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2010.08.26

●五山の一

えー、一昨日は帰京二日目。

特にこれと云って予定も無く、家の近所を「ぷらぷら」ほっつき歩いておりました。
そんな訳でのスナップ集、「天龍寺」篇で御座います。

因みに禅宗建築の詳細に就いては下記参照の古都。↓
http://bamboo-bar2.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/__cb4b.htm

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【写真上】勅使門二写。
桃山期の建造、切妻.檜瓦葺、四脚門。
山内最古の古建築、伏見城の遺構とされるが少しアヤシイ。

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【写真上】庫裏二写。
切妻妻入の漆喰の壁。
大禅刹の建築物で、真っ先に目を惹くものと云えば矢張りコレ。

尚、天龍寺に訪れた時刻は夕刻。
写真でも解る様、嵐山一帯は西日が大変強う御座います。
特に真夏は「痛い.暑い.眩しい」と三拍子揃っておりまして、此処に限らず周辺散策は午前中に致しましょう、と云うオハナシでした。

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【写真上】曹源池中央奥、滝口及び周辺の岩島群。
寝殿造り風の地割りの苑池に荘厳さを醸す庭石組の妙味。
池泉の中でも特に見処の一つ。

035_2【写真上】小方丈(書院)側より眺む庭園。
室町初期建立、五山の一を誇る同寺ですが勅使門を除き伽藍の殆どが明治期以降の再建。
堂宇の残存状況はミヤコ大寺院の中でも可也悪い方です。

その原因は、偏に薩長の所為。
幕末天龍寺は長州藩の頓所でしたが「禁門の変」で惨敗後、自国に撤退する際破棄されます。
もぬけの殻となった天龍寺に追い討ち攻め込んで来た薩摩軍は事もあろうに火を放ち、山内灰塵と化してしまいました。

そんな訳で嵯峨嵐山住民にとっては、薩摩も会津も長州も
みんな同じ、いい迷惑なのです。
教訓。
喧嘩は人ん家では無く、自分家でやりましょう

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