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2011.11.07

●鎌倉「五山の一」にて

えー、先週木曜日「円覚寺.宝物風入」行脚の折。
お目当て「舎利殿」翫観後、折角なので「お隣の大禅刹」にも足を運んで参りました。
そんな訳での北鎌倉遊山記「建長寺」篇で御座います。

1
【写真上】三門。(重文)
安永4年(1775)建立、三間一戸.二階二重門、入母屋造(正面軒唐破風付).銅板葺。
組物は下層出組、上層二手先、中備は共に詰組。
軒組は共に二軒繁垂木。
上層は擬宝珠高欄を配し、柱間中央に棧唐戸、脇間は火灯窓。

基本的に江戸中後期の再建建造物らしく、古典禅宗様式の踏襲に加え、軒唐破風など武家色の強い装飾を施す様式。
古刹禅寺と云う事もあってか、装飾華美に走っていないのは好感が持てる。

2【写真左】同.近景。
八脚二重門と規模としては五山格巨刹に相応しいが、下層部の吹放ちが三門の全体的なプロポーションを損ねている。
同時期造営の円覚寺三門もこの構造。
地域性なのか、作事諸々の事情なのかは不明。

3
【写真上】仏殿。(重文)
寛永5年(1628)建立、正保4年(1647)移築、
桁行三間梁間三間、一重裳階付(裳階正面軒唐破風付)、寄棟造.瓦棒銅板葺。
組物は裳階部三斗組、身舎部三手先。中備は共に詰組。
軒組は裳階部二軒繁垂木、身舎部二軒扇垂木。

芝.増上寺の崇源院霊屋を下賜されたもの。
基本的には禅宗様を主とするが元来霊廟建築として造られたもので、規模も方三間と小さく、屋根も宝形に近い寄棟造となっている。
但しほぼ同時期に造営された増上寺三門も禅宗様の建造であり、移築時の改造は最小規模に留められたものと思われる。
身舎軒下に隙間無く組み込まれた三手先詰組が禅宗様を最も良く表している。

4
【写真上】同、近景と俯瞰全景。
上記以外の特徴として、仏殿南妻側から背面に至る迄、庇下に脇檀が設けられている事である。
この様に身舎と庇の一柱間を縦板で覆い、仏間として利用する例は極めて少ない。
これも本来は霊屋だったものを仏殿とした為、建面積が不足したが故であろう。

6
【写真上】法堂。(重文) 
文政8年(1825)建立、桁行三間.梁間三間、一重裳階付、入母屋造.銅板葺。
組物は裳階部三斗組、身舎部二手先。
中備は共に詰組(身舎部二手先と撥束)。
軒組は裳階部二軒繁垂木、身舎部二軒扇垂木。

組物は簡略化されているが三門と同様、古式に依拠した禅宗様で統一されている。
全体的に落ち着いた質感を持つが、反面方三間と五山格法堂としては中規模、屋根も銅板葺の為に重厚さは感じない。

7
【写真上】同、近景と俯瞰全景。
軒廻り組物は禅宗建造物にしては軽快な感じ。
妻飾の意匠や火灯窓の形状に江戸建築の特色が垣間見える。

9
【写真上】唐門。(重文)
寛永5年(1628)建立、正保4年(1647)移築、桁行一間梁間一間、向唐門.銅板葺。 

仏殿同様、芝.増上寺の霊屋門を移築したもので、方丈の勅使門となっている。
今年五月に修復作事を終え、新たに金箔と漆塗りが施された。
構造そのものは一般的な妻入唐破風の二脚門も、彫刻や彩色に典型的な徳川趣味が伺える。

11
【写真上】三門横より山内一写。(国指定史跡)
建長寺は日本に於ける禅宗専門道場の嚆矢であり、且つその伽藍構成は後全ての禅宗寺院の範とされた。
現在同寺には往時の古建築は無く、主要堂宇も三門.仏殿.法堂の三宇のみが近世の再建物であるに過ぎない。
しかしその配置は概ねにおいて保守されており、境内の保全面からも創建時の寺観を僅かにではあるが偲ぶ事が出来る。
この歴史的経緯の点に於いて、寺域そのものが貴重な遺構と云えるものである。

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