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2011.04.12

●続.「うちよする」

えー、一昨々日の後日談。
日曜日はミヤコから帰路の折、駿府の地にて途中下車。
静岡.浅間神社に立ち寄って参りました。
そんな訳での「ケンチク」リポートで御座います。

尚表題は「駿河」に掛かる枕詞にて。

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先ずは「静岡浅間神社」の概要を簡単に。
正式名称は「神部.浅間.大歳御祖神社」、同一境内にこそありますが、「浅間神社」は三社の総称になります。
現在の様に一つの社格となったのは第二次大戦後の事で、本来三社は鎮座以来独立した神社でした。
他に「八千矛神社」「少彦名神社」「玉鉾神社」「麓山神社」があり、合わせて七社が鎮座されていますが、上記四社は「神部」「浅間」「大歳御祖」に付する境内社と考えて良いものです。

その他、社史縁起詳細に就いては「ウィキ」様「グーぐる」様にでも聞いて下さい。

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【写真上】神部神社.浅間神社、楼門。
文化13年(1816)造営、重文。
入母屋.本瓦形銅板葺.三間三戸。
大社の総門としては一般的な三間幅の八脚楼門。

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【写真上】同.拝殿、手前は舞殿。
文化11年(1814)造営、重文。
平入の一階部に二層の楼閣建築。
下層:切妻.千鳥破風付.本瓦形銅板葺、七間四間。
上層:入母屋.本瓦形銅板葺、三間二間。

所謂「浅間造」の拝殿。
但し他の浅間社と異なるのは、本殿では無く拝殿にこの様式が用いられている事。
規模も一回り大きく、一階部の屋根が流造では無く切妻である。
造営当時から壮大畸形の評判高く、木造神社建築では日本一の規模を有する。

110409_042【写真上】浅間神社.本殿中門と透塀
向唐門.一間一間、南北二棟からなる。

奥には比翼三間社流造の本殿。
中央一間を合の間として右三間が浅間神社、並列して右側が神部神社。

全て1813年(文化10)造営、重文。

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【写真上】境内社、八千戈神社.本殿と中門.透塀。
中門は切妻二脚門。
本殿は入母屋.軒唐破風千鳥破風付.本瓦形銅板葺、三間三間、共に重文。
建造時期詳細不詳も、神部.浅間神社本殿に準じて造営されたと思われる。
屋根の造りは禅宗建築様式より、寧ろ城郭建築のそれの影響が色濃い。

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【写真上】大歳御祖神社.神門。
浅間通りの赤鳥居より「神門.拝殿.唐門.本殿」の順に連なる。
神門と拝殿は近代焼失、鉄筋コンクリート造。
唐門と本殿は1836年(天保)造営.重文。

境内の重要文化財建造物はその数「26」。
基本的に目に付く社殿は、ほぼ全て「重文」と云っても良いでしょう。
現在の体裁が整ったのは1804年(文化元)以降である為、建造物も当然全て近世(江戸後期)のものですが、それでも可也良い状態で保存されています。

建造物の装飾は典型的な江戸後期の様式、その殆どが総漆塗の極彩色。
流石「大御所」のお膝元、「絢爛豪華」「装飾過美」な武家好み。
例えば解り易い所処では「虹梁」「蟇股」「木鼻」等の組物や「欄間」「高欄」の装飾ひとつひとつをとって見てもそうですし、入母屋屋根に施されている破風からも伺えます。
更に建築形式の特徴としては「浅間造」に代表される、本殿.拝殿に回廊や中門等を複合形式にて複雑な「建物群」として形成されている事が挙げられます。

現存している同期造営の八幡宮や東照宮の多くが、既存の建造物に加え「装飾華多」な装飾の上「複雑怪奇」な造形を成した社殿を加え、建造物群としての統一性が著しく破綻しています。
その点「浅間神社棟」は殆ど同時期に造営されたもの。
境内社殿に全て同様の多装飾を施し、建造物群としては上手く一体化されているのではないでしょうか。
まぁ、どっちにしても私め「お武家さん」の建物はあまり好きぢゃありませんが…。

只、今回は知人結婚式の為に訪れたものでして、全ての境内社をゆっくり見学している時間はありませんでした。
今度伺う際は、もうちっと確り見てきたいと思います。
以上、こんな所処にて。

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