●塩田平「訪塔記」.前山寺
えー、先月末は信州旅路の後日談。
当郷「大法寺」から別所「安楽寺」を巡った後は、周遊バスにて独鈷山の北麓へ。
そんな訳での信濃路訪塔記、「前山寺篇」で御座います。
【写真上】前山寺三重塔。(重文)
永正11年(1514)建立、方三間三重塔婆、杮葺、塔高19.5m。
初重柱間:中央間.棧唐戸、脇間.縦板張。二三重柱間:全て縦板張。
組物:全て三手先。中備:全て間斗束(束部省略)。
軒組:全て二軒繁垂木。
所謂「未完の塔」として名高い三重塔。
二.三重部の柱間装置は横板張のみで、全く装飾が成されていない。
しかし柱上部に長押の仕口跡があり、また下部には胴貫が突出している点から、脇間に窓を配し四囲に縁.高欄を巡らす算段だった事が推察出来る。
一般的にはこれら造営過程で止められた塔形も、却って上手く変化と調和を持たせた意匠と評されている。
しかし二.三重部の無作事な柱間は、矢張り淡白で物足りなくも見える。
【写真上】同.近景。
視点が野屋根から化粧屋根に移行した角度、軒反きは然程強くない。
此処からだと胴貫の突き出や板張だけの柱間は死角となるので気にならない。
全体的な塔形は中世三重塔らしくやや細身の塔身、軒出は各重ほぼ同寸で平面逓減も少ない。
小型で均整のとれた塔婆である。
【写真上】軒と組物近景。
長押と頭貫を両用している等、基本的には和様の色合いが強い折衷様式。
中備の間斗束は束を置かない特殊なものとなっているが、同様の手法が近隣の上田.国分寺や佐久.新海三社神社三重塔に見られる。
これは構造的には支重用途が薄れ装飾的に配されたものとも考えられるが、他地方では全く例が無いので、単に地域的な特色であろう。
また木鼻には目と牙が刻まれ、大仏様系から象鼻への発展過程が見て取れる。
【写真上】三重塔.遠景。
後方には独鈷山。
周囲の景観や柱間の件もあるが、やや遠目の方が塔姿は美しい。
【写真上】帰路の折、舌喰池と塩田平を望む。
川の無い山間地と云う事もあり、近隣には多くの灌漑池が点在しています。
因みに別所周辺は「信州の鎌倉」なぞと呼ばれていますが、鎌倉よりも文化財の保存状態は宜しく、質的にも余程希少な遺構が残っています。
まぁこう云う「主客逆転」な綽名の付け方も、知名度と印象度の問題(観光集客の目的故)で致し方無いんでしょうね。
と、そんな訳での「塩田平逍遥」。
この後は上田駅に戻り「八日堂」へと向かうのでした。
続く。