●四国漫遊記「伊予国.道後温泉周辺」
えー、先日「伊予二名洲」旅行記、二日目松山続篇です。
前述ログにある様「宿無し→ホームレス→ネット難民」となってしまった道中初日。
浅い眠りから覚めたのは午前五時半、御蔭でヒジョーに「感慨深い 感慨不快」二日目の朝を迎える羽目となりました。
取敢えずは眠気覚ましも兼ねて「温泉でひと汗流したい」もの。
そんな訳で「伊予鉄」始発にて松山駅前より道後温泉へ向かう事と致しました。
【写真左】松山駅より乗ってきた伊予鉄「路面電車」。
地元京都で慣れ親しんだ「らんでん(京福電鉄)」でを思い出させるものです。
【写真右】道後温泉駅に展示してある観光用の「坊ちゃん電車」。
云われてみれば「マッチ箱の様な」気がしないでもありません。
【写真左】朝6:40頃の道後温泉本館、「雑踏惨況の図」。
【写真右】枝垂れ柳を手前に「住田の温泉宿」一写。
早朝にも関わらず、切符売り場には約300人程の入浴客が列を成していました。
で、よく見てみると半数以上は旅館の浴衣を羽織ってます。
「と云う事は殆どは近隣の宿泊者が「朝風呂」に訪れている様子」。
「と云う事は殆どは朝食の時間になると一旦宿に戻る筈」。
「と云う事は九時頃に来れば今よりは空いている筈」。
うーん、何と云う慧眼。
と云う訳で「ひとっ風呂」浴びたいのは山々の所処も、此処は我慢我慢。
先に「伊佐爾波神社→石手寺」散策へ出掛ける事と致しました。
【写真上】参道下より伊佐爾波神社を望む。
135段の石階段の向こうには楼門の姿が伺えます
【写真上】伊佐爾波神社、楼門正面より。
絢爛豪華な装飾からは桃山様式の遺風が感じられます。
【写真左】廻廊右側より見る楼門と末社(常盤新田霊社)。
【写真右】同、本殿(1667年(寛文7)造営)。
楼門から廻廊を歩くと「八幡造」の朱塗本殿が間近に見られます。
社殿の建築様式としては流造派生系の一種にて、切妻造の本殿二棟(外殿と内殿)を屋根の軒先で連結し、両殿の間に相の間を設けた構造が「八幡造」の特色です。
但し本殿形式としては更に「権現造」へと発展していく過程のものとも考えられます。
【写真上】散歩道一写。
伊佐爾波神社から石手寺迄は歩いて15分の道程、小川沿いには石橋と板塀で囲まれた民家が並んでいます。
早朝の冷涼な空気に射差す朝日も心地良く、「てくてく」と歩いて参りました。
【写真上】石手寺仁王門。
今回の「伊予.土佐.讃岐行脚」、最大の目的がこの石手寺。
「じゃこてん」よりも「鰹のタタキ」「鯨料理」よりも「讃岐うどん」よりも楽しみにしていたものなのです。
何せ私めの建築書バイブルの一つ「寺社建築の鑑賞基礎知識(至文堂)」の巻頭解説で見て以来、何時かは訪れたい寺院としてずっと心に温めていた所処。
実際訪れて目にした古建造物の数々、伽藍の配置…。
中世真言寺院の有り様を偲ばせる史跡として、期待に違わぬものでした。
石手寺に就いては、後日改めて別ログを立てて詳解したいと思います。
この後、再び道後温泉本館に戻ったのが9時前。
若干の人込みは残ってますが、予想通り当初の混雑振りは解消されておりました。
と云う訳で、漸く念願の「朝風呂」に浸かり「旅路の汗」を流したのです。
【写真上】松山駅一写。
「温泉上り」の後は再び松山駅に戻り、遅蒔き乍らの朝食。
10時発の高速バスで「伊予国」を発ち、一路「土佐国」に向かうのでした。