●四国漫遊記「伊予国.萬翠荘」
えー、先日「伊予二名洲」旅行記、初日松山続篇です。
松山城見物の後は黒門口ルートにて下山、萬翠荘へ向かいました。
以下はその際のスナップ集にて。
1922年(大正11)、旧松山藩主の子孫久松定謨の別邸として築造。
設計は洋館建築に名にし負う木子七郎、松山市内では他に「愛媛県庁本館(1929)」「鍵谷カナ頌功堂(1929)」「石崎汽船本社(1924)」等も手掛けています。
因みにミヤコは京大西側「関西日仏学館」も彼の手に由るもの。
【写真上】萬翠荘外観。
緑色銅版葺きの屋根にアイボリータイル貼りの壁面。
長方形とアーチ状のデザインを組み合わせたドーマー窓。
時代的にデコ様式の影響が表れていますが、そこはかとなく古き良き仏蘭西「ロココ様式」の香りも致します。
亦、左右非対称の外観設計も特筆すべきもの。
【写真左】玄関ホールより見る大階段とステンドグラス。
チーク材由来の風合いと柱の装飾は重厚そのもの、更にオフホワイト壁面とのコントラストが絶妙。
踊場に設けられたステンドグラスも外界からの調光を受け、より輝きを放っていました。
【写真上】マントルピース色々。
シャンデリアやステンドグラス、柱に施されたデザイン等…。
室内装飾に見るべきものは多々ありましたが、今回はマントルピースを中心に見て廻りました。
大理石製の暖炉は全て異なったデザインで合計六基、上部に設置されている大鏡はベルギー製との事です。
【二階 昭和天皇御朝食の部屋】
他の部屋が優雅なロココ調で装飾されているのに対し、一際異彩を放っていたのがこの部屋。
色彩は違えども、朝香宮邸の「ウインターガーデン」を彷彿させるものです。
西南の角部屋と云う立地もあり、眩い計りに自然光を取り込んでいました。
とまぁこんな所処にて。
この続篇は、翌日の「道後温泉篇」と成増。