●島原の欄
猿十一月二十二日、ミヤコ島原では五年振りに「太夫道中」が行われました。
そんな訳で今日は「花街.島原」に就いて少し打ち綴ってみる事に。
現在の島原は所謂「京都五花街」には含まれておらず、一般的には過去形の花街(遊郭)として認知されています。
事実島原の「ほぼ全て」のお茶屋さんは廃業されており、昭和51年には京都花街組合連合会からも脱会してしまいました。
しかし実際、今日に於いても「輪違屋さん」一軒が茶屋営業(兼.置屋)されており、太夫さん三名.振袖太夫さん一名を抱えておられます。
従い完全に廃止された「五番町」や「五条楽園(七条新地)」とは異なり、花街としての営業は行われているのです。
因みに輪違屋さんには以前伺った事がありますが、「一文字に並ぶ寂美な瓦」「整然且つ様式美にも秀でた格子」「黒光りする大階段」「闇陰が支配する高い組天井」…。
150年の歳月を経た揚屋建築には、まぁ圧倒される計り。
尤もそれ等にも況して、十代目御当主の「キョーレツ」な御人柄に只々「恐れ入った」のでありましたが…。
あでやか太夫道中…
下京・島原で5年ぶり
江戸時代に花街として栄えた島原(京都市下京区)で、太夫の顔見世「島原太夫道中」が22日、5年ぶりに再現された。小雨の降る中、あでやかな姿を一目見ようと、約1000人の市民や観光客が沿道に詰めかけた。
1688年(元禄元年)創業の置屋(おきや)「輪違屋」(同区)に所属する太夫2人が高げたを素足で履き、足を外側に運んでから内側に戻す「内八文字」と呼ばれる歩き方を披露。
禿(かむろ)と呼ばれる童女と共に、日傘として用いられる「道中傘」で雨をよけながら、約350メートルを練り歩いた。
企画した嶋原商店街振興組合の市村勝理事長(65)は「太夫の華やかさで、新型インフルエンザも不景気も吹っ飛んでほしい」と話していた。
(文.写真共 読売新聞11/23より)