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2009.11.09

●「かにかくに祭」

「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」

と云う訳で昨日は「かにかくに祭」。
仔細彼是に就いては一昨年記述済なものでして、その儘コピペしておきます↓。
尚、吉井の忌日は十一月十九日にて「かにかくに祭」の日では御座いません。
念の為。

十一月八日は巽橋白川畔にて「かにかくに祭」。
昭和三十年、吉井勇の古稀祝いとして祇園新橋「大友」跡に歌碑が建てられました。その建立日を選んでの彼を偲ぶ催事、近年では秋.祇園町の風物詩となっています。

因みに歌碑は本鞍馬。惚れ〃する鉄錆色の石面には冒頭の歌が、亦建立有志には志賀直哉.谷崎潤一郎.新村出.堂本印象.湯川秀樹ら錚々たる朋輩の名が刻まれています。

で、吉井勇がどういう人かと申しますと…。
無類の酒好きにて舞妓芸妓オタク。お茶屋に立て籠もるかと思えば宛無くあっちこっち彷徨し、花街色恋沙汰悲喜交々を頽唐的に歌い上げた「外向的なヒッキー」でした。
但し祇園町での遊び方については近松秋江より通じていたと思われます。

真面目なトコロ、祇園にて篭城を決め込んで左褄の情ばかり歌っていたのは若かりし頃の話であって、処女詩集「酒ほがひ」から続く初期作品「祇園歌集」「祇園双紙」の印象が強いのかも知れません。
寧ろ自然山海折々の風情や、歴史上の人物から土地〃の名も無き匠師迄を己が流(所謂「勇調」)に敷衍する歌風が真骨頂と云えるのではないかと。
まぁ近代日本版吟遊詩人とでも申しましょうか。

その他仔細に就いてはグーグル様にでも聞いてみて下さい。

P2009110900037歌人 吉井勇をしのぶ
祇園で「かにかくに祭」

花街・祇園を愛したことで知られる歌人、吉井勇(1886~1960)をしのぶ「かにかくに祭」が8日、京都市東山区元吉町の白川のほとりで行われ、芸舞妓らが歌碑に白菊の花を供えた。
吉井は明治末期、北原白秋らと文芸誌「スバル」を創刊。晩年には京に移り住み、「都をどり」の作詞に携わるなど、祇園とのゆかりが深い。「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」の歌碑は友人の谷崎潤一郎らが55年に建立した。
同祭は歌碑を建立した11月8日に、祇園甲部組合が営んでいる。午前11時ごろ芸舞妓4人が花を手向けた。今年は休日となり、多くの観光客が盛んにシャッターを切っていた。

(文.写真共 京都新聞11/9より)

あと、先日関連記事が掲載されていましたので、序で揚げて置鱒。

P2009110600163吉井勇の草稿20枚発見
谷崎潤一郎への配慮示す

京都ゆかりの歌人、吉井勇(1886~1960)が京女について記した随想の草稿が、6日までに見つかった。草稿では作家の谷崎潤一郎(1886~1965)が吉井の歌「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる」の内容を思い違いしていたと指摘する部分が削られていた。谷崎と親交が深かった吉井の配慮がうかがえるという。
宇治市・平等院の神居文彰住職が10月、東京・神田の古書店で草稿20枚を発見した。
谷崎は短編「磯田多佳女のこと」の中で、吉井が当初「かにかくに祇園は嬉し酔ひざめの-」と詠(うた)っていたと記した。草稿では谷崎の記述を「何かの思ひ違ひ」と指摘しているが、その個所を含む段落が線で消されている。草稿は削られた状態で1952年2月発行の月刊誌に掲載されたという。京都府立総合資料館の中山禎輝元館長(71)は「親友谷崎への配慮から削ったのでは」と話す。
吉井のこの歌をめぐっては、歌碑が京都・祇園にあり、毎年11月8日に芸舞妓が集う「かにかくに祭」が催されている。平等院は12月19日からの特別企画展で草稿を公開する。
(文.写真共 京都新11/6より)

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