の朱塗本殿が間近に見られます。
社殿の建築様式としては流造派生系の一種にて、切妻造の本殿二棟(外殿と内殿)を屋根の軒先で連結し、両殿の間に相の間を設けた構造が「八幡造」の特色です。
但し本殿形式としては更に「権現造」へと発展していく過程のものとも考えられます。

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【写真上】散歩道一写。
伊佐爾波神社から石手寺迄は歩いて15分の道程、小川沿いには石橋と板塀で囲まれた民家が並んでいます。

早朝の冷涼な空気に射差す朝日も心地良く、「てくてく」と歩いて参りました。

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【写真上】石手寺仁王門。
今回の「伊予.土佐.讃岐行脚」、最大の目的がこの石手寺。
「じゃこてん」よりも「鰹のタタキ」「鯨料理」よりも「讃岐うどん」よりも楽しみにしていたものなのです。
何せ私めの建築書バイブルの一つ「寺社建築の鑑賞基礎知識(至文堂)」の巻頭解説で見て以来、何時かは訪れたい寺院としてずっと心に温めていた所処。
実際訪れて目にした古建造物の数々、伽藍の配置…。
中世真言寺院の有り様を偲ばせる史跡として、期待に違わぬものでした。
石手寺に就いては、後日改めて別ログを立てて詳解したいと思います。

この後、再び道後温泉本館に戻ったのが9時前。
若干の人込みは残ってますが、予想通り当初の混雑振りは解消されておりました。
と云う訳で、漸く念願の「朝風呂」に浸かり「旅路の汗」を流したのです。

090921_023【写真上】松山駅一写。
「温泉上り」の後は再び松山駅に戻り、遅蒔き乍らの朝食。
10時発の高速バスで「伊予国」を発ち、一路「土佐国」に向かうのでした。

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2009.09.25

●四国漫遊記「伊予国.萬翠荘」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、初日松山続篇です。
松山城見物の後は黒門口ルートにて下山、萬翠荘へ向かいました。
以下はその際のスナップ集にて。

1922年(大正11)、旧松山藩主の子孫久松定謨の別邸として築造。
設計は洋館建築に名にし負う木子七郎、松山市内では他に「愛媛県庁本館(1929)」「鍵谷カナ頌功堂(1929)」「石崎汽船本社(1924)」等も手掛けています。
因みにミヤコは京大西側「関西日仏学館」も彼の手に由るもの。

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【写真上】萬翠荘外観。
緑色銅版葺きの屋根にアイボリータイル貼りの壁面。
長方形とアーチ状のデザインを組み合わせたドーマー窓。
時代的にデコ様式の影響が表れていますが、そこはかとなく古き良き仏蘭西「ロココ様式」の香りも致します。
亦、左右非対称の外観設計も特筆すべきもの。

090920_007【写真左】玄関ホールより見る大階段とステンドグラス。

チーク材由来の風合いと柱の装飾は重厚そのもの、更にオフホワイト壁面とのコントラストが絶妙。
踊場に設けられたステンドグラスも外界からの調光を受け、より輝きを放っていました。

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【写真上】マントルピース色々。
シャンデリアやステンドグラス、柱に施されたデザイン等…。
室内装飾に見るべきものは多々ありましたが、今回はマントルピースを中心に見て廻りました。
大理石製の暖炉は全て異なったデザインで合計六基、上部に設置されている大鏡はベルギー製との事です。

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【二階 昭和天皇御朝食の部屋】
他の部屋が優雅なロココ調で装飾されているのに対し、一際異彩を放っていたのがこの部屋。
色彩は違えども、朝香宮邸の「ウインターガーデン」を彷彿させるものです。

西南の角部屋と云う立地もあり、眩い計りに自然光を取り込んでいました。

とまぁこんな所処にて。
この続篇は、翌日の「道後温泉篇」と成増。

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●四国漫遊記.「伊予国.松山城」

えー、先日「伊予二名洲」旅行記、一日目松山篇です。
前述ログの通り「酷い」過ごし方をしてしまった旅行初日ですが、正午に松山に着いて以降、数時間は精力的に市街を散策しておりました。
そんな訳で以下は「松山城」のスナップ集です。

松山駅から大街道を経て城下へ到着、取敢えずは東雲神社より山頂迄の登城道を歩いて登る事と致しました。
シカシ当日9月20日の松山市最高気温は約30℃、日差しもトーキョーより厳しいものでしてて「まぁ、暑いアツイ…」。
カメラのシャッターを切るのも面倒臭く、本丸迄は只管「歩く」のみでした。

090920_010【写真左】中ノ門跡より石垣一写。
登城口より徒歩15分、本丸手前迄来て漸くカメラを取り出す事に致しました。
手前は太鼓櫓、奥には小さく天守の姿が伺えます。

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【写真左】本壇石垣下西側より「北隅櫓」「南隅櫓」を眺める。
【写真右】同、南側より「南隅櫓」「小天守」を眺める。

本壇城郭の建物錬のうち、天守より西側のものは殆どが近年の復興建造物。
しかし多くの写真や図面などが残されていたのが幸いし、昭和40年代以降本格的な木造復元が行われ現在の姿となりました。
従って再建建造物も往時の特色を損なう事無く踏襲したものとなり、連立式城郭様式が忠実に復元された全国でも稀有な城跡と云えるでしょう。

まぁその他、城史沿革に就いては公式HPかウィキ様にて調べて下さい。

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【写真上】天守閣三景。
手前の紫竹門、三ノ門~一ノ門を経由して本壇に入ります。

090920_013【写真左】小天守最上階より天守間を望む。
所謂「オリジナル12」の一つ。
天守自体は1852年(嘉永5)の再建。
従い桃山建築様式の面影は薄く、江戸期のそれが色濃く表れています。

「漆喰」「瓦」「黒塀」のコントラストに、「入母屋」「軒唐」「千鳥」破風の三連アクセントが美しい。

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【写真上】天守閣より小天守と松山市街を望む。
左には芝ヶ峠、右には松山港を見渡す事が出来ます。
こういう景色を眺めていると「遠くに来たもんだ」と、漸く旅情に浸れるものにて。

暫く天守の階上で暑さを逃れ一服、その後は萬翠荘へと向かいました。

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2009.09.24

●松山初日「波乱万丈」

えー、先日の「伊予二名洲」道中記の雑談になります。
「シルバーウィーク」為る大型連休を利用しての三泊四日小旅行、私めにとっては今回の旅路が四国初上陸。
トテモトテモ「感慨深く」「有意義」な道中初日になる筈、でした。

所処が「悪い事」に「親譲りの無鉄砲さ」が重なり、更に「悪い事」と「甘い目算」が不協和音を奏でると云った具合にて、紆余曲折の「松山篇」になる破目に…。

その有様を時系列に綴ってみる事に致します。
「自戒の念」も込めまして…。

①【旅行当日は一睡も出来ず徹夜明けの朝を向かえる】
「朝に寝て昼起きる」仕事柄、急に昼型の生活には戻せません。
まぁコレは自業自得。


②【
搭乗していたJAL便が離陸滑走中にイキナリ停止する】
「電子計器の故障で云々…」のアナウンス、結局一時間弱遅れてのフライト。
当然松山空港到着時刻も遅延、当日の予定を大幅に修正せざるを得ません。
道中出だしから「イヤ~」な予感のするものでした。


③【炎天下地獄.四国は思っていた以上に「暑い」】
「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。(坊ちゃん.談)」
特に初日と二日目夏日の炎天下、長袖シャツでは暑くてたまりません。

ポロシャツでも買おうと松山三越に寄ってみたのですが、陳列商品は秋冬物のオンパレード。
黒やら茶色やらの長袖シャツかヂャケットしかありませんでした。


④【夕刻から飲んだくれ、早々に「ダメ人間」と化す】
「街の情報収集」の為に地元知己の飲み屋に立ち寄るも、端から徹夜明けの上に灼熱地獄。
飲み始めると制御が利かなくなり、小一時間でバーボン×5、ギネス×1を平らげる。

⑤【旅行先初日でホームレスとなる】
何時も通りの事ですが、今回旅行も宿は予約せずの出立。
現地観光案内所に駆け込めば「何とかなるだろう」と思っていたのですが、今回計りは「大甘」でした。
当日の松山は「宿泊施設全て満室.キャンセル空きも無し」…。
取敢えず「眠い」上に「酔っ払ってる」ので南堀端のベンチで仮眠をとる事に。
マサカ「不惑」にもなって旅行先でホームレスになるとは思っていませんでした。


⑥【旅行先初日でネットカフェ難民となる】

南堀端のベンチで熟睡より目が覚める。
「朝」になっていると嬉しかったのですが、残念ながら時刻は夜の9時過ぎ。
三時間程の仮眠では心身共に朦朧としている上に、朝まで「たっぷり」時間があり過ぎます。

そんな訳で、結局ネットカフェで一夜を過ごしたのでありました。
因みにこれが私め「ネットカフェ」デビューとなったものです。

090921_024と、まぁこんな感じの低鱈苦振り。

尚、上記飲み屋で袖振り合ったオネーサン。
宿の問い合わせをしてもらった上に、沢山の「愛媛みかん」と「書冊」迄頂きまして誠に有難う御座いました。
この場を借りて深謝申し上げる次第です。

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2009.09.23

●「伊予二名洲」旅記四日目

えー、「伊予二名洲」道中四日目。
と云う訳で本日全日程終了、只今トーキョーに着いた所処です。

何時もの事乍ら「お休み」と云うのは「@」云う間に過ぎてしまうもの、明日からは亦日常に戻って「お仕事お仕事」です。

まぁ兎に角、この四日間はハードワークにて疲れました。
そんな訳で本日も簡文のみにて失礼、旅記談は亦後日にて。

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2009.09.22

●「伊予二名洲」旅記三日目

えー、「伊予二名洲」道中三日目。
只今高松に着いた所処、今からうどんを食しに行ってくるじゃえ。

明日は丸亀.金毘羅さんを遊山した後、最終便で帰東する予定です。

取敢えず簡文のみにて失礼、旅記談は亦後日にて。

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2009.09.21

●「伊予二名洲」旅記二日目

えー、「伊予二名洲」道中二日目。
昼過ぎに高知到着、鱈腹「鯨と鰹」を食した所処じゃきに。

明日は桂浜を遊山した後、高松へ向かう予定です。

取敢えず簡文のみにて失礼、旅記談は亦後日にて。

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2009.09.20

●「伊予二名洲」旅記初日

えー、「伊予二名洲」道中初日。
今日は終日松山におったきん。

明日は道後温泉.石手寺方面を遊山した後、高知へ向かう予定です。

取敢えず簡文のみにて失礼、旅記談は亦後日にて。

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2009.09.19

●丹波様「御成ぁり~」

秋の「味覚の王様」にて「価格の暴君」マツタケ様。
その中でも更に「やんごとなき」御方、丹波様が錦に「初お目見え」となりました。
昨年よりやや早めの入荷です。

市中一般に出回るのはもう少し先になるとの事、尤も出回っても「どーにも」なるもんぢゃありませんが…。

P2009091800196大ぶり 丹波産マツタケ初入荷
京の専門店
京都の秋の味覚、丹波産マツタケが18日、京都市内の専門店に初入荷した。朝晩の涼しさで日中との気温差が大きくなり、例年より10日ほど早く大ぶりの見事な8本が並んだ。
この日朝に右京区京北町周山で収穫され、夕方に中京区の「とり市老舗」に入荷した。最大で重さ約120グラムあり、初ものでは大きめという。予約していた料亭などが早速、受け取りに来ていた。
ピークは10月下旬ごろまでで、最高級の贈答用は一盛り3~5万円で販売する。同店は「今年は雨も多く、質、量とも期待できそう」としている。
(文.写真共 京都新聞9/18より)

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●御留意

本日9/19(土)より23(水)迄、五連休を頂きます。

そんな訳にて明日より小旅行、ぜよ。

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2009.09.18

●「大阿闍梨さま」

昨日、天台密教創始の地は比叡山で、天正年間以降五十人目の「大阿闍梨さま」が降誕されました。

この「千日回峰行」、我等凡百の人知を超えた荒行の数々が七年間にも及ぶもの。
しかも「行の挫折」は即ち「自害」の掟、懐の短刀と白装束とはその覚悟を意味するものなのです。

「千日酒場徘徊行」すら満行出来そうにない私めでも「大阿闍梨さま」に頭を撫でてもらえれば、「釈迦如来さま」や「不動明王さま」の着物の裾くらいは拝めそうな気がするのですが…。

P2009091800043

光永圓堂さん「千日回峰行」満行
6年ぶり、戦後13人目の大阿闍梨

天台宗の総本山・延暦寺(大津市)に伝わる「千日回峰行」に挑んでいた光永圓堂(えんどう)さん(34)=同市、大乗院住職=が18日に満行し、最後の回峰を終えて明王堂に戻った。満行は6年ぶり、戦後13人目で、これをもって「大阿闍梨(だいあじゃり)」の尊称で呼ばれる。
光永さんはこの日午前2時、「行者谷」と呼ばれる無動寺谷を出発し、比叡山各所で礼拝しながら約30キロを巡った。午前8時すぎ、軽快な足取りで石段を駆け上り、明王堂前で最後の真言を唱え、信者に一礼した。「これからは他の人の行を導く役目に精進したい」と語った。
光永さんは東京都出身。1990年に得度し、2003年3月から千日回峰行に入っていた。 千日回峰行は、7年間で地球1周分にあたる約4万キロの行程を巡礼する。断食断水、不眠不臥(ふが)で明王堂に9日間こもる「堂入り」や京都市内を一日84キロ巡る「京都大廻(おおまわ)り」などの難行がある。天正年間(16世紀末)以降の記録上、光永さんが50人目の満行となった。
(文.写真共 京都新聞9/18より)

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2009.09.17

●「伊予二名洲.遊山」三日前

「シルバーウィーク」為る大型連休迄あと二日。

この大型連休、町場で商いを営んでいる我々の様な輩には「甚だ迷惑」なものではありますが、如何せん「お上」の決められた祝日なので致し方御座いません。
「居直り開き直り」、弊亭も暦通りのお休みを頂く事と致しました。

そんな訳で私め、日曜日より「未開の地」四国に飛んで参ります。

駄菓子菓子…。
往復のフライトチケットを入手したのは良いものの、道中逕路の決定が後手後手に廻り、未だ初日松山の宿が決まってない始末。

扨果、如何したものか。

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2009.09.16

●「4th Lot」

先週より調合.甕熟していた「偽.偽電気ブラン」が昨日完成致しました。
五ヶ月振りに作成した今回の「四番ロット」、やや酒精を上げてみました。

因みに「偽電気ブラン」とは遡る事大正時代、京都中央電話局職員の甘井氏が偶然に発明した「この世のものとは思えない程」の甘美なリキュール酒。
現在では平安神宮の西、京都夷川発電所近辺にて夷川(狸)一族が醸成しているらしいとの事です。

酒精   34.0パァセント
用途     飲料用アルコール
     (冷蔵シテ服飲スルノガ望マシイ)

主原料 ブランデー (ジャンフィーユ セプドール)
      ジン (エキュベル)
            ベルムゥート.ロッソ (カルパノ プントイメス)
副原料 チェリーブランデー (チェリーヒーリング)
      オレンヂキュラソー (グランマニエ)
      クリーム.ド.ペシェ (ドゥメーヌ サトネイ) 
      クリーム.ド.バナーヌ (エキュベル) 
      その他リカー、ハニー.各種ハーブ諸々…

関連過去ログ「偽電気ブラン工場」現場はコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_8cef.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_095c.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/05/post_7ddc.html

電気ブラン(本家本元)に就いては下記参照の事。↓
http://www.kamiya-bar.com/02.html

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2009.09.15

●「斎宮代」衣装合わせ

一昨日に続きましてウチの地元、嵯峨嵐山の話題。
来月18日に行われる野宮神社例祭祭事の一つ「斎宮行列」。
そのヒロイン「斎宮代」の衣装合わせが昨日行われました。

同地は平安の御世より、潔斎を終えた斎宮が伊勢下向に備え斎戒生活を送ったとされる「野宮」由縁の地。
従い所縁深いものにて、こういう催しは良いものぢゃないかと。

然乍らこの祭事、私め東下後に始まったものにて実は観た事が御座いません。

P2009091500038斎宮行列ヒロインに17歳・石原さん 
右京の野宮神社で衣装合わせ

伊勢神宮(三重県伊勢市)に向かう斎宮の行列を再現した「斎宮行列」のヒロイン・斎宮代に、京都文教高2年の石原夏子さん(17)=京都市右京区=が決まった。14日に同区の野宮神社で衣装合わせを行った。
斎宮は伊勢神宮に仕えた未婚の皇女で、かつて天皇の即位ごとに選ばれた。同神社付近に斎宮がみそぎのためにこもる潔斎所(けっさいじょ)が置かれたとされる。1999年から地元の斎宮行事保存会などが行列を催し、11回目の今年は10月18日に行う。
石原さんはこれまでの最年少で、斎宮の多くが10代だったために選ばれた。母の牧さん(47)に見守られ、十二単(ひとえ)に着替えた石原さんは、10年前に火炬小女(ひたきのしょうじょ)役で行列に参加した思い出を振り返った。「大きくなって参加できるのは光栄。英語を勉強しているので、外国の人にも見てもらいたい」と笑顔で話した。
斎宮行列は約100人規模で、正午に同神社を出発し、桂川川岸まで約3キロを巡行する。
(文.写真共 京都新聞9/15より)

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2009.09.14

●表構え「秋のをどり」

090913_009_2

来月からは、ミヤコ「秋の演舞会」も順次開幕。
と云う訳で、弊亭表構えも先週末より「をどり」仕様と致しました。

薄暗い路地奥に一際映える「つなぎ団子」。
艶やかな紅色が秋の風情を彩ります。

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2009.09.13

●続々.「Bamboo」無くなります

「店子の事情」など全く御構い無しに進められた「土地転売.再開発」。

豈図らんやそんな「地上げ.立ち退き」事情に因り、慣れ親しんだこの路地奥で暖簾を掲げるのも後三ヶ月程となってしまいました。
現在赤坂で新たなる場所を模索中で御座いますが、「もし赤坂にて最低限の基準を満たした物件が見つからなかった場合」はと申しますと…。

恐らく「赤坂を離れる=東京を離れる」事になると思います。

赤坂で暖簾出しして僅か六年間ではありますが、古くからの町衆の方々にも可愛がってもらっており、亦私め個人としてもこの地に愛着も沸いて御座います。
従って赤坂以外の東京他所で店出しする心算は全くありません。

そうなると「Bamboo」再開の選択肢は必然的に「ミヤコ」と云う事になるでしょう。
再び祇園町で「竹の節目」を継ぐのも悪くは無いかとも思えます。

然乍ら…、
トーキョーで飲み屋を始めて延べ十三年弱。
実は未だ遣り残した事も多いもので、帰京には早過ぎると云うのも是亦本音の所処。
あくまで第一希望は「赤坂の路地」である事に変わりは無いのです。

そんな訳で「もし」「たら」「れば」と云った「仮定法未来」のハナシ計りしていても仕方無いのですが、状況は相変わらず何も決まっておりません。
兎に角「何でも良いから早く決めてしまいたい」と云うのが正直な心情でありますが、もう少しは我慢して「果報(良い物件)」を待つと致しましょう。

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2009.09.12

●「おいでやす」嵯峨嵐山

えー、本日はウチの近所の話題。

数有る「ミヤコ.観光地」の中でも「超弩級」の集客力を誇る我が地元「嵯峨.嵐山」ですが、八月お盆後から九月中頃迄は比較的閑散としております。
そんな観光オフシーズンに新機軸、「おいでやす嵯峨嵐山」為るキャンペーンが展開されるとの事。

尚、イベントの一つに「渡月橋でのお月見会」が企画されております。
日中は行楽客の人出凄まじく「キモチ悪い」嵐山も日没後はそりゃ静かなもの。
従い渡月橋からの観月は「中秋観月所処」として意外な穴場だったのですが…。
今年からは「賑やか」になってしまいそうで、ロコ民としては少し複雑な心境です。


因みにあとニヶ月もすれば、年間を通して最もキモチワルイ「阿鼻叫喚.観楓の雑踏地獄」がやって参ります。

渡月橋より眺むる「中秋の名月」ログはコチラ。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2008/09/post-5d2c.html

「おいでやす嵯峨嵐山」キャンペーンHPは下記にて。↓
http://sagaarashiyama.web.fc2.com/

P2009091200076_2おいでやす嵯峨嵐山
12日からキャンペーン
京都市右京、西京区の嵯峨嵐山地域の商店主らが12日から、JR嵯峨嵐山駅と阪急嵐山駅の一帯で、キャンペーン「おいでやす嵯峨嵐山」を初めて展開する。お月見会や割引サービスなどを行い、新型インフルエンザの影響で懸念される観光客減少を食い止めるのが狙い。10月25日まで。
商業の活性化を目指す「嵯峨嵐山地域商業ビジョン策定委員会」の主催。策定委は、来年4月以降に取り組む商業ビジョンをつくる組織だが、観光客の減少を受けて企画した。
お月見会は10月3、4の両日午後5時から。渡月橋近くの桂川に月見船が20~30分間隔で出る。同会のポスターを張った店を2店利用した人が対象で、店で応募券とスタンプをもらう。応募券は当日の午後2時から乗船券と交換する。定員は両日とも先着500人。
期間中は、飲食店や土産物店などの計72店が食事代の割引など優待サービスも行う。利用にはクーポン券が必要で、周辺の主要駅に置いた同キャンペーンチラシに付いている。9月27日と10月25日は手作り市もある。
企画した一人で、土産物店などを営む中川新八郎さん(60)は「新型インフルエンザにめげず、精いっぱいのもてなしでお客さんを迎えたい」と話している。問い合わせは策定委の携帯電話080(5632)7712へ。
(文.写真共 京都新聞9/12より)

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2009.09.11

●「シルバーウィーク」のこと

高く澄みきった青空に白い鱗雲が棚引く、清々しい秋晴れが続く今日此頃。
将気付けば九月も上旬を過ぎ、大型連休も間近に迫って参りました。
皆々様に於かれましても「海外」に「国内」に出掛けられる方も多い事でしょう。

弊亭も赤坂と云う御土地柄「暦通り」のお休みを頂きますが、扨私めの予定はと申しますと…。
「国内マイ白地図」を塗り潰すべく、伊予二名洲への旅路に出掛けて参ります。

そんな訳で只今ネットで「旅先調査」に勤しんでいる営業中で御座いました。

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2009.09.10

●「例のモノ」醸成中

重陽も過ぎた此処数日、空の顔はもうすっかりと「清秋」のそれ。
爽籟な日々が続いております。

暑さもめっきりと和いだそんな折節、弊亭でもお酒の需要がシフトチェンジ。
ぼちぼちと「ブラウンスピリッツ」の御注文が増えておりまする。

そんな訳で弊亭で久し振りに「例のモノ」を仕込む事と致しました。
只今調合を終え甕にて熟成中、来週頃にはお出しできるかと思います。

詳細は追って亦後日。

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2009.09.09

●上賀茂さん「烏相撲」

本日九月九日は「重陽の節句」。
ミヤコ各所処ではそれに因んだ神事が行われております。


と云う訳で、
下記事は上賀茂さん「烏相撲」の一コマ。
因みに件の空音、立砂の右が「かーかーかー」、左が「こーこーこー」です。

P2009090900087「悪霊」押し出せ
上賀茂神社・烏相撲
 
京都市北区の上賀茂神社で9日、恒例の烏(からす)相撲の神事が営まれた。カラスが鳴く様子を模した独特の神事に続き、氏子の男児が純白のまわし姿で元気いっぱいの相撲を奉納した。
9月9日は重陽(ちょうよう)の節句で、菊花を供えて厄払いや長寿を祈る神事が各地で行われる。同神社では祭神の祖父が八咫烏(やたがらす)に姿を変えたという伝承と悪霊退治の相撲が結びつき、古くから烏相撲が行われている。
神前に菊花を供えた後、白装束に烏帽子(えぼし)姿の氏子2人が小刻みに横飛びして「カーカーカー」とカラスの鳴き声をまねた所作を披露した。続いて上賀茂小の男児22人が相撲をとった。土俵の周囲には多くの参拝者が詰め掛け、がっぷりと組み合った熱戦に大きな拍手を送っていた。
(文.写真共 京都新聞9/9より)

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2009.09.08

●節句.重陽

草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒 (芭蕉)

と云う訳で明日は「重陽」、菊の節句です。
尤も他の五節句共々「季節の節目」としての意味合いは薄れ、一般的に縁遠い催事となってしまいました。
しかし其処は古来床しき「五節句の一」、うちでは年毎細やかにお祝いしております。

090908_004_2そんな訳にて弊亭軒下では今日と明日の二日間、「菊節供」です。

因みに菊の花言葉は
黄花:「高潔」「わずかな愛」
白花:「誠実」「真実」
濃花:「信頼」
でした。

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2009.09.07

●室礼「十五夜」

昨日で弊亭も「室礼」夏納め。
替わりと云っちゃ何ですが「秋の室礼」がぼちぼちと進行中、今日から「観月の宴」の支度を調える事と致しました。

090907_004

因みに今年の「中秋」は十月三日。
少々気早やな感がしないでも無いですが…。

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2009.09.06

●室礼「夏仕舞い」

処暑も末候を向かえ、「初秋気配」も日に日に色濃くなってきた今日此頃。
夜分深くにもなると半袖では「薄ら寒さ」すら覚える様になって参りました。
もう流石に「残暑の戻り」も無さそうです。

そんな「夜長月」の日曜日、弊亭も「ぼちぼち」と夏仕舞いを始める事と致しました。

090621_005
「竹床机」「豚香炉」「風鈴」「京うちわ」…。
来年はこの場所で夏支度する事も無いのかと思うと、何時もとは違う心持ちにもなる「夏納め」で御座いました、とさ。

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2009.09.05

●来月の定休日【神無月】

  • 10月 4日(日)  定休日

  • 10月10日(土)  《未定》
  • 10月11日(日)  定休日
  • 10月12日(月)  祝定休日
     
  • 10月18日(日)  定休日
  • 10月25日(日)  定休日

  以上です。宜しくお願い致します。

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2009.09.04

●「トップリーグ」始まります

例に由って殆ど興味の無いの方々計りだと思いますが…。

2019年のワールドカップ開催に 2016年よりのオリンピック競技(七人制)復活。
今年になって「ビックニュース目白押し」の日本ラグビー界なのですが、世相は全くと云って良い程盛り上がっておりません。

そんな中、今日金曜日より09/10ジャパンラグビー「トップリーグ」が開幕。
開幕節は「東芝vs三洋」「サントリーvs神鋼」他好カードが目白押し、愈々ラグビーシーズンが本格的に到来致します。

シカシ例年に較べ涼しいとは云え、ラグビーの「ディゲーム」には酷な時期でして、シーズン序盤は「ナイトゲーム」の開催が殆ど。
従い酒場を営んでいる私めのような輩は、時間帯的に「当然見に行けない」ので非常に困りモノなのです。
そんな訳で「秩父宮行脚」は当分お預け、暫くの間はJスポーツでの「ラグビー観戦」になりそうです。

で毎度恒例「今季の展望」なのですが…。

    東芝 三洋 サントリー  以上優勝争い

 = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = == = = =  大きな壁

    神戸
   トヨタ NEC   
 ‐ ヤマハ コカコーラ 近鉄 ‐ ‐ この辺ゴチャゴチャ ‐ ‐ 浅い溝
   クボタ
 ‐ サニックス ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐  浅い轍
    九電 リコー 
   ホンダ 

取敢えず、開幕節は全て録画で見る予定。
そんな訳で「テレビ漬け」の今週末となりそうです。

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2009.09.03

●ちょっぴり「二日酔い」

えー、何時もお世話になっています、弊亭酒司です。

昨日は少し「ズル」しての早仕舞い、零時半に暖簾を降ろさせて頂きました。
従いそれ以降にお越しになった方々、どーも申し訳御座いません。

まぁそんな早仕舞いをする事は滅多に無いのですが、此頃「例の件」にて相当フラストレーションが溜まっており、如何しても「ガス抜き&クダ撒き」する必要があったのです。

所処で私めも「不図」気付けば齢不惑となりまして、「飲み屋のマスター」なる知己も同年代か年下が圧倒的に多くなって参りました。
従い余り「荒れ模様」「毒吐き散らし」な飲み方を出来る場所も少なくなっており、昨日はタクシーを飛ばし西麻布の某店へ。
そんな場合の「取って置き」の酒場へ向かった次第で御座います。

と云う訳で「窘め.誡め」られ乍らも、予定通り「宜しく無い飲み方」をして参りました。

   …・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…

で、本日の調子は予定調和。
キモチは大分「すっきり」したのですが、カラダ少し「キモチワルイ」。
例に由っての「一.五日酔い」状態での暖簾出しとなる本日でありました。

私信 ワタナベさん、御無礼御迷惑陳謝致しまする。

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●「タイヤ屋」風情の戯言

『京都市中京区の京都商工会議所で記者会見した総責任者のジャンリュック・ナレさんは、一部店舗に一方的評価への反発があることについて「レストランは毎日お客さんに評価されている。判断されたくないなら仕事を変えるべきだ」と指摘した。』

……。

何事に付けて「評価する側」の必須条件の一つとして、「謙虚さを伴った立ち位置」と云うのは不可欠です。
然乍ら上記コメントからはそんな資質のカケラも見受けられず、寧ろ「逆ギレ」に近いものしか感じられません。
素直に『「キョート」ビジネスで一儲けしたい』と云えば良いものを、高々仏蘭西人風情にお門違いの指摘はされたくないものです。

序で云うなら、タイヤ屋の社員及び依頼された日本人(所謂「覆面調査員」)の履歴も顔写真付きで「しっかり」と掲載して欲しいもの。
「評価した側」は匿名にて保護され批評を免れる、と云うのも片手落ちですから。

「ミシュラン2009」関連過去ログは下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/04/post-0314.html

P2009090100093ミシュラン京都・大阪版、10月発刊
旅館の快適さマークで初評価

世界的権威を誇るレストランの格付け案内「ミシュランガイド京都・大阪」の発刊日が10月16日に決まり、出版元の仏タイヤメーカー、ミシュラン社が1日発表した。日本の伝統文化をわかりやすく伝えるため、星などの既存マークに加え、初めて旅館の快適さを示すマークを採用する。
京都・大阪版は、飲食店と宿泊施設200~220店を紹介する。飲食店は、匿名社員が食材の質や値段設定などを調べ、結果を3段階の星マークで示す。店の同意がなくても掲載する。
旅館の外観をデザインした旅館のマークは、快適さを5段階表示する。庭園を評価する石灯籠(どうろう)のマークも新設する。旅館の料理が評価対象になる場合は星マークも付与する。初版は15万部を発行する予定。2415円。
(文.写真共 京都新聞9/1より)

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2009.09.02

●続.「Bamboo」無くなります

えー、キーを敲くのも気が進まない話題ですが…。

先週お伝えした通り「再開発.地上げ.立ち退き」と云う顛末に因りまして、弊亭がこの場所で暖簾を掲げるのも年内中となってしまいました。

で、今回は「今後の成り行き」に就いて、です。

現在赤坂の地にて物件を探している所処ですが、未だ引っ越し先は確定しておりません。
「まぁ何とか現在のロケーションに近い物件」が数点候補に挙がってはいるのですが、不確定要素が強いもの(要するに借りれるか如何か微妙な物件)でして、目処が付いたと云う迄には至っておりません。

尚「バンブー」再開に就いては、一応以下の様な青写真を描いております。
 ・現在地にて営業    12月中下旬頃迄
 ・撤収作業        12月最終週
 ・店舗造作期間    12月~翌年3月間 
 ・営業再開       3月~4月頃

然乍ら、これ計りは物件が決まらない事には如何し様もありません。

因みに弊亭跡地は来年以降如何なるのか、と申しますと…。

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再開発(地上げ)地域は上記の黒線区画、「ビル」が建つとだけ申し上げておきます。
詳細に就いては諸事情「申し上げられない」事も御座いまして…。

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2009.09.01

●表構え.長月

葉月晦から長月朔日にかけては、「野分」吹き荒ぶ「二百十日」の頃。
あまり歓迎すべき歳時記では御座いませんが、時宜に見合った台風の襲来。
初秋の気配は日に日に色濃くなって参ります。

そんな「去り行く夏」の頃、弊亭「表構え」も今日から衣替えと致しました。

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煤竹色の秋暖簾は、一足早い「秋風情」を装うもの。
因みに「たつたや」は観楓の歌枕にて、「賞花亭」の本歌取りです。

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