●「みこもかる」
えー、もう大分前の話になりますが…。
先月中旬、白馬スキー行脚から家路に就く途次の折、長野駅で善光寺さんに立ち寄って参りました。
そんな訳での「牛に引かれて」善光寺参詣記。
尚表題は「信濃」に掛かる枕詞、で御座います。
【写真上】参道.大門南から仁王門を望む。
「木造平屋の旅館」「土蔵造りの商家」に混じり、近代建造の洋館も目を惹きました。
【写真下】参道.仁王門から山門を望む。
仁王門を潜ると仲見世通り、寺町参道らしく仏具店や土産物屋が目立ちます。
参道の石畳は、1713~1714年(正徳3‐4)に敷設されたもの。
【写真上】山門一写(重文)。
1750年(寛延3)年の造営、大仏刹に相応しい大規模な山門。
入母屋造.栩葺、五間三戸.二階二重門。
建築様式は江戸初~中期に良く見られる和様.禅宗様の折衷様、特に禅宗的要素が色濃く現れています。
亦、この時代に有り勝ちな「複雑奇異」な装飾華美に走っていないのは、長野=善光寺村が「寺社町.宿場町」として発展したから、かと。
お武家さんの目は「城下町(松本)」の方に向いていたのが幸い、と云うべきでしょう。
【写真左】本堂(国宝)。
宝永4年(1707)の造営。
入母屋造.単層裳腰付、檜皮葺
桁十四間.梁五間(妻入)。
両側面:入母屋破風付。
裳腰部
正面:向拝三間、軒唐破風付。
【写真上】本堂を左横より眺む。
特徴として、妻側に対して極端に奥行きが長く、棟がT字型に見える(実際は長方形)様式は「撞木造」と呼ばれるもの。
一般寺院の本堂(仏殿)と講堂(法堂)を「外陣.内陣」「内々陣」と云う形で一体化、加えて内陣を信徒参籠の場として多く取る為、などが特殊な形をしている要因として挙げられます。
【写真上】経蔵(重文)。
1759年(宝暦9)の造営、宝形造.檜皮葺、方五間。
此方も禅宗様の強い折衷様式、宝形造の経蔵は珍しいもの。
「経蔵」の国指定文化財は全国で僅か13棟(国宝3.重文10)、そういう意味でも貴重な近世建造物。
【写真上】境外の築地塀より、山門と本堂を眺む。
善光寺は無宗派の単立寺院ですが、「本坊.大勧進」は天台宗山門派の大本山、「大本願」が浄土宗鎮西派の大本山。
従い両派との関係は深いものがありますが、境内の雰囲気は意外と民間信仰の色合いが強く、密教「大本山寺院」的な威圧感は全く致しませんでした。
まぁその辺は「浄土宗的」な影響のものかと。
戯れ二写。
【写真左】愛すべき喫煙所。
駒返り橋を渡った傍、参道を横目に眺める風情も宜しく。
【写真右】大本願の授与所にて。
見た目は鮮やかも、有難味にはチト欠ける「九色カラー達磨」。
最近ちょくちょく見掛けます。
因みに色だるまの御利益は
赤 開運全般・必勝祈願・合格運
黒 黒字経営・社運隆盛・毛生え
白 祝福・勝負運
紫 健康長寿・品格向上
青 立身出世・盛運隆昌
桃 恋愛成就・結婚・安産
緑 身体健勝・身体安全
黄 名声獲得・美容
橙 旅行安全・災難除け
金 金運上昇・財力運
銀 自己実現・吉祥長寿・安産
…、だそうです。
てな感じの初「善光寺詣」。
尤も乗り換えの空き時間を使った慌しいもので、のんびり「信州路参詣」と云う訳には参りませんでしたが。