« ●「落柿舎」のこと | Main | ●四国漫遊記.「讃岐国.女木島」 »

2009.09.30

●四国漫遊記.「讃岐国.丸亀城」

えー、先週シルバーウィークの「伊予二名洲」旅行記、三日目高松続篇です。

高松城を後にしたのが15時過ぎ、宿に入るにも夕餉の時間にも早過ぎます。
そんな訳で旅路の予定を前倒し、翌日訪れる筈だった丸亀城迄足を伸ばす事と致しました。
以下はその際のスナップ集にて。

090923_017
【写真左】北堀石橋より望む大手門。
【写真左】枡形より望む一ノ門。
手前の高麗門が二ノ門、右奥の櫓門が一ノ門。
共に寛文期の造営で江戸様式の建築ですが、築城時の城郭遺風を残しています。

090923_014【写真左】御殿表門
薬医門は城郭建築より、寺社建築や武家屋敷に良く見られるもの。
と云う訳で、此処から先は嘗ての藩主居館。
お屋敷の表門に当たります。

090923_015
【写真左】三ノ丸石垣
内堀から天守迄に至る迄、城内の石垣は四層に亘って詰み重ねられており日本一の高さ(約60m)として有名です。
写真は「見返り坂」より見た三ノ丸北側の石垣、「三日月勾配」とも謳われ反曲線が最も美しいとされる所処。
写真ではアングルが良くないですが、ホントはもっと綺麗な反りを描いています。

090923_011
【写真左】天守閣二写。
1602年(慶長7)築造、所謂「オリジナル12」の一つ。
三層三階、高さ15mと現存のものでは最も小規模な天守閣です。
但し四層石垣上に築造されている為、城下から見上げた天守容姿は実寸以上の大きさを感じさせ、その偉容は中々のものでした。

090923_012
【写真左】本丸より望む丸亀港と市街。
周辺には主だった山林も無く、丸亀城天守からは四囲が一望出来ます。
従ってこの「亀山」に築城したのは戦の為の確信犯、至極納得したものでした。

090923_024

【写真左】大手門から見上げる天守閣。
帰路の折、不図振り返ってみたものです。

そんな訳で一時間半程の丸亀滞在、七時過ぎには高松に戻って再び「うどん行脚」。
因みに丸亀駅の発着メロディは「瀬戸の花嫁」でした。

.

.

.

以下余談。
私めの専門分野は寺社建築と庭園史なものでして、正直城郭建築に関してはそれ程造詣が深くもありません。
亦、個人的嗜好として「喧嘩する為の建物」には余り興味が湧かないのも事実です。

只、今回訪れた「松山城」「高知城」「丸亀城」は平山城の中でも結構堅固な城郭を誇り、戦国末期の遺構として「喧嘩する気概」が充分に感じ取たものです。

本来の目的を見失って「戦の役に立たない」上に、美しさに於いてもにお武家さんの「悪趣味甚だしい」御殿や庭園しか持ち合わせていない「平城」に較べれば、よっぽど「潔い」とも思えるのでした。

|

« ●「落柿舎」のこと | Main | ●四国漫遊記.「讃岐国.女木島」 »