●「仁科御厨」巡礼
先日は諏訪湖マラソン参加の折。
土曜日に前泊で松本入りしたのですが、折角やって来た信州路。
大糸線で更に北上、奥信濃は大町の手前迄足を延ばして参りました。
そんな訳で降り立った駅は「安曇沓掛」、目指すは安曇野の神宮「仁科神明宮」で御座います。
【写真上】駅近くより眺む北アルプス連峰。
松本から二両編成のローカル線に揺られる事、約一時間。
田畑に囲まれた県道を、30分かけて「てくてく」歩いて行きます。
【写真上】「三の鳥居」横より神門を眺む。
切妻の四脚門も、屋根の装飾は古式を踏襲した神明造のそれ。
神門を潜ると「拝殿‐中門‐釣屋‐本殿の順に社殿が配置されています。
左には祀られているのは摂社の数々、手前より「八幡社」「伊豆社」「稲荷社」「上加茂社」「下加茂社」「上諏訪社」「下諏訪社」「九頭龍社」「子安社」の九柱。
【写真上】社殿二棟(共に国宝)。
(右)中門:寛永13年(1636)造営 四脚門.切妻造、檜皮葺。
(中)釣屋:寛永13年(1636)造営(附.本殿.中門)。
(左)本殿:寛永13年(1636)造営 桁行三間.梁間二間、神明造、檜皮葺。
現存する「神明造.本殿」最古の遺構。
棟札記録に残るだけでも永和2年(1376)より欠かす事無く20年に一度の式年遷宮を行っていたが、寛永13年(1636)を最後に造替を止め、修理と遷宮祭祀を以ってこれに変えている。
現存する中門と本殿はこの際のものであり、古式を良く伝えている。
神明造及び大社造に代表される「日本固有の建築様式」としては
・屋根は反りの無い切妻(葺きは植物材で瓦は用いない)
・高く設けられた床板
・壁面は板張で下地壁を用いない(神明造は横板、大社造は縦板)
・組物を用いない構造
・柱は掘立式により建てられる
と云った点が挙げられるが、柱立て以外は全て踏襲されている。
亦細部に於いても「破風が屋根上に延長して成る千木」「束石から棟木を直接受ける棟持柱」「破風板から四本突出した鞭懸」等、伊勢と同様の特色も良く残している。
【写真上】中門と釣屋近景。
千木は内削ぎ(女千木)、棟木には堅魚木を配し、屋根構造は本殿と同様である。
中門は内玉垣に付支した棟門形式とする説もあるが、控柱を省くと構造上成り立たないので、矢張り四脚門とすべきであろう。
本殿.中門間を垂木.檜皮葺の切妻屋根で結んでいるのが釣屋、但し本殿と中門の附属建造物とされる。
【写真上】本殿.高床礎石
自然石の礎盤上に柱を立て、安定を保つ為に各柱間に地貫が通されている。
【写真上】本殿近景。
前述した様に古制を良く伝えているが、俗に「唯一神明造」云われる「伊勢神宮正殿」と較べ、若干の様式差異も見られる。
具体的には「礎石建ちの柱立て」「檜皮葺の屋根」「柱上に長押.舟肘木の挿打」「高床縁に施された擬宝珠高欄」の手法等が挙げられ、これらは中世寺院建築の影響を受けたものである。
亦、梁間に対して梁間が狭く、正方形に近い平面形状であるのも伊勢との違いで、神明造の起由となる高床式倉庫の形状から長年の課程で変化していったものと伺える。
【写真上】背面より望む本殿。
檜皮葺の為に屋根の勾配が緩く、茅葺の神宮正殿に較べると軽快な感。
因みに既和年間(14c後半)には、既に檜皮葺とされていた記録が残る。
【写真上】仮宮.二写。
20年に一度の遷宮時、祭神が逗留される仮殿。
本殿の北背後に設けられている。
【写真上】拝殿より、幣帛越しに眺む本殿。
順不同ではありますが「二礼二拍一礼」。
取敢えず「むにゅむにゅ」と御禱りしておく事に。
そんな訳で小一時間程の「奥信濃.鎮守の森」滞在でありました。
おはり。