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2011.08.04

●くにのみやこは ころもうつらん

えー、先日帰京の後日談.7月17日分その四。

南山城.加茂三塔巡りの最終地は海住山寺。
参詣を終えた帰りは「歌枕」の地を漫ろ歩き、恭仁京跡に立ち寄る事と致しました。
と云う訳で、「みかのはら」「いづみがわ」逍遥記で御座います。

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【写真上】海住山寺の参道、三上山中腹より南望する「瓶原」。
こうして見ると、正に奈良からは「山の背=山背=山城」。
白鳳天平の御代、京都なぞは此処よりよっぽど「遠隔の田舎」だったのでしょう。

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【写真上】同.田園風景。
嘗てミヤコがあったとは思えない程、長閑なもの。
往時の遺構は殆どが田地の下に眠っています。

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【写真上】恭仁宮跡(山城国分寺跡)。
海住山寺と加茂駅の中間位置、徒歩にて約20分。
現在は史跡らしい施設も無く、大極殿(金堂)と七重塔跡の礎石が残されるのみの「原っぱ」となっています。

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【写真下】同.大極殿(金堂)の礎石跡。
因みに遷都を実行したのは聖武天皇。
しかし大極殿が完成した所処で造営は中止、結局都として完成する事無く恭仁宮は破棄されてしまいます。
更にその後も遷都を繰り返し、結局五年後には平城京に戻る破目になりました。
その行程を簡易年表に直してみると…。
 740年(天平12)12月 平城京より恭仁宮に遷都。
 742年(天平14)08月 紫香楽に離宮造営、行幸.滞留。
 744年(天平16)02月 難波京に遷都。
 744年(天平16)02月 紫香楽宮に行幸.滞留。
 745年(天平17)01月 紫香楽.甲賀宮に遷都。
 745年(天平17)05月 平城京に遷都。
 745年(天平17)08月 難波京に行幸。

文字通り「右往左往」「紆余曲折」、何か悪い事が起こる度に「お引越し」されるのですから、官民にとっては共に大迷惑です。
しかも遷都後には落ち着く間も無く、次の「引越し先」探し。
若しも「大仏を造らず」「カミさんが無名の人」だったら、稀代の悪政帝としてその名が残っていたかも知れません。

尚、廃都後の恭仁宮は既に造られていた山城国分寺を同地に施入する形で再利用、大極殿は金堂に転用されます。
しかし寺史縁起は興福寺のものに若干の名が残るだけで殆どが不明、江戸期を待たずに廃れてしまったと思われます。

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【写真上】恭仁京跡の西側に隣接する「恭仁小学校」。
【写真下】同.講堂。
木造の校舎は昭和11年築造、全校生徒約60名との事。
昔乍らの懐かしい趣きが残る小学校、板張り廊下の「油の匂い」や「軋む音」が思い出されるものです。

051_2【写真上】小学校横のたばこ屋さん。
此方も昔乍らの佇まい、住職兼用の雑貨屋さんです。
開けっ放しの引き戸に店番不在の無用心さが、田舎っぽくて亦宜しく。

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【写真上】恭仁大橋より「いづみがわ」を笠置方面に眺む。
現在の木津川は嘗て「大川」と、更にその昔には「泉川」と呼ばれていました。
恭仁京自体は四年に満たない短命の都でしたが、この「いづみがわ」を詠った歌は天平から平安時代にかけて数多く残されており、「歌枕」としてその名を留めています。

と、こんな所処でした。

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