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2011.08.14

●「黄檗にて」中篇

えー、先日帰京の後日談。
7月19日に訪れた黄檗宗総本山、「萬福寺」中篇で御座います。

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【写真左】諸堂宇を繋ぐ回廊。(8棟.重文)
【写真右】天王殿前面の吹放ち通路。
天王殿より山内堂宇は四半敷の回廊によって結ばれており、各堂宇は正面一間を吹放ちの通路としているのも伽藍群構成上の大きな特徴。
この回廊も諸堂の付属施設として重文とされている。
尚、山内堂宇で樋が設置されているのは後述する松隠堂だけであり、その理由としてこの吹放ち通路と高い基壇の存在が挙げられる。

一見中国情緒溢れる特殊な形式だが、初期禅宗様寺院の伽藍古図を見ると主要建造物は回廊で結ばれている(建長寺指図.浄光明寺敷地絵図.東福寺伽藍図.泉涌寺絵図など)。
明代と宋代の違いはあるが中国様式を色濃く踏襲した寺院は、堂宇を廊で囲っていたものと思われる。
因みに萬福寺と同時期に建立された禅刹、高岡.瑞龍寺が同様の伽藍構成を持っているが、矢張り中国の径山万寿寺を模したものである。

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【写真上】鼓楼。(重文)
【写真下】鐘楼。(重文)
共に寛文8年(1668)建立、桁行一間.梁間一間、一重裳階付.入母屋造、本瓦葺。
同年建立同様式、天王殿の左右に連なり対を成す。
中世以降の鐘楼建築は四脚一重の切妻か入母屋、亦は重層袴越形式が通例であり、近世の鐘楼では黄檗宗寺院にしか見られない。

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【写真左】伽藍堂。(重文)
【写真右】祖師堂。(重文)
共に寛文9年(1669)建立、桁行三間.梁間三間、一重.入母屋造、本瓦葺。
同年建立同様式、鼓楼.鐘楼の後方に連なり対を成す。
典型的な禅宗様の小規模仏堂式建造物で、黄檗特有の様式は見られない。
尤も一般禅刹であれば脇柱間は火灯窓となっている所処であろうが、此処山内に限らず黄檗寺院で火灯窓は用いられない。

この後方には禅堂と斎堂、西方丈と東方丈(共に非公開)が左右対照均等に配列され、伽藍群を形成している。

046_3_2【写真左】斎堂回廊部。(重文)
寛文8年(1668)建立、桁行五間.梁間六間、一重.入母屋造、本瓦葺

此処も庇下の一間は吹放ちの通路になっており、食堂と云う建物用途上から鳴物の法具が設置されている。
青銅製.雲形をしたものが「雲版」、丸太を魚形に彫刻したものが「開板」。

 

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【写真上】松隠堂.開山堂。(重文)
延宝3年(1675)建立、桁行三間.梁間一間、一重裳階付.入母屋造.向唐破風造(背面後室附属)、本瓦葺。

松隠堂は三門北側にある一院で、「通玄門」「開山堂」「舎利殿」が南北一直線上に並び、西側に「客殿」「持真寮」「庫裏」「裏門」、東側に「寿蔵」が建ち並んで一郭をなしている(全て重文)。
本来は宗祖隠元所縁の開山塔院として本寺から独立した塔頭であったが、近年になり合併された。
開山堂はその主要堂宇、大雄宝殿.法堂に較べ小型も同様式。
「卍崩し勾欄」が目を引くが、前述した法堂のものが表象的な意匠に対し、開山堂のものは「卍字そのまま」に組み込まれている。

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【写真上】開山堂より境内を望む。
正面は通玄門。
寛文5年(1665)建立、四脚門.切妻造、本瓦葺。
右は松隠堂客殿。
元禄7(1694)建立、桁行20.m.梁間13m、一重.入母屋造。
南面玄関は南面入母屋造、玄関東面突出部は唐破風造。
北面開山堂間廊下は切妻造.桟瓦葺。

客殿は山内唯一の和様建造物。
杮葺き.唐破風付の入母屋造は中国様式伽藍群の中で異質に映る。
屋根は大正期の補修の際に桟瓦に葺き変えられたが、平成20年からの修復で建立時の姿に戻された。

以上、本日はこんな所処にて。
続きは亦明日にでも。

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