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2011.08.15

●「黄檗にて」後篇

えー、先日帰京の後日談。
7月19日に訪れた黄檗宗総本山、「萬福寺」後篇で御座います。

046_3_4【写真左】海パン 海版。
一応、御約束迄に。
萬福寺のランドマークみたいなものです。

因みに魚が口から吐き出そうとしているのは「珠」。
決して麩を食べている所処ではありませんので、念の為。

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【写真左】隠元豆。
御約束その二、天王殿前にて。
本当に植えられておりました。
宗祖に事由するものですから、当然と云えば当然かと。

因みに4月3日は「インゲン豆」の日です。

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【写真上】萬福寺境内図。(現代.赤丸は重文)

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【写真上】萬福寺伽藍古図。(1688~1711年頃)

以下、総括に成増。
萬福寺山内には松隠堂を含め計23棟(附.回廊)の建造物が重要文化財に指定されています。
亦、その伽藍配置や建築様式は、明末清初の仏教建築の影響を受けたもので国内の類例も少なく、近世建築史上に於いて高い価値のあるものです。
しかし同寺の「極めて稀覯」な点は文化財の多少では無く、別の部分にあります。
それは「創建時の姿がほぼそのまま残されている」の一点に尽きるでしょう。

萬福寺の創建は1661年、主要伽藍が整ったのはその約30年後。
当時より消失した主要堂宇は「東司」「双鶴亭」、移築されたものも「旧総門(現松隠堂裏門)」位のもので、江戸期の伽藍古図と較べても殆ど変りがありません。

現存している多くの古寺社は、数次に於ける兵乱や火災等の罹災にりその堂宇を消失、更には後世の改悪等によって殆ど往古原型を留めていません。
その中で幾ら江戸期建立とは云え主要堂宇を喪失する事無く、当初からの寺観を留めている稀少な遺構なのです。

然乍らこの「萬福寺」、京都に数多ある寺社観光地の中では「非主流」な存在。
その原因は「宇治」近辺と云う洛中から離れた立地にも因るのでしょうが、寧ろ中国明風の建築様式が奇に映るからかもしれません。
要するにミヤコ観光の際に、皆様が求めいてる「ミヤビな感じ~」がしないからではないでしょうか。

加えて不幸な点がもう一つ、「京都」は古建築「国宝.重文」だらけでして、これだけの史跡ながらも余り目立ちません。
もしも国指定文化財の少ない他府県に所在していたなら…。
瑞龍寺や崇福寺の例を挙げるまでも無く、「大雄宝殿」「法堂」「総門」辺りは恐らく「国宝」指定され人気の観光地となっていた事でしょう。

と、まぁそんな訳で上述した様に貴重な史跡。
「国宝&世界遺産」の平等院や宇治上下社からも一駅ですので、気が向いた方は一度足を運んでみて下さい。
「黄檗」と「臨済」の違いはあれども五山に比する大禅刹、萬福寺を観る事により、京や鎌倉五山の往時の姿を想起するのに役立つと思いますから。
あと、トテモ良い点は、何時行っても「ウソみたい」に空いています。
因みにこの日、私以外の来訪客は「一組二名で」した。

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