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2011.11.30

●「顔見世」はじまりました

扨、十一月もあと数時間。
日が明ければ師匠も走る「十二月」の到来で御座います。
しかしまぁ毎年の事ながら、「歳月去来」するのは早いもの。
特に秋が深まるに従って、その移ろいは「加速度付き」で過ぎて往くかの如しです。

そんな訳でミヤコでは霜月末尾を彩る風物詩、「南座顔見世」が始まりました。
観光客も疎らな師走の京都、歌舞伎見物を兼ねて上洛と云うのも宜しいんぢゃ無いでしょうか。
実は斯く言う私め、興行を観たのが一回きり。
しかも大昔、南座改修前の頃でした。

20111130131233kaomise年の瀬に“華”満開 
南座で顔見世
京都の師走の風物詩「當る辰歳吉例顔見世興行」が30日、京都市東山区の南座で幕を開けた。東西の大看板や花形役者たちが舞台で華を競い、大入りの観客を魅了した。
まねき看板や芝居絵の看板などを掲げて「歌舞伎の正月」の装いを整えた劇場は、開場前から多くの人でにぎわい、着物姿の観客も目立つなど、年の瀬ならではのムードに包まれた。幕開けは南座の大改修20周年をことほぎ、祝儀の意味合いの強い「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」。片岡愛之助さん、孝太郎さん演じる曽我五郎、十郎兄弟と、片岡我當(がとう)さん演じる敵役の工藤祐経が相対し、様式美を凝縮した色鮮やかな舞台に、大向こうから「松嶋屋!」と声が飛んだ。
昼の部は坂田藤十郎さんによる舞踊「隅田川」、片岡仁左衛門さん、尾上菊五郎さんの東西大顔合わせによる「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」が続く。夜の部は仁左衛門さんと坂東三津五郎さんによる「元禄忠臣蔵 仙石屋敷」など。12月26日まで。
(文.写真共 京都新聞11/30より)

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2011.11.29

●「これなむ都鳥」

「鴨川を代表する野鳥と云って、真っ先に思い付くものは?」

「都千鳥」の名にし負うなら「イカルチドリ」。
何たって先斗町の花街紋にも配われている位ですから。

「鴨川」の名にし負うならと「マガモ」「カルガモ」「オナガガモ」。
人馴れ具合と愛嬌のある仕草は、川岸の人気者です。

「貴婦人」の名にし負うならと「アオサギ」「コサギ」「ダイサギ」。
純白細身の麗姿、川面での映え具合は他の追随を許しません。

しかし彼等を差し置いて、冬の主役には「ユリカモメ」。
「まねき上げ」を迎える頃になると東の空より飛来、加茂の河原で「大挙屯」する姿は毎冬の風物詩です。
因みにこの周域のユリカモメは約五ヶ月の越冬期間。
四月の声を聞く頃には北の国へ戻渡って行く事でしょう。

20111122220900yurikamome1122_2“冬の使者”ユリカモメ 京に飛来 
朝日に白い羽 輝く
「冬の使者」ユリカモメが京都市内に飛来している。下京区の鴨川・塩小路橋上流では22日朝、50羽ほどが姿を見せ、朝日に白い羽を輝かせて上空を旋回したり、餌をついばんだりしていた。
ユリカモメは、カムチャッカ半島から越冬のため、日本に飛来する冬の渡り鳥。日本野鳥の会京都支部は、ほぼ平年並みの今月9日に初飛来を確認しており、日ごとに数も増えているという。
この日の京都市内は今季一番の冷え込み。散歩中の人も白い息を吐き「ようやく冬らしくなった」と、ユリカモメの乱舞に足を止めて見入っていた。
(文.写真共 京都新聞11/23より)

 

 

 

 

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2011.11.28

●「川越マラソン」後記

えー、昨日「小江戸川越マラソン2011.三部作」の続篇に成増。

完走後は記録証を受け取り、ジャージを肩に引っ掛け会場を後に致しました。
取敢えずツカレタので、急ぎ「風呂」です。

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【写真上】ゴール前風景、二写。
ゴール横では川越太鼓の演舞がランナーを迎えてくれました。
うろ覚えですがコース中、太鼓やブラスバンドの演奏エイドは計6箇所。
その他にも近隣住民の皆様から私設応援団迄、この大会は沿道応援の評価が本当に高いものでして。

そんな訳で水上公園から「重い脚」を引きずり徒歩20分、川越温泉に到着。
湯治でレースの疲れを癒した後は、川越市街に向かったのでした。

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【写真上】仲町交差点。
ハーフ3.5㎞地点、四時間前は此処を走っておりました。
レース中に町並みを楽しんでいる余裕は無かったので、改めて歩いてみる事に。
街中は一般の観光客に加え、ジャージ姿のランナーで溢れ返っていました。

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【写真上】同.蔵造りの町並み。
川越は本来城下町なのですが、商業都市への転換が早かった事もあり、蔵造りの商家や民家が多く建てられてる様になりました。
亦、旧埼玉銀行南支店や旧八十五銀行本店に代表される近代西洋建造物も町並みに溶け込み、独特の景観を醸しています。

この後は山崎美術館近くの鰻屋で漸くの「昼餉宴」。
何せ温泉入浴前から「水分断ち」をしていたので、兎に角麦酒が美味い。
「レースの疲労」「PB更新の満足感」に「程好いアルコール」が加算され、カナリ良い感じになったのでした。

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【写真上】御約束「時の鐘」
川越のランドマーク、取敢えずは一枚収めておく事に。

鰻屋の暖簾を出た後は「疲労」に加え「睡魔」が倍化。
流石に周辺を散策する余力も無く、本川越駅から帰路の途に。
車中では「瞬殺爆睡」、自宅に戻ったのは日暮れ刻の頃でした。
おはり。

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2011.11.27

●11.27「リザルト」

Kawagoemark_w400_2えー、前ログの続きにて。
本日参加してきた「小江戸川越マラソン2011」。
大会結果が大会HPにリリースされたのでアップしておきます。

それにしても昨年は半月掛かっていたのに、今年は大会当日夕刻の公式発表。
ハード.ソフト各々、前回大会に較べ格段に改善されておりまする。

私めのリザルトは下記の通り。
・タイム グロス/1:25:55 (ネット/1:25:53)
・種目別(ハーフ40代男子の部) 40(位)/1142(人)
・総合(ハーフ全般) 149(位)/5203(人)

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●小江戸川越マラソン2011

本日は早朝より西川越.水上公園迄。
今年で二回目となる「小江戸川越マラソン.2011」に参加して参りました。
と云う訳で大会の「感想」&「完走」雑感になります。

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昨年から行われている同大会、前身となるマラソンイベントが過去に一度だけあったらしいのですが、休眠期間の長い事もあり前回が実質一回目の開催。
その所為か昨年は「トイレ数の絶対的不足」「スタート場所への誘導に手惑う」等の不備も散見しましたが、その辺りは二回目の今年改善されておりました。
一万人以上が参加するマンモス大会ですから「多少のストレス」は発生するもの、ある程度は仕方無いと思います。
寧ろ個人的にはレースの結果発表に半月以上掛かるのが問題かと。

で、今朝の天気は晩秋らしく冷涼な気候。
風も無く淡青空が澄み渡るマラソン日和の中、レースは9:15に開始です。
このコースの対策は、兎に角最初の10㎞が「肝」。
スタートから県道160号の折り返し迄緩やかな下りが続いており、タイムを稼ぐには持って来い。
しかも目視では解らない程度の微妙な下りなので、足への負担も殆どありません。

そんな訳でややオーバーペースなレースの入り。
最初の1㎞が3:43、PBのラップが㎞/4:08ですから幾ら何でも飛ばし過ぎ。
若干ペースを調整し10㎞迄のラップ/㎞は3:55~4:00、その後も4:10前後で推移しての15㎞地点、スプリットタイムは1:00:02。
この時点でPB更新をほぼ確信、ボチボチ疲労が溜まって来たのですが具体的な目標があると気持ちが身体を支えてくれるもの。
残り3㎞は流石にペースダウンも、何とか㎞/4:20台で纏めてゴールイン。
タイムはネットで1:25:53、今迄の自己ベストを一分半近く縮めての記録更新です。
(3㎞ラップ:11:30/11:52/11:57/12:17/12:27/12:39/13:11)
まぁ「コース」と「声援」に助けられたきらいはありますが…。

兎に角この大会はコース取りが秀逸。
「広すぎず狭すぎずスピード感のある道幅」に「緩やかな高低差」、加えて「三度ある折り返し」も距離の目算が付き易く良い感じです。
「川越市の古い町並み」と「郊外バイパス」「秋枯れの田園地帯」を交互に取った往路復路も、メリハリが利いた特色豊かなものでした。
昨年に較べ三箇所程コースのマイナーチェンジされていましたが、ルート大枠に変更はありません。
17㎞以降の終盤に市街地を走る事が出来なくなったのは少し残念ですが、道路の交通規制事情を考えると止むを得ないでしょう。

そして昨年同様、沿道の応援は特筆すべきもの。
運営関連スタッフに加え、小旗を振る地域住民の方々の多い事。
更に札の辻では氷川神社の山車を出しての太鼓演舞、鯨井中前では生徒さんの吹奏楽演奏。
「これだけ応援されたら、走らないとしょーがない」って位、今年も大声援がランを後押ししてくれました。

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【写真上】会場.水上公園内一写。
昨年に較べ、出店ブースも充実していました。
前述の様に昨年の不具合も解消され、年々良い大会になって行きそうです。

と、以上こんな所処にて。
リザルト詳細は亦後日にでも。

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●「川越マラソン」.速報

えー、本日開催の「小江戸川越マラソン 2011」。
先程ゴールした所処、タイムはネットで01:25:53。
「PB更新」です、バンザイ。
大会レポは後程アップするとして、取り敢えずは速報迄。

そんな訳で今から温泉→鰻屋→川越市街散策コースです。
あー、疲れた。

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2011.11.26

●「川越マラソン」前日

えー、明日は「小江戸川越マラソン 2011」。
今秋二度目のハーフ大会参加です。

Kawagoemark_w400_2然乍ら此処の所処、戦績は余り芳しく無く。
直近二レースで低調な記録が続いており、何とか復調の足懸かりを掴みたいものです。
そんな訳で「PB更新」とは行かない迄も「90分アンダー」は必守。
「捲土重来」を胸に誓う大会でありました。

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●来年は「角の成駒」

秦氏入植以降、洛西の地にて山背国からの歴史を有する松尾大社。
遷都以降は皇城鎮護神として「賀茂の厳神、松尾の猛神」と称され、亦室町期よりは「醸造の租神」として全国蔵元からの尊崇を集める様になりました。
今日でも八百万神の中にて、「酒造」を司る「日本第一酒造神」として仰がれ給ふておりまする。

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と云う訳で昨日の「洛中.師走風物」ネタに引き続き、本日は「洛西.迎春風物」ネタ。
我が家毎春の初詣先「松尾さん」で昨日、名物「干支大絵馬」が御目見え致しました。
序でですので直近三年間の大絵馬の写真もアップしておきます。

因みに表題は「竜」の絵「馬」に掛けて駄洒落ってみたものにて。

20111125203031janboema_2「昇竜のように生命力あふれる年に」 
松尾大社にジャンボ絵馬
京都市西京区の松尾大社で25日、来年のえと「辰」を描いた大型絵馬が設置された。お酒の神様をまつっているため、雲間から姿を現した竜が杯をつかむ場面が描かれている。
絵馬は縦3・2メートル、横5・5メートル、厚さ0・2メートル、重さは約90キロ。大社に関係のある業者でつくる「松尾会」が、1983年の「亥(い)」から毎年奉納している。
原画は、85年から左京区の日本画家藤原みていさんが担当していたが、今年8月に90歳で亡くなった。生前の言葉から、12年前に描いた絵を使うことにした。
大社権禰宜の西村伴雄さん(57)は「来年は昇竜のように勢いがあり、生命力あふれる年になってほしい」と話していた。
(文.写真共 京都新聞11/26
より)

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●南座「師走風情」.二景

ミヤコは四条大橋東南詰より「師走風物」の知らせ。
昨日「顔見世」を五日後に控えた南座で、恒例の「まねき上げ」が行われました。

顔見世が始まると祇園町にも繁忙期が訪れます。
「師匠」も「おかあさん」も「おねえさん」も「走り回り、飛び回り、舞い回る」師走。
年の「瀬」にて加茂の「河原」なだけに、そんな「水限」とでも申しましょうか。

そんな冗談を云いながら、礑気付けば今年も残す所処あと一ヶ月余り。
弥速、歳月の過ぎ行くのはホントに早いものでして…。

20111125121208111125005役者の名ずらり 
南座で恒例「まねき上げ」
京都の師走を彩る「吉例顔見世興行」(30日~12月26日)を前に、京都市東山区の南座で25日、出演する歌舞伎俳優の名前を書いた「まねき看板」を据え付ける恒例の「まねき上げ」が行われた。
まねき看板は、大入りを願って丸みを帯びた勘亭流の書体で役者の名を記した庵形のヒノキの一枚板。江戸時代以来の古式が残るのは南座だけという。
作業は午前0時ごろから始まり、劇場正面に組んだ格子状の「竹矢来」に、職人たちが位置を調整しながら1枚ずつ設置した。午前9時過ぎ、最後に「片岡仁左衛門」のまねき看板を掲げ、「尾上菊五郎」「坂田藤十郎」など東西の役者の名がずらりと並んだ。
大きなちょうちんや、櫓の上に据える梵天なども新調され、劇場は「歌舞伎の正月」を迎える装いに。国越稔弘支配人と見物客たちが、清めの塩まきと手締めで興行の成功を祈った。
(文.写真共 京都新聞11/25
より)

一方、劇場内では「一足早く」新緞帳のお披露目。
91年の改装工事以来、様々な舞台の幕開けを担ってきた「牡丹唐草段文様」は、20年間のお役目を終え無事引退となりました。
因みに同幕の寄贈は先代緞帳に引き続き、聖護院八ツ橋さんとの事。

20111123191509dacyou“花と鴨川”格調高く 
南座、新緞帳お披露目

年の瀬の訪れを告げる「吉例顔見世興行」を前に、南座(京都市東山区)は舞台の緞帳(どんちょう)を新調し、23日に「緞帳開き」をした。関係者らが劇場の新しい顔の誕生を祝った。
新しい緞帳「赤地草花連紋」(高さ7・5メートル、幅18・7メートル)は明るい赤色を基調に、600色以上の糸を使ったつづれ織。古来おめでたい図柄とされる「立涌(たてわく)文様」を取り入れ、杜若、菊や鴨川の流れなど、京の自然を意匠化した模様が連なっている。
日本画家の上村淳之さんがデザインを監修した。
南座の大改修から今年で20周年を迎えたのを記念し、聖護院八ッ橋総本店(左京区)が寄贈した。川島織物セルコン(左京区)が半年かけて製作した。
式典には約100人が出席した。松竹の迫本淳一社長は「新たな緞帳は劇場の新しい歴史の第一歩となる」とあいさつした。一般には30日に開幕する顔見世興行で披露される。
(文.写真共 京都新聞11/24より)

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2011.11.25

●「月は朧に東山」

「ぎぃ~おん こいしぃ~やぁ だぁら~りの おぉび~よ~」
と云う訳で一昨日、「祇園小唄祭」が円山公園にて行われたそうです。

然乍ら、学生時分とは云え祇園町で御世話になった身としてそんな催事は覚えが無く、ちょっこら調べてみると致しました。
すると私め東下後の催しにて今年が十回目との事、記憶に無くてアタリマエです。

で、何で「勤労感謝の日」の催事なのかと一考。
小唄で最も知られているのは矢張り冒頭「春の唄」のクダリですし、亦長田の忌日は五月三日です。
しかし考えてみれば、その時期はミヤコ花街遍く「をどり」の真っ最中。
朝から晩迄「目の廻る」程忙しい折で、新しく催事なぞ加えてる場合ぢゃありません。
とは云って「あまりに暇してる」オフシーズンでも一寸寂しいもの。

そんな事由にて「落とし所処」がこの時節になったものかと、勝手に推測してみた次第でありました。
まぁ「かにかくに祭」と月も一緒だし、宜しいんじゃないかと。

20111124103015maiko「祇園恋しや…」今も 
円山公園で舞妓ら歌碑に献花

京の花街の風情を織り込んだ歌舞曲「祇園小唄」をたたえる祇園小唄祭が23日、歌碑のある京都市東山区の円山公園で開かれた。舞妓らが歌詞を朗読するなどして祇園小唄の継承を願った。
祇園小唄は、作家長田幹彦(1887~1964年)が祇園のお茶屋「吉うた」で作詞し、「祇園恋しや だらりの帯よ」と京都の四季や舞妓の心情などを歌う。昭和初期に映画の主題歌として流行し、京都伝統伎芸振興財団と京都花街組合連合会が毎年祭を開いている。
祭では上七軒の舞妓2人が歌詞を朗読し、歌碑に献花。舞妓の市桃さん(19)は「祇園小唄を聴くと、舞妓になれてうれしかったころを思い出す」と話し、集まった観光客らに歌詞や長田の功績を伝えるカードを配って魅力を伝えた。
(文.写真共 京都新聞11/24より)

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2011.11.24

●Entry「2000」

えー、何時もお世話になっております。
瓦全の日々も早や「二年」を向かえようとしている弊亭酒司で御座います。

まぁ大した話柄では無いのですが、昨日付にて弊ウェブログの記事エントリーが「2000」を数える事となりました。
2007年1月より始めたこの「二次元店舗」、当初は週×2~3回程度の更新で御座いましたが、続けているうちに結構マメにエントリーしているものでして。
気付けば記事数が日数を上回っておりまする(2000(件)/1759(日)」。

尤も本来「飲み屋」の情報媒体の筈が、最近の内容と云えば「ラグビー」「マラソン」「古建築」と云った「非.生業」なもの計り。
殆ど個人の「趣味のページ」と化しております。
如何せん「母屋」復活の方が目途立たずなものですから致し方無いのですが。

そんな訳で「2001」件目の更新は、日頃の御愛読に感謝の意を表す次第にて。
陳謝。

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2011.11.23

●今日は「何の日」

えー、本日は「勤労感謝の日」。
一般的には「オシゴトオヤスミ」の日なのですが、此処中野坂上でも意外にスーツ姿の人々が目に付きます。
如何やら休日出勤している方々も多い様でして、これでは「勤労者に感謝して休息をとってもらう日」なのか「勤労出来る事に感謝して勤めに一層精進する日」なのか解りません。

えー本日は「小雪の日」。
と云いましても「節気」のオハナシで御座いまして、最近御懐妊された「ハイボール」の女優さんとは関係がありません。
時候では「僅かながら雪が降り始める頃」なのですが、まぁそれも往昔の事。
しかも今冬は「記録的な暖冬」の報、首都圏で雪片を見るのは当分先となりそうです。

えー、本日は「ラグビー早慶戦の日」
本日の秩父宮は宛ら「両校OB会の態」となっている事でしょう。
楕円球フリークの私めですが大学ラグビーには然程触手が伸びず、加えて今季の早慶戦は「対抗戦4.5位決定戦」。
従い「Jスポーツ」観戦で済ます予定です。

他にも「外食の日」「Jリーグの日」「ゲームの日」…。
いゃあ、「11日23日」と云っても結構色々あるものなのですね。

因みに私めにとっては「何の日」なのかと申しますと…。
「365連休」中の単なる一日。
「非.勤労者」の当方にとりましては余り有り難味の無い祝日でして、「のんべんだらり」と過ごしておりまする。
とさ。

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●「旧嵯峨御所」門前にて

初冬ミヤコの歳時記「大根焚」、と云って先ず頭に浮かぶのは…。
「鳴滝三寶寺」「千本釈迦堂」「鳴滝了徳寺」の御三家です。

そんな師走風物に先立って昨日、大覚寺塔頭覚勝院で「大根供養」が行われました。
地元では「覚勝院さん」云うよりむしろ「まこと幼稚園」を運営しておられるお寺、としての方が馴染み深いですが、実は七百年前よりの嵯峨御所院家。
「御所の法流お預り」として由緒正しき院家の住坊です。

と云う訳で節気「小雪」の頃、ウチの近所のお話でした。

201111225445131n_3大根味わい 無病息災 覚勝院
右京区の大覚寺塔頭(たっちゅう)・覚勝(かくしょう)院で22日、無病息災を願う「大根供養」が始まり、参拝者が熱々の大根を味わった。23日も行われる。
同院の本堂には聖天様が安置されており、大根は供物の一つ。供物のお下がりを食べると、心身の毒を消すとされ、約1000食を用意する。朝から大小5つの鍋で厚さ約7センチに輪切りした大根を煮込み、境内には湯気が立ちこめていた。
坂口博翁住職は「大根は生命を養う薬で食べて煩悩を除き、体を温めてもらえれば」と話している。午前10時~午後5時で、お供え料は900円。問い合わせは同院(075・881・5788)へ。
(文.写真共 読売新聞11/23より)

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2011.11.22

●ヒマラヤほどの消しゴムひとつ♪

来月11日にエントリーしている「第19回小川和紙マラソン」。
一昨日、その参加通知書が手元に届きました。

只単にそれだけのハナシなのですが、葉書に記載されているゼッケンナンバーを見てみると、中々語呂の良い番号に当たっているものだと。
尤も私め、こう云う「どーでも」良い所処で運を使う傾向が御座いまして、何時ぞやの横浜マラソンでも「8888」なんてゼッケンを頂いた事がありました。
因みに今回の番号は「四桁ピッタリ」±1の前後賞。

で、今回の表題はその「ゼッケンナンバー」に因んだ「ナンバー」。
矢張り「あおい」じゃ無く「BLUE」の方が宜しいかと。

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2011.11.21

●「あをによし」薬師寺.後篇

えー、昨日ログの続きです。
今夏帰京の折の、カナ~リ遅れた後日談。
南都七大寺巡礼「薬師寺.現代建築篇」で御座います。

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【写真上】中門。
昭和59年(1984)再建、五間三戸.一重門.切妻造、本瓦葺。
天平様式に則って復元、上代寺院らしい落ち着いた佇まいの中門。
本来はこの前方に南大門があり、礼堂的な要素を併せ持っていた。
回廊は梁二間複廊。
現在第三期工事を完了しており、中門から凵の字型に再建されている。
今後は往時の薬師寺式伽藍配置通り、講堂の両脇に取り付けられる予定。

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【写真上】金堂
昭和51年(1976)再建、二重.毎重裳階付、本瓦葺、木造一部RC造。
堂跡の発掘調査及び古文献(流記帳)を元に復元された。
堂規模や柱間、各重の裳階及び庇を一段上げている点等は忠実に再現されているも、上層部に関しては全く資料の無い為、類例建造物を参考にしたものである。

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【写真上】金堂近景。
裳階中央を一段上げているのは当時の東大寺.金堂を倣ったもの。
尤も現在の東大寺金堂は江戸中期の再建、裳階部中央は軒唐破風となっている。
同様の跳ね上げ屋根形式を持つものとして「平等院.鳳凰堂」「法界寺.阿弥陀堂」「厳島神社.本殿」「東寺.金堂」が現存している。

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【写真上】西塔。
昭和56年(1981)再建、.三間三重塔.毎重裳階付、本瓦葺、塔高33.9m。
創建当時の白鳳様式塔姿を復元する形で再建された。
その為もあり、東塔と比較すると以下の点に外観上の相違がある。
・塔の彩色には青丹色を配する。
・東塔では白壁に塗り込まれた脇間の連子窓を再現。
・虹梁尻や垂木の木口に飾り金具が付けられる。
・基壇は地盤沈下で低くなった東塔のものより約80cm高い。
・塔高自体も、建造材の撓縮で低くなった東塔に較べ約30Cm高い。
・本屋根の勾配が緩くされ、軒出も延ばされている。
・同、屋根は空葺とされ瓦も薄型のものが使われており質感が軽快。

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【写真下】東回廊より金堂と塔婆を眺む。
双塔式の伽藍形態は本師寺を嚆矢とし、白鳳期の最新寺院建築形式であった。
薬師寺が藤原京から平城京に移る際にも、その形式は三重塔の建築様式と共に踏襲され、遷都後同地に新営されたものである。
尚、この後天平期には双塔式伽藍は一般的となるも、塔の寺院内地位は低下し廻廊の外に造営されるようになる。 

39【写真上】東僧房前より。
御約束の喫煙所、一服しながら東塔を愛でる。

シカシ良く考えてみると…。
廻廊が講堂迄繋がってしまうと、此処から東塔は見えなくなってしまいます。
そんな訳で紫煙を燻らせつつ「凍れる音楽」を眺められるのも、あとどれ位なのでしょう。

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【写真上】同.喫煙所より望む東塔。
矢張り、美しいものは「何処から」「何度見ても」美しいものです。
因みに詳細は前日ログ参照の事。

この後は奥楽門から五条町を北上、唐招提寺へと向かいました。
リポートは亦機会があれば。

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2011.11.20

●「あをによし」薬師寺.前篇

えー、もう四ヶ月近以上前の琴ですが、今夏は七月帰京の後日談。
小雨降り濡つ梅雨空の中、「青丹映える」地へと足を伸ばして参りました。
そんな訳での南都七大寺巡礼「薬師寺.古建築篇」で御座います。

当日、近鉄西ノ京駅に着いたのは9時半頃。
薬師寺「北唐門」迄は徒歩3分程なのですが大きく迂回、矢張り正門の「南門」から入る事と致しました。

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【写真上】休ケ岡八幡神社社殿。(重文)
本殿/慶長8年(1603)建立、三間社流造、檜皮葺。
東西脇殿/慶長8年(1603)建立、桁行三間.梁間一間、一重.切妻造、檜皮葺。
休ケ岡八幡宮は寺領南面に隣接する鎮守神、薬師寺の創建に遅れる事約100年、宇佐八幡宮より勧請されたもの。
現社殿は慶長期の造営、本殿は一般的な三間社流造も両脇に切妻脇殿を付設する珍しい形式。
但し再建時の加補ではなく古式に則ったもので、少なくとも平安期中にはこの社殿構造となっていた様である。

006【写真左】同.側面一写。
桃山様式の意匠が色濃く、庇柱下の組物や蟇股等にその特徴が見てとれる。
亦、社殿は二段に亘る乱積基壇上に建てられているが、これは後世補修の際に設けられたものと思われる。

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【写真上】南門より東西塔を眺む。(重文)
永正9年(1512)建立、四脚門.切妻造、本瓦葺。
簡素な四脚門、本来は南大門の造営されいてた場所に当たる。
往時は五間二間の二重門であったが数次の罹災で消失、現在の南門は旧西院の西門を移築してきたもの。
四脚門の控柱は通例角柱であるが、円柱とされているのが特徴。

114_3
【写真上】東塔。(国宝)
天平2年(730)建立、三間三重塔婆、毎重裳階付.本瓦葺、塔高33.6m。
各重柱間:中央間.板唐戸、脇間.白塗壁。 
組物:身舎.三手先 、裳階部.平三斗 
中備:初二重部.間斗束、三重部.無し。
軒組:二軒繁垂木(地垂木.丸垂木、飛檐垂木.角垂木)。

薬師寺創建時より残る唯一の建造物にて、白鳳様式を今日に伝える希少な遺構。
日本最古の三重塔、塔婆全体でも法隆寺五重塔に次ぐ古いもの。
亦、塔高も三重塔として国内最大である。


六層から成る大小屋根と塔舎平面比の奏でる諧調意匠は正に秀逸。
具体的には本屋根の軒深且つ反りのある広がりに対して、軽快簡潔に差し上げられた裳階屋根。
更には各重平面逓減の大きさに加えて、裳階部縁下の締りの妙味。
これら要素の相乗効果により、調律に譬えられる無類の構造美を生み出している。

114_2
【写真左】整然と並ぶ三斗組。白土壁のコントラストも見事。
組物は三手先最古の遺例、現存天平建造物の中で特殊な位置を占める。
三手先は軒支輪や横繋材が入らず、前方に突出するだけの単純な構造。
白鳳期組物(雲斗雲肘木)からのドラスティックな変遷が伺える。
時代様式的には「法隆寺五重塔.金堂」「法起寺三重塔」と「唐招提寺.金堂」との中間に属し、同様式のやや進んだものとしては「海龍王寺五重小塔」「当麻寺.東塔」が挙げられる。
裳階部の中備は平三斗、間斗束の入る初期の例。
何れも天平様式より一時代遡る古式な形式である。
【写真右】相輪全景。
相輪高は全高の三割、飛天の透かし彫りを施した水煙を上げる。
露盤上の受花が蓮形では無く平頭(四角)形状のものは他に類例が無く、これも天平以前の古い様式と思われる。

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【写真上】中門より眺む東塔。
矢張り少し引いて眺めた方が、塔姿の全体像が良く解る。
前述した様に構造としては「白鳳様式」と「天平様式」の中間に属するが、やや前者寄りの傾向が強い。
建立時期は天平期に当たるが藤原京からの寺移転の際、古式に則って再建された為と思われる。
他、上代建造物として外面的な特徴は「縁を設けずに基壇上に造営」「三層目は方二間」「骨格の太い直線的な塔婆」「初重から三重の逓減率の大きさ(0.42は現存塔婆遺構中最大)」が挙げられる。
尚、各重裳階部の脇間を中央間よりを広く取っている手法は異例。

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【写真上】西回廊より金堂と塔婆を眺む。
西塔と金堂は昭和の建造物、詳細は次項にて。

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【写真上】東院堂。(国宝)
弘安8年(1285)建立 桁行七間.梁間四間、一重.入母屋造、本瓦葺。
正面柱間:中央五間.板唐戸、脇間.連子窓。 
組物:出組、中備:間斗束、軒組:二軒繁垂木。

鎌倉時代、南都仏寺復興末期の再建。
頭貫木鼻や藁座等、細部には大仏様が見られるが総じて和様の建築様式。
これは堂宇の再建が、東大寺を初めとする鎌倉初期の南都仏寺復興期(大仏様主流期)より若干間が空いているのと、当時の薬師寺が興福寺支配下だった事に起因する。
当初は南面して建てられていたが、享保18年(1733)に現行西向に変更された。

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【写真上】同.近景と内部。
天井は格子板張、内部は床張。
古制を踏襲しつつも平安期の住宅様式的影響を受けており、鎌倉後期の和様仏堂の好例。
尚、同時期類例の建造物としては本山寺本堂.霊山寺本堂.元興寺極楽坊などが、時代は下るが外観上酷似しているものとして醍醐寺金堂が残っている。

と、こんな所処にて。
この後は「薬師寺.現代建築篇」へ続く。

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2011.11.19

●「スピードレーサー」再び

えー、先日ログの続きみたいなもの。

昨日は原宿のナイキストアへお買い物。
日頃使っているトレーニング用ランニングシューズがヘタってきたので、「おニュー」を物色しに行って参りました。
これ迄のデイリーフットギアは同社の「エアズーム スピードライト+(2009年版)」ですので、同じモデルの新バージョンを買い求める心算でした、が…。
「あれやこれや」と履き散らかしてるうちに、結局本番用のレースシューズを購入する破目となってしまいました。

4102959174NIKE AIR ZOOM
SPEED RACER3 (407271-006)
以前愛用していた「スピードレーサー2」の後継機種、従い使い勝手は慣れたもので安心の一足です。

名前の通り本格的レーシング仕様、従来モデルより軽量でフィット感も抜群ですが、その分ミッドソールのズームエアも可也抑え目。
一般ランナーにとっては下半身に掛かる衝撃負担も大きいのものの、「ハーフ」の距離ならギリギリ許容範囲です。
何と云っても地面を直接蹴っている様な推進力感と、フライワイヤーによる足甲中部の締め付けは一度使うと癖になりそう。
スキーブーツに例えるならラングの「WORLD CUP」。
「シャープ」と云う言葉がピッタリくるシューズでしょうか。

で結局、トレーニングシューズは如何するのかと云うと。
今レース本番で履いている「アシックス TARTHERGALE 2」を格下げして使う事になりそうです。

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2011.11.18

●「原宿」にて

本日は昼過ぎより表参道へ。
珍しく「オサレな若者の街」でのお買い物で御座います。

そんな訳で向かった先は「NIKE STORE  HARAJUKU」。
物色目的はトレーニング用のランニングシューズ、何時もなら神保町で済ませる所処ですが、たまには気分転換も宜しいかと思い立ちフラッグシップショップを訪れた次第で御座います。
で、そのナイキ原宿店。
予想通り「小洒落た感じ」の店舗デザインでしたが、商品陳列は意外とすっきり目。
アイテムをある程度絞っているのが却って便利、「不必要なモノの山」から探し物を見つけ出す手間も省けます。
平日日中と云う事もあり店内は空いており、これ幸いと計り「散々履き散らかして」帰路に着きました。

111118_145837【写真左】表参道一写。
御約束、交差点北東側の喫煙所にて。
しかしまぁ滅多に来ない土地なので、街の雰囲気には終始「慣れず」「落ち着かず」。
内心「ドキドキ」しながら神宮前交差点を闊歩しておりました。

あ、それと。
ちゃんと一足買いましたからね。

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2011.11.17

●「ぶしゃーるえいね」

今夜未明、煙草を切らしてしまいコンビニに寄った際の事。
レジ横の陳列棚がガーベラの「お花畑」状態になっておりました。
そう、11月3週目恒例の「アレ」で御座います。


111116_214114_2_2考えてみれば今年の販売日は17日、当日になって漸く気付いた「ボジョレーヌーボー」解禁で御座います。
尤も私め、今年も飲む機会は無いでしょうが…。

尚冒頭の「舌を噛みそう」な表題は、置いてあった銘柄に因んだもの。
フランス語で愛を囁いているのではありません。
一応念の為。

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2011.11.16

●来年の支度

「このカレンダー、誰んだぁ?」
「彼んだぁ」。


111116_214114_2そんな訳で本日、本屋に行った序でに「2012年」の月暦を購入して参りました。

この御時勢、日々のスケジューリングなぞは「二次元」管理が当たり前なのですが、「紙」仕様のモノも一つ位あった方が便利です。
尤も暫くの間、書き入れる事と云えば「マラソン」「ラグビー」、そして「スキー」の予定位でしょうが…。

何は兎も有れ、来年こそは良い年であるとイイな、と。

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2011.11.15

●下諏訪巡礼「春の巻」

12先月末「諏訪湖マラソン」の後日談。
レース完走後は諏訪社参詣、秋宮から中山道逕路で春宮へ。
そんな訳での下諏訪散策.後篇「下社.春の巻」で御座います。

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【写真上】神楽殿と境内風景。
江戸中期(17C後半)建立、桁行五間.梁間三間 切妻造.妻入 銅板葺。
撞木造の秋宮神楽殿に較べ、規模.装飾共に簡易な殿社。
造営は江戸中期に遡るが数次の修築跡が認められる。
特に昭和初期の改修で大幅に改められており往時の姿は偲べないが、江戸前期の境内図絵によると、当初から四柱建て.吹放ちの小規模な神楽殿だったことが伺える。

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【写真上】下社春宮.幣拝殿。(重文)
幣拝殿:安永8(1799)建立
桁行一間.梁間二間、楼造.切妻造(正面軒唐破風付)、銅板葺、左右袖塀附属。
左右片拝殿:安永8(1799)建立
桁行五間.梁間一間、一重.片流招屋根付、銅板葺。

片拝殿の屋根形状が少々異なるのみで、社殿配置や様式は秋宮と相似する。
従い仔細は記述済みの為省略(詳細は「秋宮篇」参照の事)。

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【写真上】幣拝殿.近景。
工匠は大隅流.柴宮長左衛門矩重。
他にも「北熊井諏訪神社」「水上布奈山神社」「小俣諏訪社」等、諏訪を中心とした信濃.上州地方で数多の建築彫刻を残している。

17【写真左】一之御柱。
件彼是に就いても「秋宮篇」で既述なので省略。

尚余談であるが「南面(諏訪湖に対面)する立地」や「馬場参道の下馬橋」「社域を流れる禊河(砥川)」の存在等、下社発祥は春宮を起源とする説が有力である。

尤もこの辺も民俗学の分野なので、触りだけにしておく事に。

11
【写真上】下馬橋。
元文元年(1736)建立、桁行五間.梁間一間 切妻造.妻入 銅板葺。
反橋に切妻屋根を上げたのみで、組物を持たない簡素な造り。
春秋遷座祭の折、八坂刀売神の御霊代を乗せた神輿だけが橋を渡る。

と、こんな所処でした。

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2011.11.14

●下諏訪巡礼「冬の巻」

先月末「諏訪湖マラソン」の後日談。

「湯治」と「鰻屋」でレースの疲れを解した後は諏訪社門前を漫ろ歩き。
秋宮から中山道を通って秋宮へ向かう事と致しました。
そんな訳での下諏訪散策.中篇「中山道の巻」で御座います。

A

B
【写真上】下諏訪.町並み風情、四景。
上は秋宮前、中山道と甲州街道の合流付近、下は中山道の土蔵と小径。
何れもこの周辺は門前宿場町の古い雰囲気が良く残っており、古民家や商家が点在しています。

D
【写真上】宮の上より諏訪湖を眺む。
四時間前迄はあの湖周を走っていました。
俯瞰すると以外に大きいもの。

C
【写真上】慈雲寺.山門。(町指定)
安永5年(1776)建立、桁行三間.梁行二間、重層楼門、入母屋造.銅板葺。
旧中山道の一本北側、国道142号沿いにある小刹。
文化3年(1806)の大火で山内堂宇は尽く焼失するも、唯一罹災を免れた建造物。
鐘楼門形式の山門、特筆する禅宗様式は見られない。
【写真上】山門より総門を望む。
苔生す石畳と杉並木は臨済禅寺らしい参道。

F
【写真上】万治の石仏。
何処の観光地にもある「ヤラレタ」感の強い名所。
私めは此処を訪れた人々の「えも言われぬ」ビミョーな表情を見るのが楽しみで、毎年足を運んでしまいます。
まぁ機会がありましたら、騙されたと思って一度行ってみて下さい。
矢張り「騙された」と思いますから。

E【写真左】砥川。
「万治くん」の横を流れる清流。
川向には諏訪大社春宮、直ぐ下流の中洲には浮島神社が御座います。
大分歩いて手も汚れていましたので、川辺で軽く手濯ぎ、春宮へと向かったのでした。

尚、今回の表題は「秋宮」と「春宮」の道程なものでして、間の季節に掛けたものです。
続く。

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●下諏訪巡礼「秋の巻」

先月末「諏訪湖マラソン」の後日談。

完走後は湯治の後、駅近くの鰻屋で「オツカレ麦酒」と、毎回恒例のルーティン。
レースの疲れを解した所処で、下諏訪門前をぶらり遊歩する事と致しました。
そんな訳での下諏訪散策.前篇「下社.秋の巻」で御座います。

1【写真左】下諏訪社.秋宮。
下社祭神のうち一柱、八坂刀売神の御霊代は二月~七月間は春宮に、八月~一月間は此処秋宮にと年二回遷座をなされます。
そんな訳で私めも毎年秋宮からお参りするのでした。

2
【写真上】秋宮幣拝殿。(重文)
幣拝殿:安永9年(1780)建立、
桁行一間.梁間二間、楼造.切妻造(正面軒唐破風付)、銅板葺、左右袖塀附属。
左右片拝殿:安永9年(1780)建立、
桁行五間.梁間二間、一重.切妻造、銅板葺。

幣殿と拝殿を一棟の楼造とし、左右に廻廊形式の片拝殿を附した構造。
江戸期神社建築の典型的な複合社殿様式であるが、類例として良く有りがちな煩わしい迄の猥雑感は本殿が無い分多少薄らいでいる。
亦、頭貫.木鼻や欄間に施された彫刻群も同期の特徴を良く表している。

4
【写真上】片拝殿を側面より望む。(重文)
幣拝殿に較べ装飾的要素の無い、古式に則った造り。
廻廊用途の強い拝殿と云う性格から、大人しい建造になったと思われる。
尚、片拝殿の屋根形状が少々異なるのみで、社殿配置や様式は秋宮と相似する。

3
【写真上】幣拝殿近景。
工匠は立川流初代.立川和四郎富棟、「白岩観音堂」と並ぶ初期の代表作。
他にも「泉寺輪蔵」「善光寺本尊.三卿厨子」「同大勧進表門」「静岡浅間神社」等、諏訪を中心とした信濃地方で数多の建築彫刻を残している。

因みに境内もう一つの国指定重文、神楽殿は現在修復工事中。
今回の作事で銅板葺の屋根が往時の杮葺に復元される。

5【写真上】一之御柱。
下社両社は御神木を御神体として拝す。
本来諏訪大社は守屋山や諏訪湖を神奈備とした原始自然信仰を嚆矢とする古史を持つ。
現在祭神とされている建御名方命(他二柱)は、大和朝廷による地方支配施策の一環として後附されたものであり、従い同社は本殿(神殿)を有さない。

亦その名残は式年御柱祭や御神渡を始めとした、「山」「湖」「石」等を神代(信仰の対象)とした古来からの特殊神事にも表れている。
尤もこの辺は民俗学の分野、私めにとっては不詳な話なので触りだけにしておきます。

そんな訳でこの後は春宮に向かうのでした。
続く。

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2011.11.13

●Levi World Cup Slalom's Canceled

えー、昨晩の事。
今日レヴィにて初戦を迎える筈だった「FIS World Cup 11/12」男子スラローム。
スタートビヴを確認しようと、「www.fisalpine.com 」を開いてみたのですが…。

「雪不足でレースキャンセルでした (;ω;)」

Actu_5109_newsletterleft中止が決まったのは11/3。
此処の所処「FIS」HPをチェックしておらず、ニュースリリースからすっかり取り残されておりました。
因みに左写真は、直近レヴィの様子。
これじゃ滑り様がありませんね…。
.

尚代替開催地はフラッハウ(AUT)、男子SLは12/21にナイターで行われる模様です。

と、そんな訳で世間殆どの方々にとっては「どーでもイイ」オハナシでした。
因みに下記は今季のFIS.スラロームカレンダーです(スケジュール変更済)。

FIS WorldCup Calendar 【2011/12 SL.Men】
2011.12/08 Beaver Creek (USA)
2011.12/19 Alta Badia (ITA)
2011.12/21 Flachau (AUT)   ★by night
2012.01/05 Zagreb (CRO)
2012.01/08 Adelboden (SUI)
2012.01/15 Wengen SUI
2012.01/22 Kitzbuhel (AUT) 
2012.01/24 Schladming (AUT)
2012.02/19 Bansko (BUL)
2012.03/11 Kranjska Gora (SLO)   
2012.03/18
Schladming (AUT) 

FIS EuropaCup Calendar 【2011/12 SL.Men】
2011.11/30     Trysil (NOR)
2011.12/04     Are (SWE)   
2011.12/14     Obereggen (ITA)   
2011.12/15     Pozza di Fassa (ITA) ★by night
2011.12/16     Madonna di Campiglio (ITA)  ★by night
2011.12/21     San Vigilio / Kronplatz (ITA)  ★Paralle lslalom
2012.01/16     Meribel (FRA) 
2012.01/19     Lenzerheide (SUI)   
2012.01/24     Zell am See (AUT)
2012.02/04     Monte Pora (ITA) 
2012.02/13     Pamporovo (BUL)  ★2xSL
2012.02/17     Oberjoch (GER) 
2012.03/18     LaThuile/Courmayeur (ITA)

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●竹亭の遺片

えー、先週は水曜日と木曜日の事。
秋雨の合間を縫っての晴日和、東武沿線某所へ出掛けて参りました。

向かった先は住宅街の中にあるガレージ倉庫。
シャッターを上げると、そこは嘗て赤坂に有った「とある飲み屋」の備品置き場となっておりまする。
そんな訳でこの日は、年二回行う荷物の虫干しに訪れたのでした。

111109_140927
「欅一枚のカウンター」「天井に通した梁」「引戸に水屋に階段箪笥」…。
果ては「雨樋や軒瓦」に至る迄、全て保管しております。
亦、特に「山程」あるのが段ボールに詰め込んだ酒瓶と書籍。
定期的に外気入れをしてやらないと、カビだらけになってしまいます。

と云う訳で、早く陽の目を当ててやりたいと思いつつ、二日掛けての「宝物風入」。
間も無く丸二年が経とうとする弊亭「休眠状態」でした、とさ。

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2011.11.12

●師走の支度「勘亭流」

本日はミヤコ師走の風物詩、南座顔見世「まねき上げ」準備のお知らせ。

そう云えば昨年は開幕5日前に件の「海老騒動」が御座いまして、前代未聞の「まねき下げ」なんて事態も起こりました。
果たして今回出演予定の皆様に於かれましては、「西麻布方面」での飲食には呉々も御注意をされます様。
ましてやテキーラを一気飲みした挙句、酔勢に任せて「俺は人間国宝だ」なぞと壮語吠言するのは以ての外です。

そんな訳で、気付けば師走になっているんでしょうね。
霜月の過ぎていくのも「@」云う間です…。

20111111131956maneki顔見世待つ、役者ずらり 
南座「まねき書き」始まる
今月末に開幕する南座(京都市東山区)の「吉例顔見世興行」を前に、出演する歌舞伎俳優の名前を劇場前に掲げるまねき看板に書き入れる「まねき書き」が11日、左京区の妙伝寺で始まった。
まねき看板は長さ一間(約1・8メートル)、幅一尺(約30センチ)のヒノキの一枚板で、役者の名は大入りを願って、太く丸みを帯びた「勘亭流」の書体で隙間なく書かれる。
上方歌舞伎の名跡、片岡仁左衛門家の墓所のある妙伝寺客殿に設けられた作業場で、書家の川勝清歩さん(78)が墨をたっぷりと含ませた筆を力強く走らせ、「尾上菊五郎」「片岡仁左衛門」ら東西の人気役者の名を黒々と書き上げていった。
今年のまねき看板は54枚で、25日の「まねき上げ」で劇場正面に掲げられる。顔見世興行は30日~12月26日。
(文.写真共 京都新聞11/11より)
 

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2011.11.11

●塩田平「訪塔記」.信濃国分寺

えー、先月末は信州旅路の後日談。
「大法寺」「安楽寺」「前山寺」を巡った後は、上田市街より一駅東へ。
そんな訳での信濃路訪塔記.最終回、「信濃国分寺篇」で御座います。

124
【写真上】信濃国分寺.三重塔。(重文)
室町中期建立、方三間三重塔婆、銅板葺 塔高20.1m
初重柱間:中央間.板唐戸、脇間.連子窓。
組物:各重三手先、中備.各重間斗束(束省略)。
軒組.各重二軒繁垂木。

外観は肘木形状等に一部折衷様式が見えるも、概ね和様で統一されている。
それに反して塔内部は純禅様で造営されており、これは構造強度上の利点から室町期以降の塔建造に良く見られる傾向である。
亦、塔姿が大法寺三重塔の影響を多分に受けており、内部構成は同じく同地域の安楽寺三重塔に倣ったものかも知れない。

122
【写真上】同.斜側面より。
初重には高欄のない切目縁を廻せ、二三重は平三斗を支えに腰組高欄を設ける。
建造様式が統一されている事もあり、和様塔らしい柔和な落ち着きを見せる。
尤も範としたとされる大法寺三重塔に較べると、平面や塔身の微妙な逓減比や軒隅の繊細な反り具合等の技巧は及ばす、やや間懈い印象。

Photo
【図面上】国分寺.大法寺.前山寺三重塔、各図面比較。
国分寺.大法寺の両塔が酷似している事が良く解る。
初重高の違いは単に組物手法に起因するものだが、平面や塔身の逓減比や軒出の差異は工匠の技術に加え、造営時期(鎌倉末期/室町中期)による様式の変化も影響している。

133
【写真上】信濃国分寺.本堂。(県宝)
万延元年(1860)建立 、桁行六間.梁間四間、二重一階
入母屋造..妻入(正面向拝二間.軒唐破風付)、桟瓦葺。

134_2【写真左】同.正面より。
14.5mの大間口を妻入とし、入母屋破風と裳階の軒唐破風を正面に向ける。
両側面も奥行を多く取り、向拝こそ略されているが間口を設ける。
規模は一回り小さいも長野や甲斐善光寺と同様の意匠で、信濃周辺の密教系寺院の地域色が表れた大規模本堂建造物と云える。

但し長野善光寺が比較的伝統復古を意識して造営されたのに対し、此方は様式の過度混合化が伺える。
これは寺格のみならず、江戸末期と云う建造時期によるものと思われる。

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【写真上】南側池泉より、一服しながら一写。
境内地蔵堂横にある喫煙所から眺む三重塔。
この周辺は他の観光所処に較べると些か地味なエリア、終始閑静なもの。

146
【写真左】旧国分寺史跡、金堂跡より塔跡を眺む。
【写真右】旧国分寺と現国分寺寺域図。
国道18号を隔てた場所にある旧国分寺跡。
創建時の寺域.礎石がほぼその儘残り、往時の伽藍群を想起出来る貴重な史跡。
行数都合上で詳細は割愛致しますが、国道と鉄道線路が寺跡を斜断しているのが本当に惜しい。

そんな訳での「塩田平訪塔記」四部作も漸く終篇。
この後は上田駅で酒席を済ませ、トーキョーへの帰路に就いたのでした。
おはり。

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2011.11.10

●「スキーサーカス」開幕3日前

えー、本日も例に由って殆どの方が「興味の無さげ」なおハナシ。
雪上の白いサーカス、「2011/12.FISワールドカップ」に就いてです。


Fis_logo_news_2先月22日、オーストリーはソルデンで開幕したアルペンW杯。
ジャパン期待のSLは11/13、レヴィ(フィンランド)で初戦を迎えます。

因みに直近発表の日本勢FISポイントは、湯浅直樹(26位.第二シード).佐々木明(82位).大越龍之介(97位).皆川賢太郎(116位)。
ポイントランクとスタート順は異なりますが、何れにせよシード入りは湯浅のみ。
今季のジャパンも厳しい戦いが予想されそうです。
果たして相性の良い「ジ.ファイナル」シュラドミングには何名が駒を進められるのか。

そんな訳で下記は今季のFIS.スラロームカレンダー。
嗚呼、今年も「雪のシーズン」が待ち遠しい。

FIS WorldCup Calendar 【2011/12 SL.Men】(※11/13カレンダー変更済)
2011.12/11 Val d'Isere (FRA)
2011.12/19 Alta Badia (ITA)
2011.12/21 Flachau (AUT)   ★by night
2012.01/05 Zagreb (CRO)
2012.01/08 Adelboden (SUI)
2012.01/15 Wengen SUI
2012.01/22 Kitzbuhel (AUT) 
2012.01/24 Schladming (AUT)
2012.02/19 Bansko (BUL)
2012.03/11 Kranjska Gora (SLO)   
2012.03/18
Schladming (AUT) 

FIS EuropaCup Calendar 【2011/12 SL.Men】
2011.11/30     Trysil (NOR)
2011.12/04     Are (SWE)   
2011.12/14     Obereggen (ITA)   
2011.12/15     Pozza di Fassa (ITA) ★by night
2011.12/16     Madonna di Campiglio (ITA)  ★by night
2011.12/21     San Vigilio / Kronplatz (ITA)  ★Paralle lslalom
2012.01/16     Meribel (FRA) 
2012.01/19     Lenzerheide (SUI)   
2012.01/24     Zell am See (AUT)
2012.02/04     Monte Pora (ITA) 
2012.02/13     Pamporovo (BUL)  ★2xSL
2012.02/17     Oberjoch (GER) 
2012.03/18     LaThuile/Courmayeur (ITA) 

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2011.11.09

●「かにかくに」

「祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」

と云う訳で昨日は「かにかくに祭」。
仔細彼是に就いては毎年記述済なものでして、その儘コピペしておきます↓。

11月8日は巽橋白川畔にて「かにかくに祭」。
昭和三十年、吉井勇の古稀祝いとして祇園新橋「大友」跡に歌碑が建てられました。
その建立日を選んでの彼を偲ぶ催事、近年では秋.祇園町の風物詩となっています。
因みに歌碑は本鞍馬。惚れ〃する鉄錆色の石面には冒頭の歌が、亦建立有志には志賀直哉.谷崎潤一郎.新村出.堂本印象.湯川秀樹ら錚々たる朋輩の名が刻まれています。

で、吉井勇がどういう人かと申しますと…。
無類の酒好きにて舞妓芸妓オタク。お茶屋に立て籠もるかと思えば宛無くあっちこっち彷徨し、花街色恋沙汰悲喜交々を頽唐的に歌い上げた「外向的なヒッキー」でした。
但し祇園町での遊び方については近松秋江より通じていたと思われます。

真面目なトコロ、祇園にて篭城を決め込んで左褄の情ばかり歌っていたのは若かりし頃の話であって、処女詩集「酒ほがひ」から続く初期作品「祇園歌集」「祇園双紙」の印象が強いのかも知れません。
寧ろ自然山海折々の風情や、歴史上の人物から土地〃の名も無き匠師迄を己が流(所謂「勇調」)に敷衍する歌風が真骨頂と云えるのではないかと。
まぁ近代日本版吟遊詩人とでも申しましょうか。

その他仔細に就いてはウィキ様でも覗いてみて下さい。
尚、吉井の忌日11月19日にて「かにかくに祭」の日では御座いません。
是念の為。

20111108113839kanikakuni祇園愛した歌人しのぶ かにかくに祭 
芸舞妓ら歌碑に献花
祇園を愛した歌人吉井勇(1886~1960)をしのぶ「かにかくに祭」が8日、京都市東山区元吉町の白川畔であり、芸舞妓らが歌碑に白菊を供えた。
吉井は晩年、京都で暮らし、都をどりの作詞も手がけた。歌碑には「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」と刻まれており、谷崎潤一郎や志賀直哉らが55年11月8日に建立した。祇園甲部組合が毎年、かにかくに祭を催している。
穏やかな晴天の下、午前11時に始まった。同組合の役員らに続いて芸舞妓4人が順に歌碑の前に花を置き、静かに手を合わせていた。
(文.写真共 京都新聞11/8より)

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●「立冬」味覚.三題

丹後では一昨日より松葉ガニ漁が解禁となりました。
「蟹飯」「蟹鍋」「焼き蟹」…。
カニかくに「日本海の幸」、美味時節の到来です。

伏見では此処数日、千枚漬けの仕込みが最盛です。
「大安」「大藤」「近清」…。
兎にもカブにも「聖護院蕪」、美味時節の到来です。

丹波口では昨日より棒だらの市場卸が始まりました。
「芋棒」「煮付け」「甘露煮」…。
タラふく食べたいミヤコの「おせち必需品」、美味時節の到来です。

そんな訳で、本日は冬に魁ての「ミヤコ.美味しい話」三題。
でした。

20111106194830kani007_2冬の王者 ぎっしり 
京都府北部で松葉ガニ漁解禁
日本海の冬の味覚・松葉ガニ(ズワイガニ)漁が6日、一斉に解禁された。京都府北部の漁港では捕れたてのカニが次々と水揚げされ、午後から4市場で初競りが行われた。
初日は午前0時の解禁に合わせて、府漁協舞鶴、丹後、網野支所に所属する底引き網漁船12隻が出漁し、丹後半島沖合20~55キロで網を入れた。
京丹後市丹後町の間人漁港では、午前9時半ごろから漁船が戻り始めた。船員は大きさや形などを仕分けし、傷まないよう大切にトロ箱に収めた。
「蓬莱丸」の池田実船長(60)は「初日は昨季より数が少なめだったが、今後に大漁を期待したい」と話していた。
午後からは府漁連の舞鶴市場や宮津市場で初競りがあり、入荷したカニに市場関係者から「大きくて身がしっかりしている」などの声が聞かれた。
初日の出荷量は舞鶴市場で雄1265キロ、雌2540キロと昨年より約4割少なく、1箱の最高値では雄5匹入りで19万円が付いた。
(文.写真共 京都新聞11/7より)
 

20111108114244senmaiduke_2暖かめの立冬 シャキッと冬支度 
千枚漬け仕込み最盛期

京都の冬の味覚「千枚漬け」の漬け込み作業が最盛期を迎え、立冬の8日、京都市の京漬物メーカーで作業が公開された。法被姿の職人が真っ白で丸々としたカブラを手際よく削り、たるに並べた。
千枚漬けは、立冬ごろから仕込むのが最もおいしいとされ、歳暮や正月に向けて作業は本格化する。今年のカブラは夏の天候不順で生育が心配されたが、大きさや品質は例年並みという。
伏見区の「大安」本社工房では、職人が直径約20センチのカブラを包丁カンナで2・6ミリの薄切りにし、扇状に広げ木製たるに塩漬けした。その後、北海道産昆布やみりん、酢などで本漬し、計5日間でシャキッとした歯ごたえの製品に仕上がる。来春まで約40万個を漬け込む予定。
京都地方気象台によると、この日の市内の最低気温は11・9度と平年より高め。9日以降は10度以下の平年並みになる見込み。
(文.写真共 京都新聞11/8より) 

20111108211826bodara_2はや迎春、
京で棒だら入札
立冬の8日、京都のおせち料理に使われる棒だらの入札が京都市下京区の市中央卸売市場第一市場であった。ずらりと並んだ棒だらを仲買人が落札し、場内は一足早い迎春ムードで活気づいた。
昨年より4トン少ない7トンが入荷し、大きさごとに特大、大大、大に分けて入札された。仲買人約30人が肉厚の棒だらを品定めし、値段を書き込んだ紙を箱に入れて落札者を決めた。
1キロ当たりの卸値は特大が7035~4200円、大大が6195~3990円とほぼ例年並み。大は5460~3780円とやや高めだった。
商品は12月半ばごろまで百貨店やスーパーなどに並ぶ。京都塩干魚卸協同組合は「卸値は少し高めだが、消費者には例年並みの1キロ当たり5千~1万5千円ほどで届くのではないか」としている。
棒だらはマダラを原料とする保存食で、北海道稚内産。漁獲量の減少などで棒だらの生産量は減っているが、京都の市場には国内全量の約4分の1が集まる。
(文.写真共 京都新聞11/8より)

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2011.11.08

●塩田平「訪塔記」.前山寺

えー、先月末は信州旅路の後日談。
当郷「大法寺」から別所「安楽寺」を巡った後は、周遊バスにて独鈷山の北麓へ。
そんな訳での信濃路訪塔記、「前山寺篇」で御座います。

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【写真上】前山寺三重塔。(重文)
永正11年(1514)建立、方三間三重塔婆、杮葺、塔高19.5m。
初重柱間:中央間.棧唐戸、脇間.縦板張。二三重柱間:全て縦板張。
組物:全て三手先。中備:全て間斗束(束部省略)。
軒組:全て二軒繁垂木。

所謂「未完の塔」として名高い三重塔。
二.三重部の柱間装置は横板張のみで、全く装飾が成されていない。
しかし柱上部に長押の仕口跡があり、また下部には胴貫が突出している点から、脇間に窓を配し四囲に縁.高欄を巡らす算段だった事が推察出来る。

一般的にはこれら造営過程で止められた塔形も、却って上手く変化と調和を持たせた意匠と評されている。
しかし二.三重部の無作事な柱間は、矢張り淡白で物足りなくも見える。

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【写真上】同.近景。
視点が野屋根から化粧屋根に移行した角度、軒反きは然程強くない。
此処からだと胴貫の突き出や板張だけの柱間は死角となるので気にならない。
全体的な塔形は中世三重塔らしくやや細身の塔身、軒出は各重ほぼ同寸で平面逓減も少ない。
小型で均整のとれた塔婆である。

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【写真上】軒と組物近景。
長押と頭貫を両用している等、基本的には和様の色合いが強い折衷様式。
中備の間斗束は束を置かない特殊なものとなっているが、同様の手法が近隣の上田.国分寺や佐久.新海三社神社三重塔に見られる。
これは構造的には支重用途が薄れ装飾的に配されたものとも考えられるが、他地方では全く例が無いので、単に地域的な特色であろう。
また木鼻には目と牙が刻まれ、大仏様系から象鼻への発展過程が見て取れる。

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【写真上】三重塔.遠景。
後方には独鈷山。
周囲の景観や柱間の件もあるが、やや遠目の方が塔姿は美しい。

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【写真上】帰路の折、舌喰池と塩田平を望む。
川の無い山間地と云う事もあり、近隣には多くの灌漑池が点在しています。

因みに別所周辺は「信州の鎌倉」なぞと呼ばれていますが、鎌倉よりも文化財の保存状態は宜しく、質的にも余程希少な遺構が残っています。
まぁこう云う「主客逆転」な綽名の付け方も、知名度と印象度の問題(観光集客の目的故)で致し方無いんでしょうね。

と、そんな訳での「塩田平逍遥」。
この後は上田駅に戻り「八日堂」へと向かうのでした。
続く。

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2011.11.07

●鎌倉「五山の一」にて

えー、先週木曜日「円覚寺.宝物風入」行脚の折。
お目当て「舎利殿」翫観後、折角なので「お隣の大禅刹」にも足を運んで参りました。
そんな訳での北鎌倉遊山記「建長寺」篇で御座います。

1
【写真上】三門。(重文)
安永4年(1775)建立、三間一戸.二階二重門、入母屋造(正面軒唐破風付).銅板葺。
組物は下層出組、上層二手先、中備は共に詰組。
軒組は共に二軒繁垂木。
上層は擬宝珠高欄を配し、柱間中央に棧唐戸、脇間は火灯窓。

基本的に江戸中後期の再建建造物らしく、古典禅宗様式の踏襲に加え、軒唐破風など武家色の強い装飾を施す様式。
古刹禅寺と云う事もあってか、装飾華美に走っていないのは好感が持てる。

2【写真左】同.近景。
八脚二重門と規模としては五山格巨刹に相応しいが、下層部の吹放ちが三門の全体的なプロポーションを損ねている。
同時期造営の円覚寺三門もこの構造。
地域性なのか、作事諸々の事情なのかは不明。

3
【写真上】仏殿。(重文)
寛永5年(1628)建立、正保4年(1647)移築、
桁行三間梁間三間、一重裳階付(裳階正面軒唐破風付)、寄棟造.瓦棒銅板葺。
組物は裳階部三斗組、身舎部三手先。中備は共に詰組。
軒組は裳階部二軒繁垂木、身舎部二軒扇垂木。

芝.増上寺の崇源院霊屋を下賜されたもの。
基本的には禅宗様を主とするが元来霊廟建築として造られたもので、規模も方三間と小さく、屋根も宝形に近い寄棟造となっている。
但しほぼ同時期に造営された増上寺三門も禅宗様の建造であり、移築時の改造は最小規模に留められたものと思われる。
身舎軒下に隙間無く組み込まれた三手先詰組が禅宗様を最も良く表している。

4
【写真上】同、近景と俯瞰全景。
上記以外の特徴として、仏殿南妻側から背面に至る迄、庇下に脇檀が設けられている事である。
この様に身舎と庇の一柱間を縦板で覆い、仏間として利用する例は極めて少ない。
これも本来は霊屋だったものを仏殿とした為、建面積が不足したが故であろう。

6
【写真上】法堂。(重文) 
文政8年(1825)建立、桁行三間.梁間三間、一重裳階付、入母屋造.銅板葺。
組物は裳階部三斗組、身舎部二手先。
中備は共に詰組(身舎部二手先と撥束)。
軒組は裳階部二軒繁垂木、身舎部二軒扇垂木。

組物は簡略化されているが三門と同様、古式に依拠した禅宗様で統一されている。
全体的に落ち着いた質感を持つが、反面方三間と五山格法堂としては中規模、屋根も銅板葺の為に重厚さは感じない。

7
【写真上】同、近景と俯瞰全景。
軒廻り組物は禅宗建造物にしては軽快な感じ。
妻飾の意匠や火灯窓の形状に江戸建築の特色が垣間見える。

9
【写真上】唐門。(重文)
寛永5年(1628)建立、正保4年(1647)移築、桁行一間梁間一間、向唐門.銅板葺。 

仏殿同様、芝.増上寺の霊屋門を移築したもので、方丈の勅使門となっている。
今年五月に修復作事を終え、新たに金箔と漆塗りが施された。
構造そのものは一般的な妻入唐破風の二脚門も、彫刻や彩色に典型的な徳川趣味が伺える。

11
【写真上】三門横より山内一写。(国指定史跡)
建長寺は日本に於ける禅宗専門道場の嚆矢であり、且つその伽藍構成は後全ての禅宗寺院の範とされた。
現在同寺には往時の古建築は無く、主要堂宇も三門.仏殿.法堂の三宇のみが近世の再建物であるに過ぎない。
しかしその配置は概ねにおいて保守されており、境内の保全面からも創建時の寺観を僅かにではあるが偲ぶ事が出来る。
この歴史的経緯の点に於いて、寺域そのものが貴重な遺構と云えるものである。

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2011.11.05

●材木座海岸にて

えー、昨日は北鎌倉「宝物風入」行脚の折。
五山二刹参詣の後は鎌倉街道を南進、鶴岡八幡宮を経て材木座迄足を伸ばす事と致しました。

046
【写真上】材木座海岸より由比ヶ浜.江ノ島方面を望む。
盆地育ちの「ミヤコ人」にとって「海」は何時まで経っても珍しいもの。
折角の機会と計り小一時間程、水平線を眺めつつ寛いで参りました。
そんな訳で潮風を受けなからの紫煙一服も、たまには良い物でした、とさ。

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2011.11.04

●円覚寺「宝物風入」

本日は兼ねてからの予定通り、昼前より湘南新宿ラインにて「キャバクラ」へ。
否々、「カマクラ」は円覚寺へ足を運んで参りました。
何故態々この日なのかと申しますと、勿論お目当ては「宝物風入」です。

毎年11月3日前後の三日間は、円覚寺収蔵の文化財「虫干し」の日。
その作業を兼ねて寺宝を展示する催事を「宝物風入」と申します。
尤も私め「古文書」の類には全く興味が無く、参詣の目的は併せて行われる「舎利殿」特別公開」で御座いますが。

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【写真上】円覚寺.舎利殿。(国宝)
室町初期(15C前半)建立。桁行三間.梁間三間、一重裳階付.入母屋造、杮葺。
組物は裳階部三斗組、身舎部三手先。中備は共に詰組。
軒組は裳階部二軒繁垂木、身舎部二軒扇垂木。
柱間は縦板張、中央桟唐戸、脇間火灯口、庇脇間火灯窓。
頭.内法.地貫を通し、頭貫下には弓欄間を配す。

永禄6年(1563)の罹災で一山焼亡した後、尼五山大平寺から移築したもの。
その為、方三間と小規模であるが、中世純禅様仏殿として貴重な遺構。
尤も移築建造物と云う事もあり、大禅刹の本来あるべき場所(主要堂宇の中心線上)に位置しておらず、寧ろ開山塔頭.正続院の昭堂としての性格の方が色濃い。

類例としては幾つかの建造物があるが、規模に加え年代.地域性からも武蔵野「正福寺.地蔵堂」との類似性が顕著である。

001
【写真上】同.近景。
「軸部」「組物「軒廻り」「柱間装置」等々…。
細部に至る迄、典型的な純禅様で造営されている事は改めて述べる迄も無い。

以下一応念の為。
特別公開中と云えども舎利殿は間近からの撮影は禁止されており、従い上二枚は築地塀外よりの望遠撮影(しかもチョット写真加工)になります。
組物や軒組、屋根勾配や軒反の資料は撮れず終いでした。
尤もこれに就いては建物のの宗教性格上、仕方無いと思います。

然乍らこの舎利殿、前述した様に塔頭.正続院内に位置しており、その為通時は一般には門を閉ざし非公開。
中世純禅様仏殿の文化財(しかも国宝指定)を、年六日(宝物風入期間+年始三が日)しか公開しないと云うのは如何なモノかと…。

005
【写真上】三門。
天明5年(1785)建立、三間一戸.二階二重門、入母屋造.、銅板葺。
組物は下層出組、上層尾垂木入り三手先、、中備は共に詰組。
軒組は上層二軒繁垂木、下層二軒扇垂木。
上層は擬宝珠高欄を配し、柱間中央に棧唐戸、脇間は木瓜型眼像窓。 
禅様本位の建築も、高欄.窓や長押打等に和様との折衷様式が見られる。

山内主要伽藍で唯一残る古建築。
尤も近世末の造営にて、特に観るべき意匠は無い。
特に各階高比の悪さに加え下層を吹放ちとしている事により、建物のボリュームが過度に上層に偏り、歪な感じとなっている。

007【写真左】同.近景。
柱軸部の構成や中備の詰組、上層の二軒扇垂木、下層も吹放ちとは云え頭貫.内法貫越貫らしきものを通す等、禅宗様式が伺える。
但し柱間意匠は可也簡略化、様式の混同がされており、禅宗建造物特有の理知的な美しさは感じられない。

と、こんな所処にて。
折角なので、この後は「鎌倉五山の一」へ向かう事と致しました。
続く。

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2011.11.03

●塩田平「訪塔記」.安楽寺

えー、先日信州旅路の後日談。
早朝より松本から上田へ向かい、先ず訪れたのは青木村「大法寺」。
その後はバスと電車を乗り継ぎ別所方面へ移動致しました。
そんな訳での信濃路訪塔記、「安楽寺篇」で御座います。

1
【写真上】安楽寺八角三重塔。(国宝)
鎌倉末期(1290年代)建立、八角三重塔婆.初重裳階付、杮葺、塔高18.69m。
初重柱間:正面.桟唐戸、脇面.縦板張。 二三重柱間:全て連子窓。
組物:裳階部.刳形木鼻付出組.身舎各重.三手先。
中備:裳階部.平三斗詰組.身舎各重.三手先詰組。
軒組:各重全て二軒扇垂木。

古建築にて唯一現存する八角塔。
建立年代的に南宋末から元初頃の中国五山様式に範を採ったと思われる。
嘗て存在したとされる多角層塔は上代に大和西大寺東塔(八角八重.但し造営中に四角五重塔に変更されたとされる)、平安期に法勝寺(八角九重)等が記録に残るだけで、非常に稀有な遺構。
亦、裳階付の多重塔も他には三基(法隆寺五重塔、薬師寺東塔、海住山寺五重塔)が残るのみ、加えて純禅様の多重塔としても類例は殆ど無く、これらの点でも貴重な文化財建造物と云える。

2
【写真上】同.背後の山腹より眺む。
黄金色に輝く杮屋根が美しい。
実は同塔、今年七月から三ヶ月間行われていた屋根の葺き替えが終わった計り。
作事を終えたのが10月20日ですから、葺きたて三日目の「ピッカピカ杮」。
今回の信濃訪塔行脚、これが狙いでやって来た様なものです。

3
【写真上】同.側面より。
土間建にて縁.高欄を設けず、柱元には礎盤及び粽をつける正規の禅宗様。
屋根軒の緩やかな稜線、隅角部の反り具合が見事。

8
【写真上】組物近景。
隙間無く配された三手先の詰組と、放射線状に並ぶ二軒の扇垂木。
整然且つ幾何学的な造形美は正に禅宗様のそれ。

7
【写真上】組物近景。
裳階部の出組.平三斗詰組、弓形連子の様子が良く見てとれる。
貫は地貫.内法貫.頭貫の三本を通し、頭貫と台輪には刳形木鼻を付ける。

屋根八角の頂(端点)は全て縦同一戦上に揃っているが、この様に下方から見上げると両眼視差(視覚のズレ)により、屋根頂点が互い違いに交錯している様に見える。

089
【写真上】各層眺望と三重塔図面。
各層の平面逓減比は下層より「1:0.60:0.52:0.43(実測図比)」。
一層部が極端に大きく、他の各層(裳階部含)の逓減は可也小さい。
亦、塔高逓減比は下層より「1:0.33:0.55:0.50(目視採測比)」。
一層目が突出して高く、極端に低い裳階部を挟む形で二三層がほぼ同じ高さ。

これら造形意匠の特色が、八角の屋根形状と相俟って「不規則なリズム感」とも云うべき非律動的な諧調を生み出し、鑑賞の妙味を生んでいる。
更に視点の「縦位置」を変えて見ると、その表情は更に無限に変化していく。

10【写真左】本堂横より仰望する三重塔。
同塔は大法寺塔と同じく、主要堂宇より離れた小高い山腹上に建っている。
寺社参詣の折、建築物の目前迄近づける様になったのは近代以降の事であり、基本的には「遠くから拝する」ものだった。
従い元来の参拝(鑑賞)視点も、この位置からが正しいものであろう。

と、そんな訳での「塩田平逍遥」、この後は独鈷山麓の「未完の塔」へ向かうのでした。
続く。

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2011.11.02

●霜月の「をどり」

ミヤコ唯一の「秋をどり」にて、秋季花街演舞会の末尾を飾るは祇園東。
昨日より「祇園をどり」が開幕致しました。
五花街の中でも比較的「江戸歌舞伎流」の影響が色濃い流派なものですから、日舞に縁遠い方でも楽しめると思います。

加えて十一月の異称は、何たって「神楽月」。
そんな意味では「をどり鑑賞」に打ってつけの時節かも。

201111011847276ad3kcp6_2今年は「玩草品様々」 
祇園をどり開幕
京都五花街の秋の公演で最後を飾る祇園東歌舞会の「祇園をどり」が1日、京都市東山区の祇園会館で開幕した。
今年の演目は「玩草品様々(もてあそびぐさしなのさまざま)」。置屋にある饅頭(まんじゅう)食いや恵比寿(えびす)などの人形が、芸舞妓の留守の間に動きだし、騒動を起こす筋書き。

人形に扮(ふん)した芸舞妓たちは、置屋の台所でこっそり饅頭を食べたり、庭のつくばいに飛び込んだ仲間を助け出す場面を楽しげに表現し、優美な踊りを交えて観客を魅了した。最後は紅葉を背景に恒例の「祇園東小唄」で華やかに締めくくった。
10日まで。午後1時半と4時の2回公演。3500円(茶券付き4千円)。同歌舞会TEL075(561)0224。
(文.写真共 京都新聞11/1より)

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2011.11.01

●塩田平「訪塔記」.大法寺

えー、先日信州旅路の後日談。
22日に諏訪湖マラソン出場の後、松本でもう一日延泊。
翌朝より上小方面を遊山する事と致しました。
そんな訳での信濃遍路「訪塔記」、その壱で御座います。

A

E
【写真上】塩田平.田園風景二写。
松本より篠ノ井経由で上田着、そこから千曲バスに揺られて計二時間半。
赴いた地は山間の長閑な里村、青木村.当郷で御座います
果たして何故こんな遠地に訪れたのかと申しますと…。

061
【写真上】大法寺三重塔.全景(国宝)。
正慶2年(1333)建立.三間三重塔婆.檜皮葺.塔高18.56m。
初重柱間:中央間.板唐戸、脇間.連子窓。
初重中備:中央間.刳抜蟇股、脇間.間斗束。二三重中備:中央間に間斗束のみ。
組物:初重.二手先.二三重.三手先。

鎌倉末期の総和様塔婆建築。
この塔の大きな特徴として、組物初重に二手先、ニ重三重に三手先を用いる点が挙げられる。
多重塔の組物は各重三手先が通常であるが、初重平面を大きくとり塔立に安定感を持たせる為の手法であり類例が少ない。
同様の技法を用いたものとして「奈良興福寺」「石川那谷寺」三重塔(両塔共初重は出組)がある。

065
【写真上】同.後正面より。
こうして見ると屋根の反り形状と各重の逓減率が良く解る。
屋根中央部は平反に近い真反も軒隅角部では一転、羽根状の反りを見せる。
伸びやか且つ軽快かな曲線美は、桧皮葺ならではの意匠。
各層の平面逓減は中世以前の塔並みの大きさを持ち(初重1に対し最上層0.43)、小塔ながらも規律の取れた上品な美しさを醸しだしている。

063_2【写真上】同.斜横より。
「長押打」「跳高欄」「板唐戸」等、和様の手法が良く見てとれる。

亦、各重の平面逓減と軒出のバランスも秀逸。
一層部の二手先に由る浅い軒出(大きい身舎平面)が塔姿に安定感と落ち着きを、二層三層部の深い軒出(小さい身舎平面)が塔姿に軽快感と瀟洒さを生んでいる。

067
【写真上】組物近景。
整然と組された二軒繁垂木、伸び上がる様な軒隅が美しい。 

070
【写真上】観音堂。
江戸期建立(詳細期不明)、桁行三間.梁間三間、一重.寄棟造、檜皮葺。
厨子.須弥檀(十一面観音像)を祀る簡素な小堂。
規模形状と地域性から、元来は茅葺であったと思われる。

073【写真左】観音堂厨子及び須弥檀。
(共に重文)
厨子:室町前期造営、方一間.入母屋造、本瓦形板葺。
須弥壇:室町前期造営、唐様須弥壇、高欄付。

「入母屋の形状」「扇垂木」「幾何学的な三手先詰組」「桟唐戸」等、典型的な純禅様の意匠。
厨子としては大型の部類である。

068
【写真上】仏堂(観音堂)横より眺む三重塔。
「見返りの塔」の異名通り、振り返って仰ぎ見てみました。

嘗て寺院の中心的建造物として建てられていた塔姿も、上代から時代が下るに従ってその役割は「教義の中心」から「象徴的」なものとなっていく。
特に山岳寺院に関してその傾向は顕著で、平安期以降の多重塔は主要伽藍から離れた小高い場所に建てられる事が殆どである。
従って中世以降多くの塔姿は視点的に「見上げる」ものであり、その意味ではこの視点からの拝観(鑑賞)が正しいのかも。

079
【写真上】境内横.野焼き風情。
寺域周辺を囲む田畑では、日々日常の山鄙風景が営まれています。
国宝の直ぐ隣で「火の元ほったらかし」と云うのも、長閑なものでして。

H  
【写真上】帰路の折、「爽秋」一写。
秋晴れの青空、風に靡く薄穂、収穫を終えた刈小田…、信濃路の里村はもう深秋気配で御座います。
尤も雪国の秋は足早に、将気付けば「初冬」が近づいているものでしょう。

そんな訳での「塩田平逍遥」、この後は別所温泉の八角塔に向かうのでした。
続く。

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