●武蔵国にて「八坂詣」
ミヤコでは昨日から「祇園さん」、宵山が始まりました。
そんな訳で私めも14日は昼過ぎより「八坂詣」。
と申しましても、残念乍ら帰京する訳ではありません。
「八坂さん」と申しましても、赴く先は「武蔵国入間郡」。
川越総鎮守「氷川神社」さんに勧請分祠されている八坂神社へ参るべく、「小京都」ならぬ「小江戸」へと向かったのでした。
【写真上】氷川神社本殿
桁三間梁二間.入母屋(向拝付)造.千鳥破風付.屋根銅版葺。
正確な建立年は不明も、棟札から1842年(天保13)から1870年(明治3)間の造営とされ、1850年(寛永3)にはほぼ完成していたと思われ鱒。
建物壁面から柱.土台に至る迄、四方が装飾彫刻で埋め尽くされており、まぁ近世関東寺社建築の典型といった所処でしょうか。
素木の江戸彫りで彩色こそ施されて無いものの、徳川さんと云うかお武家さんの臭いが全面に現れています。
【写真上】境内北側、摂社群。
氷川神社境内には17の摂社が奉られてますが、その殆どが写真の様な小祠。
因みにミヤコ絡みでは、稲荷.菅原天神.松尾さんが御鎮座されてました。
【写真上】氷川社拝殿前より眺む、八坂神社拝殿と社殿。
桁三間梁二間.入母屋造.屋根銅版葺。
八坂社社殿は1637年(寛永14)に江戸城一ノ丸の東照宮拝殿として建立されたものが、1656年(明暦2)に川越城内の三芳野神社外宮として移築されました。
その後川越城廃城により1872年(明治5)、現在地に移され八坂神社社殿となったものです。
【写真左】八坂社社殿近景。
社殿後方に凸形の突出部(桁三梁二)が確認されます。
江戸城から川越に移築した際に相当規模縮小されたと思われ、現在の形状になったと推察されます。
【写真左】きゅうり封じ。
「ミヤコ.八坂神社」と時を同じくして、川越の八坂さんでも丁度「例大祭」が行われていました。
尤も此方の神紋は「五瓜に唐花紋」では御座いませんが…。
そんな訳で数年振りの川越行脚。
この後、札の辻から仲町~松江町.喜多院を漫ろ歩き。
片道1時間の日帰りで「少し計り」の旅情気分を満喫し、悦に入った私めでした。
とさ。