●下諏訪巡礼「秋の巻」
先月末「諏訪湖マラソン」の後日談。
完走後は湯治の後、駅近くの鰻屋で「オツカレ麦酒」と、毎回恒例のルーティン。
レースの疲れを解した所処で、下諏訪門前をぶらり遊歩する事と致しました。
そんな訳での下諏訪散策.前篇「下社.秋の巻」で御座います。【写真左】下諏訪社.秋宮。
下社祭神のうち一柱、八坂刀売神の御霊代は二月~七月間は春宮に、八月~一月間は此処秋宮にと年二回遷座をなされます。
そんな訳で私めも毎年秋宮からお参りするのでした。
【写真上】秋宮幣拝殿。(重文)
幣拝殿:安永9年(1780)建立、
桁行一間.梁間二間、楼造.切妻造(正面軒唐破風付)、銅板葺、左右袖塀附属。
左右片拝殿:安永9年(1780)建立、
桁行五間.梁間二間、一重.切妻造、銅板葺。
幣殿と拝殿を一棟の楼造とし、左右に廻廊形式の片拝殿を附した構造。
江戸期神社建築の典型的な複合社殿様式であるが、類例として良く有りがちな煩わしい迄の猥雑感は本殿が無い分多少薄らいでいる。
亦、頭貫.木鼻や欄間に施された彫刻群も同期の特徴を良く表している。
【写真上】片拝殿を側面より望む。(重文)
幣拝殿に較べ装飾的要素の無い、古式に則った造り。
廻廊用途の強い拝殿と云う性格から、大人しい建造になったと思われる。
尚、片拝殿の屋根形状が少々異なるのみで、社殿配置や様式は秋宮と相似する。
【写真上】幣拝殿近景。
工匠は立川流初代.立川和四郎富棟、「白岩観音堂」と並ぶ初期の代表作。
他にも「泉寺輪蔵」「善光寺本尊.三卿厨子」「同大勧進表門」「静岡浅間神社」等、諏訪を中心とした信濃地方で数多の建築彫刻を残している。
因みに境内もう一つの国指定重文、神楽殿は現在修復工事中。
今回の作事で銅板葺の屋根が往時の杮葺に復元される。
【写真上】一之御柱。
下社両社は御神木を御神体として拝す。
本来諏訪大社は守屋山や諏訪湖を神奈備とした原始自然信仰を嚆矢とする古史を持つ。
現在祭神とされている建御名方命(他二柱)は、大和朝廷による地方支配施策の一環として後附されたものであり、従い同社は本殿(神殿)を有さない。
亦その名残は式年御柱祭や御神渡を始めとした、「山」「湖」「石」等を神代(信仰の対象)とした古来からの特殊神事にも表れている。
尤もこの辺は民俗学の分野、私めにとっては不詳な話なので触りだけにしておきます。
そんな訳でこの後は春宮に向かうのでした。
続く。