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2010.07.31

●「祇園祭」終わりました

本日は八坂さんにて「夏越祓」。
「吉符入り」から始まった祇園祭もあっと云う間の一ヶ月。
「茅ノ輪潜り」を以って、今年も無事に「結び」となりました。

そんな訳にて明日からは月代わり。
ミヤコの「茹だる」暑さも愈々本格化にて。

20100731125800yasaka祇園祭終幕 茅の輪くぐり
八坂神社・夏越祭

祇園祭を締めくくる「夏越(なごし)祭」が31日、京都市東山区の八坂神社境内の疫(えき)神社で営まれた。参拝者が約2メートルの茅(ち)の輪をくぐって厄を払い、1カ月にわたる祭りは幕を閉じた。
夏越祭は、八坂神社の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、蘇民将来(そみんしょうらい)のもてなしの礼に「護符を持つ者は疫病から逃れられる」と約束したことにちなむ。祇園祭では護符を身につけて奉仕する。
午前10時から神事が行われ、森壽雄宮司が「(今年の祇園祭は)雨の日が多く心配していたが、滞りなくできたのは皆さまのご支援のたまもの」とあいさつした。笛や太鼓の音が響く中、参拝者はゆっくりと茅の輪をくぐり、祇園祭が無事に終わったことに感謝し、無病息災を祈っていた。
(文.写真共 京都新聞7/31より)

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2010.07.29

●2009年「ミヤコ観光客数統計」

先日、2009年の京都市「年間観光客数」が発表されました。

統計に由ると、2008年に較べ6.6%減の4690万人。
前年比減は実に14年振り、何と「阪神.淡路大震災」があった年以来の事。
市観光課は原因に「景気低迷」「インフル修学旅行減」と分析しておられる様ですが、それ以外の所処にも真相がある様に思われます。
それは…。

「単にフツーに戻ってきただけ」ぢゃ無いでしょうか。

遡る事1994年、JR東海.電通さん主導にて始まった「そうだ京都、いこう」キャンペーンに端を発した「平成キョートブーム」。
その後「日本人のアイデンティティー探し」「日本文化の再認識」「歴史ブーム」なぞ、「和の王政復古」の追い風も相俟って彼是16年…。

270k㎡の盆地に1200年来の歴史が凝縮されてる街ですから、確かに「奥行き」は深う御座いまして、5回や6回訪れた位では廻りきれるものぢゃありません。
それが証拠に、ミヤコ観光客の半数以上が「入洛10回以上」のリピーター。

が、これだけの期間「ブーム」が続いてりゃ、リピート頻度は尚高くなるでしょうし、流石に飽きてこようもの。
況してや現在の旅行事情を考えたら、近場の海外に出掛けた方が「ずーっと安くつく」のですから、流行りの期間が長くなればなる程、分は悪くなります。

従って、今後観光客数を増やそうと思うなら「飽和状態」の国内市場は置いといて、アジア圏の海外顧客層を開拓するしかなさそうかと。
特に京都は東アジアの観光客比が、全国比に対し極端に少ないものです。

因みに此処直近9年間の「京都市観光調査年報(PDF)」はコチラ。↓
データベースとして面白いものがあり鱒。http://raku.city.kyoto.jp/kanko_top/kanko_chosa.html

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消費単価向上が回復の鍵
京都市観光客14年ぶり減

京都市の2009年の観光客数が14年ぶりに前年を下回り、5千万人を割り込んだ。宿泊客の獲得競争が激しくなる中、京都経済界は外国人観光客の誘致に力を入れる構えで、市も4月から「数」だけでなく「質向上」に重点を置いた新観光振興計画を進める。低迷する観光消費額を増やし、旅行者の満足度も上げる取り組みが「オール京都」で求められている。
2009年の市内観光客数は約4690万人で前年より約330万人減った。新型インフルエンザの流行や不況の影響とみられる。
09年の京都市内主要15ホテルの客室平均稼働率は78・4%と前年を6・5ポイント下回り、6年ぶりに80%台を割った。日本ホテル協会京都支部は「急激な景気回復は見込めず、今年もトップシーズンの11月以外、ネット予約による低価格帯の宿泊客獲得競争が一層激化する」と厳しくみる。
ただ、今年は奈良県で開催中の平城遷都1300年祭や8月の「京の七夕」などプラス要因も多い。府内外でPR活動に取り組み、誘客を図る京都市観光協会は「サクラの季節も長く、大型連休もあり、4月以降はかなり回復している。雇用や消費の回復状況をみながら、好調だった08年の水準まで戻せるか注目したい」という。
京都商工会議所は今後の重点課題に、外国人観光客の誘致を挙げる。ビジネス客や大型会議を誘致する「MICE」戦略を柱に、京都観光の量から質への転換を目指す。
京商観光産業特別委員会は7月上旬、MICE先進地のシンガポールと香港を視察した。広さ1万平方メートル規模の展示場が立ち並び、買い物やクルージングも楽しめる大型会場、誘致を推進する専門機関などを訪れた。
京商は「京都は施設整備に限界があり、言葉の壁もあるが、独自の文化が誘致の強みになる」(産業振興部)と分析する。今後はMICEによって高所得者層の京都での長期滞在を促し、地元経済への波及効果を高めたい考え。ホテルや会議施設の拡充などを含めた具体策を今秋、京都府や京都市に提言する。
こうした経済界の動きも踏まえ、市観光企画課は「09年の減少は外的要因。今後も減り続けるわけではない」と強気だ。
新振興計画に盛り込んだ116の具体策も動き始めている。3月に下京区のJR京都駅に府と市の合同観光案内所が完成したほか、消費単価が高い宿泊客を増やすための「朝観光の推進」では、すでにホテルなどがツアー化。富裕層向けの関西国際空港-市内のヘリ移動も、民間企業が市内にヘリポートを整備した。子連れなど新たな客層を狙った水族館建設も進む。市は「外的要因があっても、多様な魅力があれば観光客の減少は抑えられる」とする。
ただ、1人当たりの観光消費額は約1万3千円で横ばい状態が続いており、市内交通網への不満も高いまま。門川大作市長は「09年は厳しい結果だった。今後も関係団体とともに、旅の本質を堪能できる観光都市づくりを進めたい」としている。
(文.写真共 京都新聞7/21より)

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2010.07.28

●トーキョー「彷徨記」

昨日、携帯電話を弄っていた際の事。
画像フォルダから、使用未使用入り混じった「どーでもよさげ」な写真が雑多出て参りました。
その殆どが「ゴミ箱行き」だったのですが、全部捨てるのは勿体無いもの。
そんな訳で帝都「拾遺集」、テケトーUpする事に致しまする。

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【写真上】「フグ塚」不忍池.弁天堂にて(7/19)。
骨董市に出掛けた際の事、ミョーな佇みをしていたのでつい一写。
とぉ~い目をして「スカイツリー」方面を眺めておりました。

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【写真左】ハチ公の背中(7/18)。
Bunkamura「ブリューゲル展」へ行った折、写したもの。
十数年振りの渋谷です。

何せ若者の街「シブヤ」。
私めはとっくに適性年齢過ぎておりまして、オヤジ狩り(死語)に遭うんぢゃ内科とドキドキしてました。

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【写真上】神宮球場にて(7/23)。
やる事ないので高校野球の地区大会予選見に行ってました。
お陰で全身日焼け、身体中ヒリヒリしております。

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【写真左】赤ラヴ(7/27)。
「愛しあってる・かーい(byキヨシロー)!!!」

今更説明不要、新宿高層ビル街某ビルのオブジェ。
ウィキ様に由ると、ドラマの撮影なぞで有名なそうですが、テレビと縁の無い私めにとりましては、余りヨクワカラナイ話でした。

と、まぁこんな感じにて。

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2010.07.27

●鳴滝「酷暑.邪気祓い」

昨日はミヤコ鳴滝.三寶寺で「焙烙灸祈祷」が行われました。
「文月京都」の祭事としては然程大きなものでは無いのですが、此方は何たって我家の菩提寺。
檀家としては捨て置けないので揚げておきます。

因みに此処「三寶寺」は、寛永宮廷文化の中心を掌られた後水尾上皇の勅願寺。
八条宮家と深誼を持ち、桂離宮とも所縁在る御方です。

20100726203754焙烙灸で頭痛封じ
鳴滝の三宝寺
土用の丑(うし)の日の26日、京都市右京区鳴滝の三宝寺で、年に一度の「焙烙灸祈祷(ほうろくきゅうきとう)」があった。参詣者は呪文(じゅもん)の書かれた、素焼きの焙烙を頭に載せ、祈祷を受けて暑気払いをした。
日蓮宗に伝わり、土用の丑の日にのみ行っている。頭痛封じの祈とうとしても知られ、毎年、全国から大勢の人が訪れる。
参詣者の焙烙に置いたもぐさに火がつけられると、結界を張った本堂に煙が立ちこめ、鈴木英文住職らが力強く邪気払いの経を唱えた。高塚廣子さん(53)=奈良県=は「頭痛がしないようお願いしました」と話していた。
(文.写真共 京都新聞7/27より)

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2010.07.26

●鰻「受難の日」

えー、本日は鰻を食べる日です。
朝夕のニュースもランチタイムの居酒屋も、スーパーの鮮魚売り場でも、「至る所処」でウナギウナギと云っております。
何故だかは知りませんが、日本全国津々浦々そうなっております。

Unagi

そんな訳にて私めも、今日の夕餉は鰻を食しに行って参ります。
まぁ鰻連中にとっては、何とも「傍迷惑」な日でしょうが。

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2010.07.25

●三名様「おかえり」

昨宵のミヤコは還幸祭。

御旅所に一週間滞在された八坂さんの祭神様三柱が、神輿に乗り氏子町内を渡旅。
八坂神社へ「おかえり」になる祭事です。

そんな訳で「七泊八日」の御旅行も無事終了、祇園祭も愈々末尾近く。
今年の七月も短こう御座いまして。

20100724203423mikosi004雨に熱気 神輿練る
祇園祭・還幸祭
祇園祭の還幸祭が24日、京都市中心部で行われた。雷雨の中、四条御旅所(下京区四条通寺町東入ル)を出発した3基の神輿(みこし)が勇壮に練り歩き、深夜に八坂神社(東山区)へ戻った。
午後5時前から6時半ごろにかけて、中御座(ござ)、東御座、西御座の順で四条御旅所を出た。神輿を担ぐ輿丁(よちょう)たちは、激しい夕立でずぶぬれになりながらも、気持ちを奮い立たせるように声を張り上げ、沿道からも手拍子が鳴り響いた。
3基は別々の順路を進んだ後、八坂神社末社の御供(ごくう)社(中京区三条通黒門西入ル)前などを通り、午後10時ごろから順に八坂神社に着いた。
(文.写真共 京都新聞7/25より)

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2010.07.24

●あとのまつり

…と云っても、「時機遅れで無駄な事」ではアリマセン。
本日は祇園祭.「花傘巡行」です。

しかし、幾ら何でも「好天」にも程があると云うもの。
毎年の如く「宵々々山~山鉾巡行」は雨に祟られますが、
この「後の祭り」は炎天下に祟られます。
巡行御一同は流汗三斗の態、童.女子衆との多い巡行なのでお疲れ尚の事でしょう。

そんな訳で、今宵の「還幸祭」を終えると今月も後一週間。
神輿洗いや夏越祓など残す神事ももう僅か、「七月」も「祇園祭」も愈々終盤です。

20100724122547hanagasa華やか花傘、繁華街を巡行
祇園祭
祇園祭の花傘(はながさ)巡行が24日、京都市内の中心部で行われた。強い日差しが照りつける中、色鮮やかな花傘をつけた花傘娘や花車など約840人の列が、四条通や河原町通などの繁華街を練り歩いた。
午前10時、子ども神輿(みこし)を先頭に東山区の八坂神社を出発し、「ワッショイ」と元気な声を響かせた。続いて、花車、金獅子、銀獅子などが約2時間にわたり駆け巡り、沿道を楽しませていた。
花傘巡行は、山鉾巡行の前祭(さきまつり)(17日)と後祭(あとまつり)(24日)が1966年7月の祇園祭から一本化されたのに伴い、後祭に代わる行事として始まった。
(文.写真共 京都新聞7/24より)

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2010.07.23

●「上ル下ル西入ル東入ル」

例えばミヤコの「酒飲み」に尋ねてみるとして。

京都市中京区妙満寺前町446 2F
 「…それ何処ぉ?」
寺町二条上ル東側 
2F
 「嗚
、あそこの毒リンゴ屋のことかぁ~」


京都市東山区弁財天町19 1F
 「…それ何処ぉ?」

縄手新橋上ル西側 1F
 「嗚
、あそこのエロマスターの店やん」

京都市中京区東生洲町481 2F
 
「…それ何処ぉ?」

中京区二条通木屋町東入 2F
 「何ゃ、鶏肋の事やん」

そんな訳でミヤコには二通りの住所表記が御座います。
一つは謄本上表記されている、町名番地を主体とした住所表記。
一つは「東西」「南北」の通りの交差地を基点として場所を示す、所謂「通り名」。
今更な話ですが、市井では後者の方がフツーに使われております。

これ、どっちが便利かと申しますと、云う迄も無く後者。
「他人に場所の説明をする際」「初めて行く場所を覚える際」等で、そのアドバンテージは決定的。
タテヨコの通りを思い出して上下東西を付記すれば事足りるからです。
況してや大抵のミヤコ人は「通り名」を聞けば「脳内3D地図」が出来上がるものです。

と云うか、長らく洛中在住ながら自分の町名住所や番地を御存知無い方々もフツーにおられるのでして。

そんな訳で、幾らPC文化が侵食しようが「通り名表記」が廃れる事は考え難いもの。
少なくとも、「町名や番地」で場所の案内をする事は無いでしょう。

201007205252571n_2京の通り名 住所から消える?…
千年の伝統「上る」「東入る」、ネット検索できず
「上る」「下る」「東入る」「西入る」と、通り名を起点に場所を示す京都市中心部の住居表示が、岐路に立たされている。京都独自の伝統的な表記だが、標準化の進むインターネットやカーナビゲーションの大半は通り名が不要なものとみなされ、入力しても地図検索ができない状態。ネット広告や名刺からも通り名を抜く表記が増え、平安時代以来続く地名表記に親しんできた市民には「通り名がないと、場所がどこかわからない」と戸惑いが広がる。 

「京都の不思議」の著書がある作家黒田正子さんは最近、ネットで化粧品を買おうと、京都市内の自分の会社の所在地を入力すると、受け付けてもらえず驚いた。
京都市内は通り名だけでもほとんどの郵便物が届く特有の地域。黒田さんはいつものように「中京区高倉通夷川上る」と入力したが、店から宅配業者へ手配するコンピューターシステムが対応しておらず、町名と番地を改めて入力したという。黒田さんは「標準化によって、京文化ともいえる通り名や『上る、下る』が消えてしまうような気がする」と危惧する。

201007205252781n_3元々、「上る、下る(上ル、下ル)」といった京都市中心部の住居表示は独特だ。例えば市役所の所在地は登記簿などで「中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」とあり、通り名と町名、番地を長々と併記するのが正式な表示となっている。
だが、ネットの地図検索でこれを入力すると、「見つかりません」か、周辺の町名や店の情報が表示されるだけで地図が出てこない。市役所の地図を探すには「中京区上本能寺前町488番地」と入力しなければならず、通り名は無用というわけだ。
ネットに地図情報を提供する大手「ゼンリン」によると、検索システムに町名と番地を基にした全国標準の住居表示を採用していることが理由。京都独自の通り名などはエリアが特定できないため、担当者は「ピンポイントで示すのは難しい」と話す。

こうした現状に戸惑うのは、多くの京都市民。市民の地理感覚では市役所なら「寺町通御池上る」だけで十分で、通り名こそが重要な情報だ。そもそも、町名が必要だと言われても、町の数(中京区だけで498町)や同名の町(市内9か所にある桝屋町など)が多くて覚えられないという事情もある。
一部には、通り名に対応した地図検索ソフトも開発されているが、まだ普及していない。カーナビも通り名は受け付けず、郵便番号から住所を探すソフトの中にも通り名抜きで表示されるものがある。
不動産の物件情報を集めたサイトに、通り名を省いて掲載した市内の不動産業者は「町名と番地さえあればネットで地図を呼び出せる。通り名を併記すると、地図は出てこないし、長くなりすぎる」と語る。
京都国立博物館もチラシは通り名の「東山七条」だが、館員の名刺は「東山区茶屋町527番」。ネットが普及して以降、同様の動きは市内の事業所や店舗にも広がっているという。

京都で約800年続く歌道の冷泉家当主夫人の冷泉貴実子さん(62)は「我が家の現住所を今出川通烏丸東入ると言うと、京都の人はぱっと景色が浮かびますが、町名の玄武町ではタクシー運転手にも通じません。ネットでは町名が便利なのでしょうが、そればかりになると住む人も困ります。通り名を大事にしてほしいですね」と話している。
(文.写真共 読売新聞7/20より)

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2010.07.22

●祇園祭余話.その弐

「祇園さん」も主要祭事を終え、残す所処あと9日。
そんな訳で本日は祭りに関する「こぼれ話」、第二弾なぞを。

宵山三日間中、各山鉾町会所で授与戴けるものと云えば「厄除け粽」。
ミヤコ人であれば粽の行き先は、当然「軒先」と相場が決まっておりますが、地方(この場合、東京も含む)の方々は然に非ず。
熊笹をバラして食しようとし、その中身に愕然とされる旁が後を絶たないとの話を聞いた事がありまする。

そんな訳で、今更改めて云うのも何ですが…。

「厄除け粽は食べ物ではありません」

所処が昨年から…。
「黒主山」さんで、「食べられる粽」が販売 授与されております。
序でもうひとつ…。
「京都とらや」さんでも、「食べられる粽」が授与 販売されております。

尤も両者とも宵山期間中の限定モノ。
今年はもう終わっておりますので、如何しても御所望の方は「来年どーぞ」。
そんな訳で時宜に失したおハナシでした。

1184304391祇園祭の「黒主山」、今年もグッズ発売へ
真っ黒なあぶらとり紙も

祇園祭に登場する山鉾の一つで、六歌仙の大伴黒主が桜を見上げる姿を表したとされる「黒主山」(京都市中京区室町通三条下ル)は新商品を含めたオリジナルグッズを7月14日より、販売する。
同山のグッズは名前にちなんで「黒」にこだわっているのが特徴で、「黒主おたべ」(650円)や象形文字「黒」のロゴ入り「Tシャツ」(1,500円)、「うちわ」(400円~)などを販売する。昨年は、黒糖入りの生麩を入れた、「食べられる粽(ちまき)」(1,000円)を初めて販売し話題を集めた。各山鉾町の粽(ちまき)は厄除けを目的にしたもので食べることはできないが、毎年「食べられるもの」と勘違

いする人が多いことから商品化を決めたという(同山町)。
毎年「今年はどんな黒シリーズが登場するのか」と期待する人も多く、今年の新商品は真っ黒の「竹炭入り あぶらとり紙」(300円)。紙には赤字で「黒主山」のロゴが散りばめられている。竹炭が配合され皮脂を吸っても透けず「好評」(同山町)だという。
販売は14日~16日、同山町会所で行う。オリジナルグッズのほか、今年も食べられる粽(ちまき)を増量して販売する。
(文.写真共 烏丸経済新聞7/15より)

1279178433祇園祭で「食べられる」ちまき
四条通の「とらや」3店舗のみで販売

京都の夏の一大イベント「祇園祭」の期間中、「とらや」京都四条店(京都市下京区四条通御幸町西入、TEL 075-221-3027)を含む3店舗で「食べられる」ちまきを販売する。
一般に祇園祭の「ちまき」は「厄除けちまき」とも呼ばれる玄関に飾られる縁起物。その起源は八坂神社祭神が一夜の宿の温かいもてなしの返礼として茅の輪を腰に厄除けとして付けさせたとも言われる。形は端午の節句のものと変わらないが、何も入っておらず食べることはできない。
とらやでは祇園祭に因んだ、この時期にも1988(昭和63)年から「食べられる」ちまきを販売している。しかし、それ以前からも「お客様から依頼され特注品として作っていたようだ」と虎屋京都営業部の守屋江さん。この時期に販売することになった経緯は記録として残っていないが、「祇園祭の土産として始まったのでは」という。ういろうで作られたちまきは「割と甘みのしっかりした味」という。
ちまきは京都四条店のほか、京都髙島屋・大丸京都店のいずれも四条通沿いの3店舗で販売する。京都四条店は通りに面した店の前での販売も行い、期間中に100束以上売れるという。「このちまきは食べられます」と説明すると、観光客などが興味深げに手にとっていくという。「祇園祭の記念として楽しんでもらえたら」と守屋さん。
価格は1,134円。販売期間は7月15日~17日。
(文.写真共 烏丸経済新聞7/15より)

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2010.07.21

●「洒落」た祭事

梅雨も明け、ミヤコの「茹だる酷暑」も愈々本番。
今日はそんな大暑頃の時宜風物、「きゅうり封じ」が行われました。

この夏野菜奉納は、「疾病封じの御利益」として名高い祭事。
上高野は蓮華寺さんの方が知られていますが、先駆け行われているのは洛北.神光院さん。
胡瓜との御縁柄「木瓜家紋」の御宅も参詣されては如何でしょうか。

因みに表題は胡瓜の花言葉に由るものです。

20100721124615kyuurihuuji病気平癒や無病息災を祈願
北区の神光院で「キュウリ封じ」

病気をキュウリの中に封じ込める「キュウリ封じ」が21日、京都市北区の神光院で営まれた。家族連れやお年寄りらが訪れ、病気平癒や無病息災を祈願していた。

神光院は、弘法大師の霊場で京都三弘法の一つ。キュウリ封じは、平安時代に弘法大師が中国から伝えた。病を封じたキュウリを地中に埋め、土に返るのと同時に病も消滅すると信仰されている。
本堂では、名前が書かれた紙を巻いたキュウリが供えられた。祈祷(きとう)を終え、参拝者はキュウリを受け取り、具合が悪い部分をさすり、健康を願った。26日も行う。
(文.写真共 京都新聞7/21より)

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●祇園祭「余話」.その壱

「祇園さん」も主要祭事を終え、残す所処あと10日。
そんな訳で本日は祭りに関する「こぼれ話」なぞを。

「おけいはん」。
首都圏在住の方々にとっては「何のこっちゃら」意味不明だと思いますが、近畿圏営業キロ程「第4位」を誇る私鉄、「京阪電鉄」のイメージキャラクター。
関西方面では周知の通り、CM.ポスターから各種キャンペーンに至る迄、幅広く活躍している「京阪の顔」で御座います。
(HP「おけいはん.ねっと」→ http://www.okeihan.net/ )

で、今回のお話の要諦ですが。
詳細は下記記事を参照にして頂くとして、要約「おけいはん.祇園祭篇」のポスターで帯の締め方が逆さに間違っているとの事でして。

まぁ角帯(男物)の場合、縞幅を逆さにして締める事が御座いますが、天地のある柄物帯(況してや吉祥柄)を逆さにするのは如何なものかと。
しかし高々「チラシ」の写真位で目くじらを立てるのも大人げ無い気が致しまする。

そんな訳にて今回の「逆さ帯」、個人的見解結論ですが…。
帯文様に因んで「正解は(青海波)」無し、と云う事で。
チャンチャン♪。

2010071700000539sansociview000_2おしゃれ?非常識?
祇園祭おけいはんポスターに「逆さ帯」

京阪電鉄の祇園祭キャンペーン用のポスターやチラシに登場する女性イメージキャラクター「おけいはん」の帯が上下逆向きに巻きつけられていたことが分かった。同社は「おしゃれの一環」と主張するが、京の伝統文化を受け継ぐ関係者らからは疑問の声も上がる。はたしておしゃれなのか、それとも…。
ポスターは大小計5800枚、チラシは4万枚作られ、6月末から今月16日まで電車内や駅などで掲示された。
女性モデルの帯の文様は扇状の波を交互に重ねた「青海波」といわれる日本の伝統的な吉祥柄。赤地に金色の青海波があしらわれ、通常とは上下逆向きに巻きつけられていた。
京阪電鉄広報担当によると、同社の祇園祭の広告物用の着付けを10年以上担当する40代の女性スタイリストが調整。「帯の文様を崩す流行に乗った。おけいはんの年齢設定は10代で、元気の良さをアピールしたかった」と、意図的に上下逆さとしたと強調する。
ところが、京の伝統文化関係者などから「伝統を重んじる祇園祭の広告にはそぐわない」(40代女性)、「あり得ないミス」(60代男性)といった声が噴出。「若い人ならどちらでもいいのでは」(80代女性)との意見もあるが、西陣織工業組合の渡辺隆夫理事長は「お粗末の一言」とばっさり。「ベーシックな柄であり、ましてや吉祥柄を逆さにして新デザインというのはいかがなものか。デザインとは文化。もっとよく勉強してほしい」と苦言を呈した。
京阪電鉄は「スタイリストが浴衣メーカーに『逆にしても間違いではない』と確認を取っていた」と話している。
(文.写真共 産経新聞7/17より)

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2010.07.20

●「耳のイタイ」お話

昨日から中耳炎にかかってしまいました。

右耳の周辺が痛くて、階段の上り下りでも「ズキズキ」致します。

食べ物を咀嚼するのも、寝返りをうつのも億劫です。

今夕、耳鼻科に行って来たのですが、洗髪及び飲酒禁止令が出ました。

嗚呼、鬱陶しい。

そんな訳で文字通り「耳の痛い」お話でした。

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2010.07.19

●「川越逍遥」後記

えー、先日「川越小旅」の後日談。

氷川神社内「八坂詣」を済ませた後は、街中を漫ろ歩き。
ミヤコの「町家造り」あづまの「蔵造り」の違いは有れども、古い町並みを游歩するのは矢張り気持ちの良いもの。

そんな訳での川越散策「建築物スナップ集」です。

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一番街周辺、蔵造りの街並み二写。
【写真左】川越を代表する観光名所「鐘撞堂」、通称時の鐘。
寛永年間よりの建造、現在は1893年(明治26)再建のもので4代目。
【写真右】元町.菓子屋横丁。
この辺りは景観保全も頗る良好、点や線でなく「面」で旧町並みが残っています。

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近代建築.洋館二写。
【写真左】埼玉銀行川越支店(旧八十五銀行本店)、1918年(大正7)の建設。
ランタン付ドームを階上に施したルネッサンス風の塔建築です。
【写真右】川越商工会議所(旧埼玉銀行南支店)、1938年(昭和13)の建設。
入口上部のペディメントや円柱間のアーキトレーブ装飾は新古典様式の典型。
大正末~昭和初期の銀行.役所建築を良く表しています。

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【写真上】三芳野神社。
社殿は寛永元年(1624)造営、権現造。
拝殿 桁三間梁二間.入母屋.銅版葺。
本殿 桁三間梁二間.入母屋(向拝付き).銅版葺。

嘗ては川越城内の守護社も、今では観光色の薄い「近所の小祠」的存在。
境内には児童公園が併設されており、爺ちゃんやお子様が遊んでおられました。

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【写真上】喜多院山門と番所。
山門(国.重文)は山内最古の建築物、寛永9年(1632)の建立、切妻四脚門.本瓦葺。
禅刹の総門に良く観られる形式。
番所は、裄3間梁間2間、単層切妻造.桟瓦葺。
江戸中期から江戸末期の建立、本来境内に建っていたものを移築。
正門に付随する番所は稀少な例、むくり屋根も珍しい形状です。

同じ天台寺院と云う事もあってか、境内は「真如堂さん」と近しい雰囲気。
意外と「お武家さん」の臭いは希薄で、寧ろ民間信仰寺院の色合いを強く感じました。

100714_017【写真左】日枝神社(国.重文).一写。
室町後期頃造営.三間社流造。

所処で「川越」と弊亭所在地「赤坂」とは、「氷川さん」以外にも結構所縁が御座いまして。
外堀通り向こうの「赤坂日枝神社」、実は此方から勧請されたものだったり致します。

更に赤坂花街の流派藤間流は。此処川越が発祥の地。
「初代.藤間勘兵衞」は入間郡川越の藤間村出身でその名をつけたのでした。

と、まぁこんな感じでした。
おしまひ。

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2010.07.18

●「ホイッと ホイッと」

昨日は夕刻より神幸祭。
「三社御神輿差上」頃の八坂さん西楼門下は、1500人の輿丁が法被姿で集結。
毎年の事乍ら「スゴイ事」になっておりまする。

神幸祭は「御祭神三柱」が其々の神輿に乗り、氏子地域を練り歩きながら四条新京極前.御旅所に「お渡り」になるもの。
「八坂神社例祭.祇園祭」としては語るに省けない神事です。

亦、宵山や山鉾巡行が「ミヤコ市井民の祭事」及び「観光的色彩の強いもの」とするならば、神幸祭は「八坂氏子衆の神事」とも云うべき祭事。
私めも「洛外モノ」の身でありながら、寺町界隈で神輿行脚を見物するのを楽しみにしておりました。

因みに…。
「お出掛け」になられた八坂さん祭神様はこのまま御旅所に「お留まり」になられ、24日の還幸祭で神社に「お帰り」になります。
三基の神輿が逗留されるこの間、御旅所では禰宜さんが不寝の番。
お疲れ様です。

20100717230621kankosai輝く3基「ホイット ホイット」
祇園祭・神幸祭
祇園祭の神幸祭が17日夕、行われた。京都市東山区の八坂神社を出発した3基の神輿(みこし)は、「ホイット、ホイット」の掛け声と飾り金具の音を響かせて氏子地域を練り歩いた。
午後4時から八坂神社で神事が営まれた。午後6時すぎ、中御座(ござ)、東御座、西御座の3基の神輿が石段下にそろい、夕日を浴びて輝かしい姿をみせた。
法被姿の輿丁(よちょう)が、担いだ両手を真上に伸ばす「差し上げ」を行った後、ゆっくりと回転する「差し回し」を披露して祭神への敬意を表すと、見物客から大きな拍手が起こった。
3基は東山、中京、下京各区の氏子地域をそれぞれ練り、四条通寺町東入ルの御旅所に到着した。24日の還幸祭で八坂神社に戻る。
(文.写真共 京都新聞7/18より)

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2010.07.17

●梅雨明けし日に「山鉾巡行」

九州北部から四国.中国、近畿.東海に関東甲信.北陸。
三連休に歩調を合わせるが如く、列島各地「纏めて」梅雨明け(らしい)です。

と云う訳で夏蒼空広がる中、祇園祭は「山鉾巡行」を迎えました。
宵山三日間は雨に「祟られっぱなし」でしたが、「巡行見物」は絶好の日和。
沿道の賑わい振りは、此処三年で一番でした。

尤も山鉾町の役員さんや曳き手さんにとりましては、却って「晴れ杉暑杉」の天気。
嘸かし汗だくの巡行だった事でしょう。

因みに「祇園祭」此処三年間の人出はと申しますと。

      宵々々山    宵々山    宵山     巡行
2008年  11万人   28万人   36万人   18万人
2009年  12万人   21万人   31万人   13万人
2010年 
08万人   12万人   47万人   20万人

尚、宵山三日間の来客数カウントは午後9~11時調べ(京都府警)の為、実質もう少し多いかと思われます。

しかし、何時もの事乍ら…。
「吉符入り」からの半月は「@」云う間に過ぎて行くものでして。

20100717122333naginatabokoからり都大路、山鉾優雅に
祇園祭、巡行に20万人

梅雨明けを告げる夏空が広がった17日、日本三大祭りの一つ、祇園祭の山鉾巡行が京都市中心部で繰り広げられた。今年はユネスコ無形文化遺産に登録されて初の巡行。絢爛豪華な懸装品をまとい、「動く美術館」と称される32基の山鉾が、祇園囃子を奏でながら、大勢の観衆の待つ都大路を進んだ。
「エンヤラヤー」。午前9時すぎ、先頭を行く長刀鉾が音頭取りの掛け声を合図に、車輪をきしませて四条通烏丸を東へ出発した。四条麸屋町に差しかかると、稚児が太刀を振り下ろして、斎竹に張られた注連縄(しめなわ)を切り、沿道から大きな歓声が沸き起こった。
四条河原町や河原町御池の交差点では、10トンを超す鉾を90度方向転換する「辻回し」が行われた。車方が路面に青竹を敷いて水をまき、その上に車輪を載せて、豪快に滑らせていた。
今年は土曜の巡行となり、昨年より約7万人多い約20万人(京都府警発表)が沿道に詰め掛けた。気温32・4度(午後1時現在)という暑さの中、目前を通り過ぎる山鉾の一基一基に目を凝らした。
(文.写真共 京都新聞7/17より)

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●「宵山」

祇園祭も昨晩「宵山」を迎えました。

今年は「宵々々山~宵山」全て梅雨にやられっぱなし。
三日間「全て雨に祟られた」祇園祭と云うのも私めの記憶にありません。

その所為か三日間合計の人出は、例年より少な目だった様子。
と云いましても下写真の有様、例に由って大路小路「混ッ多返し」だった様ですが…。

そんな訳で本日は「山鉾巡行」に「神幸祭」。
祇園さんはまだまだ「祭酣」で御座います。

20100716230846yoiyama300鉾包む 熱気と人波
祇園祭 宵山に47万人

京都の夏を彩る祇園祭は16日、宵山を迎えた。京都市中心部の山鉾町には、悪天候で前日まで外出を控えていた人がどっと繰り出した。週末とあって仕事帰りの会社員も加わり、人出は昨年より9万人多い47万人(京都府警発表)に上り、祭りムードはようやく最高潮に達した。
昼間の雨も夕方には小降りになり、山鉾町かいわいは、夜が深まるにつれて人出が増えた。四条通の長刀鉾や函谷鉾、月鉾の周辺をはじめ、数基の山鉾が一列に連なる室町通や新町通も身動きが取れないほど混雑した。
囃子方が鉦や太鼓、笛で祇園囃子を奏でる中、浴衣姿の女性や子どもたちが「厄よけのちまきどうですか」「明日は出ません。今晩限り」と声を掛け、行き交う市民や観光客は祭りの夜を満喫していた。
(文.写真共 京都新聞7/17より)

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2010.07.16

●「入梅晴れ」の気配

えー、「本日モ晴天哉」。

此処数日の帝都トーキョーは「梅雨間」の好天続き、気象庁のお達しでも暫く雨の気配は御座いません。
今日も「盛夏到来」を思わせる空色と陽射にて。

100716_134526

そんな訳でぼちぼちと「梅雨明け」の気配。
今年の夏は長そうです。

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●「宵々山」

昨日は宵々山。
しかし降ったり止んだり生憎の空模様でした。

梅雨時と云う事もありまして祇園祭「宵山三日間」は雨に祟られる事が多いのですが、今年も連日の雨模様。
昨夜も「祭日和」とはいかなかった様子です。

本日の宵山、お天気具合は如何に。

20100715221920yoiyoiyama宵々山、セピア色に
祇園祭

祇園祭は15日夕、宵々山を迎えた。断続的に雨が降り続いた京都市内では、低く垂れ込めた雲が赤く染まり、町全体がセピア色に沈んだ。南北の観音山や放下鉾などがひしめく中京区・新町通の山鉾町でも、提灯(ちょうちん)のともった山や鉾が幻想的に浮かび上がった。
京都地方気象台によると、西側に立ちこめた雲や大気中に大量に含まれた水の粒に西日が当たり、光が散乱したために起きた現象とみられる。
豪華な懸装品を誇る長刀鉾や月鉾、函谷(かんこ)鉾が建ち並ぶ四条通では雨の間、人々は地下街へ避難していたが、雨がやむと浴衣姿の女性や家族連れらが再び繰り出し、囃子(はやし)方が鉦(かね)や太鼓、笛で奏でる祇園囃子の音色の中、そぞろ歩いた。
午後10時までの人出は12万人(京都府警発表)で、昨年より12万人少なかった。
(文.写真共 京都新聞7/16より)

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2010.07.15

●武蔵国にて「八坂詣」

ミヤコでは昨日から「祇園さん」、宵山が始まりました。
そんな訳で私めも14日は昼過ぎより「八坂詣」。

と申しましても、残念乍ら帰京する訳ではありません。
「八坂さん」と申しましても、赴く先は「武蔵国入間郡」。
川越総鎮守「氷川神社」さんに勧請分祠されている八坂神社へ参るべく、「小京都」ならぬ「小江戸」へと向かったのでした。

100714_008
【写真上】氷川神社本殿
桁三間梁二間.入母屋(向拝付)造.千鳥破風付.屋根銅版葺。
正確な建立年は不明も、棟札から1842年(天保13)から1870年(明治3)間の造営とされ、1850年(寛永3)にはほぼ完成していたと思われ鱒。

建物壁面から柱.土台に至る迄、四方が装飾彫刻で埋め尽くされており、まぁ近世関東寺社建築の典型といった所処でしょうか。
素木の江戸彫りで彩色こそ施されて無いものの、徳川さんと云うかお武家さんの臭いが全面に現れています。

100714_005
【写真上】境内北側、摂社群。
氷川神社境内には17の摂社が奉られてますが、その殆どが写真の様な小祠。
因みにミヤコ絡みでは、稲荷.菅原天神.松尾さんが御鎮座されてました。

100714_009
【写真上】氷川社拝殿前より眺む、八坂神社拝殿と社殿。
桁三間梁二間.入母屋造.屋根銅版葺。

八坂社社殿は1637年(寛永14)に江戸城一ノ丸の東照宮拝殿として建立されたものが、1656年(明暦2)に川越城内の三芳野神社外宮として移築されました。
その後川越城廃城により1872年(明治5)、現在地に移され八坂神社社殿となったものです。

100714_010
【写真左】八坂社社殿近景。
社殿後方に凸形の突出部(桁三梁二)が確認されます。
江戸城から川越に移築した際に相当規模縮小されたと思われ、現在の形状になったと推察されます。

【写真左】きゅうり封じ。
「ミヤコ.八坂神社」と時を同じくして、川越の八坂さんでも丁度「例大祭」が行われていました。
尤も此方の神紋は「五瓜に唐花紋」では御座いませんが…。

そんな訳で数年振りの川越行脚。
この後、札の辻から仲町~松江町.喜多院を漫ろ歩き。
片道1時間の日帰りで「少し計り」の旅情気分を満喫し、悦に入った私めでした。
とさ。

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●「宵々々山」

「コンコンチキチン コンチキチン♪」

「粽どーですかー 御守りどーですかー」
「御信心の御ん方様は ろーそく一本献じられましょー♪」

そんな訳で昨日は宵々々山。
各山鉾町で「祇園囃子」が奏でられ「売り歌」唱和される中、祭気配も愈々本格化。
尤も今年の宵山三日間、私めはトーキョーで「呆~っと」しておりまする。

で、気になる混雑振りですが、昨夜の来客者数は8万人。
平日の上雨にも祟られ、人出は去年.一昨年の約半分です。
人が多けりゃ多いでも難儀なのですが、少なすぎてもまぁ淋しいものでして。

20100714224512yoiyoiyoiyama雨の中、人波に山鉾ふわり
祇園祭・宵々々山

祇園祭は14日夜、宵々々山を迎えた。時折雨が降る空模様となったが、多くの人たちが繰り出し、山鉾町界わいに傘の列が連なった。
午後6時、京都市中心部の四条通と烏丸通が歩行者天国になり、祇園囃子(ばやし)の音が響きだした。訪れた人たちは足元の水たまりを気にしながら行き交い、山鉾や会所飾りの見物を楽しんでいた。
雨のため透明のシートを懸装品(けそうひん)や駒形提灯(ちょうちん)にかぶせる山鉾が目立った。胴掛などの取り付けを見合わせた山もあった。
京都府警によると、午後11時現在の人出は約8万人で、昨年より約6万人少ないという。
(文.写真共 京都新聞7/15より)

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2010.07.14

●続.「社参の儀」

昨日午前中の烏丸四条~八坂さん界隈は、「長刀鉾お稚児さん」社参の儀で大賑わいでしたが…。

同日午後には、久世駒形稚児のお二人も「社参の儀」に臨まれました。
17日巡行後行われる「神幸祭.還幸祭」にて、「中御座」を先導するお稚児さんです。

長刀稚児が「正五位下少将」であるのに対し、コチラは「素戔嗚尊.荒御魂」の化身。
云わば八坂さん祭神様の半側面(=同格)だったりする訳で、ある意味長刀鉾のお稚児さんより「エライ」のです。

因みに八坂神社境内で下馬せず直接本殿に社参出来るのは、唯一駒形稚児だけ。

20100713231504_2久世駒形稚児が「社参の儀」
祇園祭 八坂の神に無事祈願

祇園祭の神幸祭(17日)と還幸祭(24日)で、馬に乗って神輿を先導する久世駒形稚児の2人が13日、京都市東山区の八坂神社で「社参の儀」に臨んだ。
稚児は八坂神社とゆかりの深い南区の綾戸国中神社の氏子から選ばれる。今年は、神幸祭で山路叶育(かい)君(7)、還幸祭では川島優太君(8)が務め、神体の「駒形」を身につけて先導する。
社参の儀では、金色の烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)姿の山路君と川島君を先頭に、綾戸国中神社の宮司や氏子たち約20人が南楼門から八坂神社に入った。本殿で稚児の証しとなる「杉守り」を受け取り祭りの無事を祈願した。
(文.写真共 京都新聞7/13より)

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●蝶と蜻蛉

昨日は八坂さんにて祇園祭前儀「社参の儀」、所謂「お位もらい」の日です。
と云う訳でお稚児さん、13日付にて「正五位下少将」になられました。

これより巡行後の「お位返しの儀」迄は潔斎入り。
「行幸は地面を踏まず肩車」「御膳や身繕いの支度も女人手は介せず」、穢れを絶って祭事に臨まれます。

知人の「お稚児さん経験者」曰く、昨今其処迄は祭例厳しく無いとの話ですが、それでも小学校なんぞ行ってる場合じゃありません。

因みに表題は「冠の羽根飾り」に因んだものにて。

20100713125433烏帽子りりし 神の使い
祇園祭 社参の儀

祇園祭の山鉾巡行(17日)で先頭を進む長刀鉾の稚児が13日、京都市東山区の八坂神社に参拝して、神の使いとなり、十万石大名の格式を得る「社参の儀」が厳かに営まれた。
午前10時過ぎ、稚児の徳力峰雪君(10)は、クジャクの羽根をあしらった「蝶とんぼ」の冠に金の立烏帽子をつけた水干姿。雨の中、白馬に乗り、禿(かむろ)2人と長刀鉾保存会の役員らとともに、下京区の長刀鉾会所を出た。
神社に到着した後、本殿で神事に臨み、「杉守り」を授かり、神の使いとなった。同時に、「正五位少将、十万石」の格式を授かった。
稚児は潔斎し、地面に足を着けることが許されず、食事や着替えなど一切の世話は父親が行うとされている。巡行当日、注連縄を切り、32基の山鉾巡行を告げる大役を務める。
(文.写真共 京都新聞7/13より)

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2010.07.13

●プレ巡行「曳初め」

ミヤコ烏丸周辺では「鉾建て」も粗方終了、昨日から「曳初め」が始まりました。

何たって総重量にして約8~12tある大型鉾。
鉾車が「ギシリギシリ」軋みながら廻る様は中々圧巻なものでして。

と云う訳で明日からは愈々宵々々山。
そこで恒例、今年の人手予想なぞを…。
 14日(水宵々々山(時々)   8万人
 15日(木)宵々山(時々)   10~15万人
 16日(金)
宵山(時々)    30~35万人

今年は宵山全て平日の上、三日間通して「からっ」と晴れる日は無さそうな予報。
そんな訳で少なめに見積もってみました。

因みに昨年「曳初め」、現地レポは下記にて。↓。
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/07/712-a71a.html

20100712190905hokohikizome1力合わせ、巨大な鉾ギシリ
祇園祭、5基が曳初め

祇園祭の鉾や曳山が建ち始めた京都市中京区と下京区で12日、5基による曳初めが行われた。祇園囃子が響く中、子どもや女性らが綱を引いて、重量が10トン以上ある巨大な鉾を動かしていた。
曳初めは、四条通と室町通に建つ函谷鉾、月鉾、菊水鉾などであった。誰でも鉾を引ける機会とあって楽しみにしている人も多い。
時折、雨が降ったが、「鉾の辻」とも呼ばれる四条室町界わいでは、大勢の人たちが訪れた。函谷鉾では、観光客や親子連れらが綱を持ち、音頭取りの掛け声に合わせて鉾を力強く引っ張った。
下京区の主婦八尾知華さん(35)は長男桂奨ちゃん(3)を連れて参加し、「いつも楽しみにしている。今年も鉾を引けて良かった」と話していた。
月鉾では、洛央小の児童らも参加し、お祭りムードを高めた。
(文.写真共 京都新聞7/12より)

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2010.07.12

●「398m」&「46000日」

えー、一昨日の琴。
「お江戸初夏」の歳時記と云えば、「入谷の朝顔」に「浅草の酸漿」。
そんな訳で黒足袋姿に身嗜みを整え、浅草寺はほおずき市へ伺って参りました。

100711_008_2

【写真左】業平橋より一写。
折角の機会ですので「行掛けの駄賃」と計り川向こう迄。
建設中の「東京スカイツリー」へ足を延ばして来ました。

此処から更に230m以上伸びると云うのも、スゴイものでして。

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【写真上】大横川沿いからスカイツリー嬢「御御足」を眺む。
只今398m「by 大林組」。
手前のクレーン車対比でも判る様、兎に角「デカイ」のです。

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【写真上】雷門より仲見世通りを写す。
二日目(最終日)の土曜日だけあって、流石に 「人.人.人…」。
この他境内、周辺通り全てこんな感じでした。
因みにこの日は参院選前日、浅草通り門前は終日選挙カーが占拠。
のべつ幕無し、どっかの候補者が大声で叫び倒しておりました。

100711_009

【写真左】宝蔵門前一景。
「焼きソバ」「タコ焼き」「お好み焼き」…。
境内を漂う縁日の「ソース匂」は、お祭り風情に不可欠。
喉を潤すアイテムも、当然「ラムネと麦酒」な訳でした。

と、まぁこんな所処にて。
この後、人山掻き分けてお参りした後は、飲み屋で結構イイ感じ。

「雷除御守」と少々の「着崩れ」を手土産に帰路へ就いたのでした。

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2010.07.11

●神事「神輿洗い」

昨夜は祇園祭前儀の一つ「神輿洗い」が行われました。
午前中愚図ついていた空模様も持ち直し、雨に祟られる事も無かった様子です。

この「神輿洗い」は、神幸祭(お出かけ)に出る3基の神輿のうち「中御座」を鴨川の水で洗い清める神事。
神幸祭は山鉾巡行後の夕刻より行われる市井氏子の為の祭事にて、観光客も皆無な「祭りの後の祭り」です。

20100710212125mikosi004清めの水 神輿洗い
祇園祭
祇園祭の神幸祭(17日)を前に、鴨川の水で神輿(みこし)を清める「神輿洗い」が10日夜、京都市東山、中京区の四条大橋で行われた。
神輿洗いは、八坂神社(東山区)の3基の神輿のうち「中御座」を洗い清める神事。午後7時、松明(たいまつ)が八坂神社と四条大橋を往復する「道しらべの儀」があり、神輿が進む道を清めた。
中御座の神輿は午後8時前、「ホイット、ホイット」の掛け声を響かせて四条大橋に到着した。朝に鴨川からくみ上げた水を、神職が榊(さかき)をひたしては神輿に振りかけた。子どもを肩車をした氏子や歩道を埋め尽くした市民が、健康や厄よけを願って水しぶきを浴びていた。
(文.写真共 京都新聞7/11より)

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2010.07.10

●「山鉾建て」始まりました

「カァン カァーン カァーン 」
「コン コン コーン」


と云う訳で、木槌の音も鳴り響き、ミヤコでは「鉾建て」が始まりました。
この風景を見ると「祭り気配」も愈々本格化、「祇園モード」は急激に加速します。

今日から櫓組みが始められるのは四条烏丸周辺、「長刀鉾」「函谷鉾」「月鉾」「鶏鉾」の四つの大型鉾。
他、小型の山組みは一日で行われ、14日迄に全ての山鉾が組み終えます。

「鉾建て」後には恒例の試し曳き、所謂「曳き初め」が行われます。
巡行は見に行かずとも、この「曳き初め」だけには毎年訪れる市井民も多い様で。
因みにスケジュールは以下の通り。
 12日14時頃~ 烏丸通り「長刀鉾」「函谷鉾」「月鉾」「鶏鉾」「菊水鉾」
 13日15時頃~ 室町通り「放下鉾」「船鉾」「南観音山」「北観音山」「
岩戸山」

20100710121230梅雨の晴れ間につちの音響く
祇園祭 山鉾建て始まる

祇園祭の山鉾巡行(17日)まで1週間と迫った10日、山鉾建てが京都市下京区と中京区で始まった。四条烏丸交差点周辺では、梅雨の晴れ間にやぐらを組むつち音が響き、祭りの雰囲気を漂わせた。
午前7時ごろから、長刀鉾と函谷(かんこ)鉾、月鉾など5基で作業を始めた。大工方や手伝方と呼ばれる専門の職人たちが、「縄がらみ」と呼ばれる伝統技法によって、くぎを使わず縄だけで部材を固定していった。
月鉾周辺には多くの市民たちが見学に訪れた。月鉾保存会の斎藤政宏理事長(63)は「巡行までの準備が大変。最後まで気を抜かず、1日ずつ無事に終わりたい」と気を引き締めていた。
11日に放下鉾、岩戸山、船鉾、12日に北観音山、南観音山などが行う予定。12日と13日の午後には、組み終わった鉾と曳山(ひきやま)の曳初めがある。14日までに32基すべてがそろう。
(文.写真共 京都新聞7/10より)

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2010.07.09

●ケータイ「蘇民将来」

時事柄、「祇園祭」ネタが多くなっている今日此頃。
そんな訳で本日も関連記事、菊水鉾さんのお話です。

宵山期間中、各山鉾町の会所で授与されるものは色々と御座います。
「厄除け粽」を筆頭に「御利益御守」「手拭い」「ミニチュア山鉾」…。

所処で一昨々年の事。
「浄妙山」さんが授与品の新機軸として「厄除け粽の携帯ストラップ」を作製されたのですが、これが予想を上回る大反響。
山鉾町初の試みとなったこの一品、毎年初日に即完配。
昨年も会所開き早々と授与終了になったそうです。

その影響を受けてかはいさ知らず、昨年から「菊水鉾さん」でも同様の携帯ストラップを作製されたのでした、が。
急拵えだったのか「丸環は外れやすい」「ロゴはシール」、と安普請感が否めないものでした。
所処が今年からは下記記事の様にモデルチェンジ。
「七宝の飾り玉はつくは」「色違いはあるは」「印字はしっかりするは」、大きく改良が加えられております。

因みにこの携帯ストラップ、如何しても御所望な方は…。
山鉾町会所授与所の設置日は13日の午前中ですので、昼前迄に「浄妙山さん」か「菊水鉾さん」へお邪魔してみましょう。

「厄除け粽ストラップ」詳細は下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/07/34-3d87.html
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/05/post_97d1.html

20100708122102timaki001_3ミニちまきの携帯ストラップ
菊水鉾保存会が作製

祇園祭の宵山を前に、菊水鉾保存会(京都市中京区室町通四条上ル)は、新たな授与品として、ミニちまきの携帯電話ストラップを作製した。「身につけて、厄よけに」とPRしている。
ストラップは、赤、白、緑の3種あり、七宝焼の飾り玉と鈴をつけた。ちまきの表側に「菊水鉾」、裏側に祭神である菊水天王とえびす神にちなんで、「不老長寿」と「商売繁盛」と記している。
同保存会の川塚錦造副理事長は「若い方にもっと親しんでもらえれば」と期待する。13日から16日まで菊水鉾近くの授与所で授与する。上代500円。
(文.写真共 京都新聞7/8より)

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2010.07.08

●入谷「朝顔まつり」

えー、唐突では御座いますが…、
「七夕&小暑」頃の帝都歳時記と云えば。

「入谷の夏、金鳥の夏」

2010ekibari

そんな訳で昨日は、毎年恒例「朝顔まつり」へ足を運んで参りました。

何時もなら「昼間に行って夜は仕事」な筈なのですが、幸か不幸か只今無職の身。
折角の事、久し振りの和装に身嗜みを整え、初めて「夜の部」に伺ったのでした。

然乍ら、そんな日に限って…。
縁日の風情も宜しく、烏賊焼きでも食しつつ麦酒でも飲んでほっつき歩こうとした目論見は俄に降り出した夜雨に祟られて「台無し」。

まつり会場の滞在も小1時間、「這う這うの体」で入谷の地を後にしたのでした。

「朝顔まつり」の様子は下記にて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2009/07/in-5278.html

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2010.07.07

●祇園町「お千度」

ぞろぞろぞろぞろ…。

「おはようさんどすぅ~」
「おはようさんどすぅ~」
「おはようさんどすぅ~」

ぞろぞろぞろぞろ…。

と云う訳で、本日は今日は夏の祇園町風物詩「お千度」。

この催事、学生時分に祇園界隈で仕事していた縁もあって何度か出遇した事があるのですが…。
白浴衣のオネーさんが大挙移動される状景は「華麗」と云うより寧ろ「圧観」。
八坂さん南楼門前で記念撮影の行われる様や、四条河原町まで大挙移動される様には蓋し圧倒されたのを思い出します。
百花繚乱「艶花」も、余りに多過ぎると却って「おっかない」ものでして。

因みに今年の揃い浴衣は「萩」文様。
そう云えば、昔話で狸が化けるのは萩の花だった様な…。
あぁ、怖い怖い。

20100707121523osendo_2浴衣姿で涼やか「お千度」
八坂神社
祇園甲部の芸舞妓らが芸事の上達と夏場の息災を祈願する「お千度」が7日午前、京都市東山区の八坂神社であった。京舞井上流家元の井上八千代さんと門下生らがそろいの浴衣姿で参拝し、蒸し暑い境内に涼やかな風情が漂った。
井上流の門下生でつくる「みやび会」が毎年、祇園祭のムードが高まるこの時期に行っている。午前9時半ごろ、日傘などを手に芸舞妓や門弟ら約100人が集合。「おはようさんどす」とあいさつを交わし、本殿に移っておはらいを受けた。
白地にハギの花をあしらった浴衣姿に、大勢の観光客や写真愛好家が盛んにシャッターを切っていた。八千代さんは「みんなが夏の暑さを元気に過ごし、秋の舞いのシーズンを健やかに迎えられますようにとお願いしました」と話した。
(文.写真共 京都新聞7/7より)

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●398/634(m)

「局地的集中豪雨」に襲われた一昨日とは一転、昨日の帝都は「盛夏到来」を思わせる様な蒼空が拡がっておりました。

そんな「梅雨の合間」を見計らって私めはお買い物。
半襟と黒足袋を求めて、浅草迄出掛けて参りました。

で、駅を出た際の事です。
何と無く隅田川向こうに目をやると…。

100706_141803_2
そんな訳での東京スカイツリー、只今398メートル迄延びております。
因みに手前の建物はアサヒビール社屋(通称ウ○コビル)と墨田区役所。

晴れ亘る夏空の下、金色(?)のオブジェも「訝しげ」に輝いておりました。

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2010.07.06

●「1500」本目

えー、何時も御世話になっております、現在無職の弊亭酒司です。

拙ブログを開設して三年と約五ヶ月、前回ログで丁度「1500本目」の書き込みとなりました。
名球会入り迄あと少しです。
そんな訳にて引き続き御愛顧の程を。

因みに更新履歴を紐解いて見ると、
1197(日)/1500(本)=1.25(一日当たり)
結構頑張っているものです。

あ、それと…。
移転先、及び再開時期のリリースはもう一寸待ってくださいね。 

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●長刀鉾「吉符入り」

昨日は長刀鉾でも吉符入り。
お稚児さん鉾町引き合わせの後、稚児舞「太平の舞」が奉納されました。

これにて全ての山鉾町「神事始め」が終了。
早いもので、宵山迄あと十日余りです。

20100705220047nagi003太平願う 稚児の舞
祇園祭 長刀鉾 吉符入り
祇園祭の山鉾巡行(17日)で先頭を切る長刀鉾の「吉符(きっぷ)入りの儀」が5日、京都市下京区の長刀鉾会所で行われた。稚児の徳力峰雪君(10)が巡行当日に鉾上で舞う稚児舞「太平の舞」を披露、無病息災などを祈願した。
吉符入りは神事始めの意味で、祭り期間中の無事を祈る。午後3時から、徳力君は、禿(かむろ)の井尻佳吾君(11)と本田崚君(9)の2人のほか、長刀鉾保存会役員、囃子(はやし)方ら約50人と一緒に神事に臨んだ後、四条通に面した会所2階に姿を現した。
徳力君はクジャクの羽を飾った「蝶(ちょう)とんぼ」の冠をつけ、ふじ色の振り袖に若草色のかみしも姿で、囃子に合わせ、ゆっくりと「太平の舞」を披露した。稚児係らに支えられ、会所の窓から身を乗り出すと、市民らはカメラのシャッターを切っていた。徳力君は「稚児係の方のおかげでとてもやりやすかった。鉾に乗る時は百パーセントで終わりたい」と話した。
(文.写真共 読売新聞7/6より)

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●ミヤコ拾遺集「洛東」

えー、先日帰京の後日談。

四泊五日の在京中、「公用」「私用」込みで色々ほっつき歩いておりました。
水無月晦日は御所~岡崎~疎水~白川へと。
そんな訳でのミヤコ拾遺集、「洛東(6/30)」篇です。

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【写真上】有朋さんちの別荘、飛石二景。
人が居ないであろう事「確信犯」で訪れたのですが、予想以上の「嬉しい誤算」。
雨上がりの夕刻約1時間、全くの貸切でした。

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【写真上】同、母屋より庭園を眺む。
関連過去ログは下記にて。
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2007/08/post_066e.html

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【写真上】京都市指定天然記念物、樹齢うん百年の「楠」。
仁王門通りより少し歩いて粟田口迄、何処か説明の必要も無いでしょう。
13世紀より門跡門前に御鎮座おはしまする。

てな感じで御座いました。

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2010.07.05

●ミヤコ拾遺集「嵯峨野」

えー、先日帰京の後日談。

四泊五日の在京中、「公用」「私用」込みで色々ほっつき歩いておりました。
そんな訳でのミヤコ拾遺集、「嵯峨嵐山(6/29)」篇です。

P1000231
【写真上】罧原堤より望む亀山.嵐山。
「梅雨のミヤコ」は大変蒸し暑うございます。
時折日差しが射すにも関わらず、西山連峰は濃霧の中。
愛宕山も湿気に遮ぎられ窺う事が出来ません。

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【写真上】嵯峨野竹林、大河内山荘近辺。
嵯峨野のお約束風景。
「竹の季語」は矢張り「夏」なものにて。

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【写真上】嵯峨野田園風景、二景。
児神社と北嵯峨高校付近より。
「野は、嵯峨野さらなり」、と謳われた「鄙び」の原風景。

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【写真上】一条通りより眺む広沢池。
正面に遍照寺、左奥に愛宕連峰を望む。 
大宮人も愛した鄙びの景勝地、濃緑のコントラストは夏ならでは。

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【写真左】三条通より望む渡月橋。
嵐山のお約束風景。
梅雨時の平日、流石に人出も疎らなもの。

そんな訳で「家の近所」スナップ集でした。

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2010.07.04

●「上七軒ビアガーデン」始まりました

ミヤコ夏の風物詩のひとつ、上七軒「夏の風物」が一昨日から始まりました。

日毎五人の花街佳人が「おもてなし」、華やかなお座敷姿も宜しいですが白地の浴衣姿も亦艶っぽいもの。
どーせなら
和装で御邪魔するのが宜しいものでして。

因みに協賛はアサヒビールさん、
中ジョッキ\950より。

営業期間 7/1 ~9/5 (8/14~8/16はお休み)
営業時間 17:30~22:00
詳細は上七軒HPにて。→ http://www.maiko3.com/

201007031965151n浴衣姿の芸舞妓と会社員ら暑気払い…
上七軒ビアガーデン

花街・上七軒(京都市上京区)の歌舞練場で恒例のビアガーデンが始まった。仕事後の会社員らが、涼しげな浴衣姿の芸舞妓と一緒に、暑気払いをしている。
普段は「一見さんお断り」の花街を身近に感じてもらおうと、約50年前から続けている。歌舞練場は今春、約60年ぶりに改修され、新たにせせらぎや小さな滝が造られた庭園に約200席を設けた。毎日、芸舞妓計5人が接待する。舞妓の市照さん(20)は「お座敷と違う雰囲気を楽しんでいただけたらうれしおす」とPRしている。
午後5時30分~午後10時。9月5日まで(盆休み8月14日~16日)。予約は上七軒歌舞会(075・461・0148)へ。
(文.写真共 読売新聞7/3より)

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2010.07.03

●「巡行順」決まりました

昨日は京都市役所で「くじ取り式」。
長刀鉾他「くじ取らず」の八基を除き、17日の巡行順を抽籤で決定するものです。
何たって500年以上前より続いている「由緒正しき籤引き」。
従い羽織袴で「威儀を正して」の臨席となる訳でして。

「くじ取り式」の後、各山鉾町代表者は八坂神社に参詣。
祭礼の無事斎行を祈願する「山鉾連合会社参の儀」が行われました。

因みに今年の巡行順は次の通り。

20100702120956gionmaturikujitori山一番は孟宗山に
祇園祭くじ取り式
祇園祭の山鉾巡行(17日)で32基の順番を決めるくじ取り式が2日、京都市役所(京都市中京区)の市議会議場で行われた。先頭の長刀鉾に続く「山一番」は、孟宗山が2年ぶりに引き当てた。
くじ取りは、巡行順を巡り、山鉾町の争いが絶えなかったことから、1500(明応9)年に始まった。1953年7月から市議会議場で行われている。
議場には、32の山鉾町代表が羽織はかまの正装で座り、祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長、八坂神社の森壽雄宮司らが見守った。
くじ取り式は門川大作市長の立ち会いで午前10時から始まった。慣例で順番が決まっている「くじ取らず」の8基を除く24基の代表が予備くじ順に登壇して、くじを引いた。
「山一番、孟宗山」と、孟宗山保存会の山下麗雄さん(68)の力強い声が響いた。孟宗山の山一番は戦後10回目で最多。山下さんは「平山郁夫さんの原画を元にした胴掛けをお披露目するので一番はありがたい」と語った。
また、今年はオブザーバーながら「33基目」として、四条町大船鉾保存会の松居米三理事長(77)が出席、「147年ぶりのことで感無量」と話した。
門川市長は「大船鉾の早い復興を念願します」と祝辞で述べた。
今年の巡行順は次の通り。(1)(5)(21)(22)(23)(24)(25)(32)はくじ取らず。

【さきの巡行】
(1)長刀鉾(2)孟宗山(3)木賊山(4)油天神山(5)函谷鉾(6)霰天神山(7)四条傘鉾(8)太子山
(9)菊水鉾(10)伯牙山(11)山伏山(12)郭巨(かっきょ)山(13)鶏鉾(14)白楽天山(15)綾傘鉾
(16)蟷螂山(17)月鉾(18)占出山(19)芦刈山(20)保昌山(21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾
【あとの巡行】
(24)北観音山(25)橋弁慶山(26)役行者山(27)八幡山(28)黒主山(29)鈴鹿山(30)浄妙山
(31)鯉山(32)南観音山
(文.写真共 京都新聞7/2より)

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2010.07.02

●「嵐山鵜飼」始まりました

チャチャッ チャチャチャッ 「鵜ッ!」

そんな訳で「地元夏の風物」、嵐山鵜飼が昨日から始まりました。
「洛中」の夏が「二階囃子」と共に訪れるのだとしたら、「鄙.嵐山」の夏は「宵闇の篝火」と共にやってくるのです。

この鵜飼、一番の上玉は何と云っても「夏の味覚.香魚」。
何せ大堰の鮎は、古よりの大宮人御用達。
今風に云うならば「セレブの食卓.お取り寄せ」なんて所処でしょうか。

20100701210812鵜匠の手縄さばき、見物客魅了
京都・嵐山の鵜飼始まる

京都・嵐山の鵜飼(うかい)が1日夜、京都市右京区にある渡月橋上流の大堰川で始まった。かがり火が真っ暗な川面を照らし、素早く魚をとらえる鵜と鵜匠の鮮やかな手縄(たなわ)さばきが大勢の見物客を魅了した。
黒装束に腰みの姿の鵜匠2人がそれぞれ6羽の鵜を従え、鵜は川に潜ってアユやフナをつかまえた。鵜匠として今年本格デビューした山口庄三さん(58)は「絡まる手縄をほどくのが難しいが、修業の成果を見せたい」と懸命に鵜を操った。
河岸では四条町大船(おおふね)鉾保存会による祇園囃子(ばやし)の音色が響き、見物客は夏の風情を満喫していた。鵜飼は9月15日まで行われる。
(文.写真共 京都新聞7/2より)

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●「祇園祭」始まりました

えー、帰京四日目の昨日は「文月朔日」。

と云う訳で愈々「祇園祭=ミヤコの夏」の始まりです。
数多の前儀祭礼を経て、クライマックスの「宵山」「山鉾巡行」。
「神幸祭」「還幸祭」から「夏越祓」へと至る、長くも短い一ヶ月の幕開けと成増。

20100701124313osenndo_4無事祈り「お千度の儀」
祇園祭・山鉾町は吉符入り

京都の夏を彩る祇園祭が1日、幕開けした。京都市東山区の八坂神社では長刀鉾(下京区)の稚児が「お千度の儀」に臨み、多くの山鉾町で神事始めとなる「吉符入り」が行われた。
午前10時、長刀鉾稚児の徳力峰雪君(10)=左京区=、禿(かむろ)の井尻佳吾君(11)=中京区=と本田崚君(9)=左京区=が保存会の役員と一緒に八坂神社を参拝し、祭りの無事を祈願した。白塗りの化粧に、華やかな薄紅色の振り袖とはかま姿の徳力君は、本殿の周りをゆっくりと歩いて3周した。
また、函谷(かんこ)鉾や月鉾、放下鉾など16の山鉾町では、町会所で吉符入りの神事が営まれた。夕方には祇園囃子(ばやし)を練習する「二階囃子」も始まり、祭りの風情を盛り上げる。京都の夏を彩る祇園祭が1日、幕開けした。京都市東山区の八坂神社では長刀鉾(下京区)の稚児が「お千度の儀」に臨み、多くの山鉾町で神事始めとなる「吉符入り」が行われた。
午前10時、長刀鉾稚児の徳力峰雪君(10)=左京区=、禿(かむろ)の井尻佳吾君(11)=中京区=と本田崚君(9)=左京区=が保存会の役員と一緒に八坂神社を参拝し、祭りの無事を祈願した。白塗りの化粧に、華やかな薄紅色の振り袖とはかま姿の徳力君は、本殿の周りをゆっくりと歩いて3周した。
また、函谷(かんこ)鉾や月鉾、放下鉾など16の山鉾町では、町会所で吉符入りの神事が営まれた。夕方には祇園囃子(ばやし)を練習する「二階囃子」も始まり、祭りの風情を盛り上げる。
(文.写真共 京都新聞7/1より)

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2010.07.01

●洛中「漫ろ歩き」

「さっかー日本代表」大騒動も、一昨日でひと段落。
青い出で立ちをした「さむらいぶるぅ」な方々も夜の繁華街から姿を消し、日本全国飲み屋関係者は「ほっ」と胸を撫で下ろしている事でしょう。

で、帰京三日目の昨日水曜日。
私めは何をしていたかと申しますと、日がな終日「洛中散策」。
来たるべき「弊亭再開」に向けての施工例収集、工務店さんに提示する内外装資料をデジカメで「パシャパシャ」やっておりました。

以下、そのおまけ「スナップ集」にて。

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【写真上】四条大橋より望む鴨川
珍しく無人の川岸、等間隔の「アレ」が見当たりません。
炎天下の上に蒸し暑さも全開、流石に「イチャイチャ」もしてられないかと。

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【写真上】ぎおんまち、切通しより新橋通を眺む。
辰巳さんへのお参りを済ませた折に一写。
オフシーズンの平日、流石に観光客の姿も有りません。

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【写真上】ぎおんまち「ろーじ」三態。
左より「末吉町切通し」「祇園北14番路地」「祇園東.清元町どんつき」

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【写真左】今夏8月22日を以て閉店する河原町の阪急百貨店。

待ち合わせやバブル期のバーゲン等、在京時には結構お世話になってました。
若しかしてこれが今生の別れかも、とも思いハンカチを一枚購入。
恐らく最後の買い物になる事でしょう。

とまぁこんな感じでした。

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