●甲州路巡礼「雲峰寺」
えー、先日の後日談。
先週木曜日は甲州路にて「古建築巡り」。
向嶽寺.恵林寺を廻った後は10㎞先の大菩薩峠入山口へ東進、山麓の修験道場に足を運びました。
そんな訳での五寺巡礼その五「雲峰寺」篇になります。
【写真左】寺域入山口の石碑。
禅刹に掲げられる「不許葷酒要入山門」の戒壇石。
雲峰寺は元来天台寺院でしたが、中世に改宗し現在は臨済宗妙心寺派。
まぁ何にせよ、昼餉にて「麦酒」「獣肉(馬刺)」「薬味(大蒜.葱.生姜)」を飲食してきており、手遅れですが…。
【写真右】山門へ続く石段組。
禅刹とは云え、今でも密教修練道場の雰囲気が漂っています。
【写真上】仁王門。(重文)
室町後期建立、三間一戸.八脚門、入母屋造、銅板葺。
天正年間(1532~1554年間)の火災で伽藍を焼失した後、武田信虎の中興により本堂と同時期に再建されたもの。
永禄元年(1558)には武田晴信が祈願書を納めているので、詳細な建立時期はその間と推察される。
亦、近隣の神部神社.随身門(旧仁王門)が類似した構造をしており、その造営時期(元亀2年(1571))に近いものとも裏付け出来る。
【写真上】同.側面より。
組物に略化禅宗様の影響が見られるが、総じて和様の三間一戸門。
蟇股や木鼻の意匠に室町末期の形式を見付けられる。
但し妻飾の装飾は時代が上るので、嘗て木材葺であった際の屋根葺き替え時に手が加えられたものと思われる。
【写真上】本堂。(重文)
室町後期建立、桁行五間.梁間五間、一重.入母屋造.向拝一間唐破風造、檜皮葺。
和様で小規模な方五間本堂、中世密教本堂の典型であるが、前述した様に再建時期は16世紀中頃。
後年堂内が密教本堂から禅宗仏殿の平面様式に改築されているので、同寺が天台宗から禅宗に改宗した時期は伽藍再興以後の事と推察される。
因みに左側の薬医門は中門。(市指定)
江戸中期建立、一間一戸.薬医門.切妻造、檜皮葺。
【写真上】同.正面と側面より向拝。
軒唐破風は明らかに様式が異なっており、近世になって補設されたもの。
木鼻や虹梁の装飾からは江戸前期の特色が垣間見える。
【写真上】庫裏。(重文)
江戸前期建立、桁行10間.梁間5間、東側面庇付.一重.切妻造.妻入、茅葺
妻側を正面とした禅刹庫裏の典型的意匠、妻飾は蟇股に武田菱を配した三重虹梁。
屋根は地方庫裏建築特有の茅葺。
山内唯一の純禅建造物で、仁王門.本堂と同時期に再建された庫裏を近世に入って新造に近い形で再築したものであろう。
規模や様式は清白寺のものとほぼ同様、造営時期も近いと思われる。
【写真上】本殿と庫裏。
入母屋桧皮葺と切妻茅葺、木造竪板と白土壁のコントラストが美しい。
【写真上】書院。(重文)
正徳6年(1716】建立、桁行八間.梁間五間、一重寄棟造、茅葺。
前後三室、後列四室の七室構成、禅宗方丈式の書院。
周囲には濡縁を廻らし中庭に南面しているが、板塀越しの為に詳細は不明。
庫裏と同様、茅葺の素朴な佇まいは寺社堂宇と云うより豪農民家を彷彿とさせる。
以上、こんな所処にて。
これにて「甲州路」古寺巡礼シリーズ四部作も漸く最後と成増。
おしまい。
« ●マジック⑭ | Main | ●週末「山へ海へ」 »