●「黄檗にて」前篇
えー、先日帰京の後日談.7月19日分その壱。
この日は午前中に京博で美術展観覧。
目当ての展示会を観た後は、「おけいはん」で宇治方面へ出掛けて参りました。
目指すは黄檗の禅刹、異国趣味溢れる大伽藍にて。
そんな訳での古寺巡礼、「萬福寺」前篇で御座います。
【写真上】総門。(重文)
元禄6(1693)建立、桁行三間.梁間二間、一重.切妻造段違.八脚門、本瓦葺。
構造的には八脚門と四脚門の中間に属するもの。
屋根の中央一間を一段高く設けた門姿は中国牌楼に似た形式、長崎.崇福寺ほど極端では無いにせよ、明末清初の仏教建築の影響が強い。
亦、入山門の上棟に魔除けとして摩伽羅を置くのはアジア各国仏寺に見られるが、日本では黄檗宗独特の装飾である。
(摩伽羅とは鯱に似た伝説上の動物で鰐を模したとも云われる)
【写真上】三門。(重文)
延宝6年(1678)建立、三間三戸二階二重門(両山廊付)、入母屋造.本瓦葺。
(付左右山廊 桁行二間.梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺)。
三間三戸と大禅刹の三門形式としては小規模ではあるが、柱間を大きくとっている事から、大きさそのものは五間の三門と遜色無い。
亦、屋根の軒が深く伸びが大きいのも建物を一層壮大に見せる。
建築様式は一般禅宗様と然程変わらないが、屋根両端に鯱(摩伽羅ではない).中央に火焰宝珠を置き、三門左右の土塀には其々窟門が設けられている等、細部には黄檗宗独特の意匠が見られる。
【写真上】天王殿。(重文)
寛文8年(1668)建立、桁行五間.梁間三間、一重.入母屋造、本瓦葺。
三門と大雄宝殿(仏殿)の間に置かれる、黄檗宗特有の堂宇。
他に見られる大棟部の装飾も無く、比較的和様の濃い建造物。
尚、特筆すべき点は建材に南方産の西域木(チーク材)が用いられており、山内では天王殿.大雄宝殿.禅堂の三宇が同材で建造されている。
【写真上】大雄宝殿。(重文)
寛文8年(1668)建立、桁行三間.梁間三間、一重裳階付.入母屋造、本瓦葺。
近世禅刹の仏殿として一般的な方三間裳階付の形式。
創建当初は一重で上層は後年に加えられたものであるが、建物の均衡は崩れておらず、それとは解らない調和を保っている。
上層.裳階部の屋根のバランス、軒の伸びや反り具合も見事。
尚、前面一間の吹放ち天井を輪乗木の蛇腹天井としており、法堂.開山堂にも同様の手法が見られる。
【写真上】大雄宝殿近景。(重文)
前面に儀礼様空間として、白砂敷き月台が附属しているが大きな特徴。
正面に扁額を掲げ、左右の柱に聯を作るのも黄檗宗独特のものであり、全ての主要伽藍に見られる。
屋根部の意匠、建材に就いては前述した通り。
【写真上】法堂。(重文)
寛文2年(1662)建立、桁行五間.梁間六間、一重.入母屋造、桟瓦葺。
基本的には大雄宝殿と同様の手法を用いて建てられているが、桟瓦葺である為に他の主要伽藍に較べ軽快な感じを与える。
前面には白砂敷きの前庭が広がっており、形式的にではあるが儀礼の場である事が伺える。
中央の石條は総門より中心伽藍の中央、及び左右の諸堂宇を結んでおり、竜骨に擬えた石畳である。
【写真上】法堂近景。
「円窓」「卍崩し勾欄」「巡照板」「角型礎盤」等、黄檗寺院特有の意匠。
「卍崩し勾欄」は中近世の寺院建築では類例が無く黄檗宗独特のものと思われがちだが、上代に遡れば法隆寺(三重塔.金堂)法起寺(三重塔)の勾欄に見る事が出来る。
恐らく大陸建築文化の輸入初期には中国様式をその儘模倣的に取り入れものが、その後は日本人の嗜好に合わず無くなっていったのであろう。
以上、本日は中心線軸上に並ぶ主要伽藍のみにて。
続きは亦明日にでも。