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2011.08.05

●園城寺にて

えー、先日帰京の後日談.7月18日分その壱。

台風6号接近の影響で雨風降り敷く月曜日、私めは一路近江国に。
逢坂の関を越え、「湖西の天台寺院」へと足を運んで参りました。
そんな訳での「三井寺参詣記」で御座います。

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【写真上】琵琶湖疏水。
琵琶湖側の取水口から第1トンネルにかけての水路。
京阪線の三井寺駅より園城寺に向かう参道横を流れています。
まぁ理屈いでは解っていても、勾配を遡上する河流を見るのは変な感じでして。

「鬱蒼と生い茂る樹木群」「滔々と流れる疎水」「閑静な門前町」…。
寺域周辺の風情は濡つ雨も相俟って中々と良い風情で御座います。

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【写真上】釈迦堂(食堂)二写。(重文)
室町中期建立、桁行七間.梁間四間、一重.入母屋造(軒唐破風付)、檜皮葺。
天正年間造営の御所清涼殿を元和7年(1621)に移築したものと云われるが、それにしては簡素で小規模。
御所からの拝領としても大きく手を加えられたか、若しくは清涼殿以外の付属建物であったと思われる。
元来は食堂が建てられていた地に移築された為に同様の名が付いているが、可也早い時期にその機能は廃れ、釈迦堂として活用されている。
尚、軒唐破風は文政13年(1830)に付加されたもの。

054【写真左】境路より眺む金堂。
中心伽藍である金堂は、大門.釈迦堂より一段高い場所に建てられており、参道を進むに従って入母屋破風の威容を伺う事が出来る。

因みに大門は修復中の為、工事用シートに覆われて拝観出来無い状態でした。

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【写真上】金堂三景。(国宝)
慶長4年(1599)建立、桁行七間.梁間七間、一重.入母屋造(向拝三間)、檜皮葺。

東寺金堂や仁和寺金堂等と並び、桃山時代を代表する大規模建築の仏堂。
写真では解り難いですが兎に角大きい。
「急勾配の大屋根」「大きく裾の拡がった入母屋破風」「人の背丈程もある高い軒」等、同時代の大寺社建築の特色が良く現れている。

亦、この時代は基本的に折衷様式で建造されており、同金堂も禅宗様の組物を使い、木鼻.蟇股や欄干の意匠は桃山様式の影響が見られる等、様々な手法が持ち入れれているも、総じて和様に纏められている。

因みに現金堂は欠所消失する以前の仏堂(延暦寺転法輪堂)と同位置.同規模での再建となったが、四囲を廻っていた回廊は復元されなかった。

053_2【写真左】鐘楼(重文)。
慶長7年(1602)建立、桁行二間.梁間一間、一重.切妻造.檜皮葺。

鎌倉期以降良く見られる切妻.柱立の簡略化された鐘楼建築。
但し桁二間.六本柱のものは類例が無く珍しい。
日本三名鐘の一つ「三井の晩鐘」を吊る。

039【写真上】閼伽井屋(重文)と井泉。
慶長五年(1600)移築建立、桁行二間.梁間三間、一重.向唐破風造、檜皮葺。

金堂西に接立する井泉の覆屋。
慶長期に御所の御輿寄を拝領.移築したとされる。
小堂ながらも平反りに近い向唐破風屋根を持つ瀟洒な祠。

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【写真上】閼伽井屋内部の井泉石組。
湧泉周辺は自然石が程好く配置されている。
恐らく覆屋建造の際に改めて整えられたものとされる。
【写真下】閼伽井屋北側横の石組。
緩傾斜の野筋に自然石の三尊石は、初期枯山水の石立を彷彿とさせる。
勿論天然の遺構では無く、人工的に整備された石組である。

元来、閼伽井は野天にあったものを風雨の流害を防ぐ為に覆屋で囲ったもので、北側の石組みと連接していたと思われる。
勿論後ろの通路も無かったであろうから自然の傾斜を築山とし、井泉に対して遣水を見立てた石立でだったのであろう。

この後は伽藍中心部から光浄院.経蔵へと向かいました。
続篇は亦後日にて。

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