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2011.11.20

●「あをによし」薬師寺.前篇

えー、もう四ヶ月近以上前の琴ですが、今夏は七月帰京の後日談。
小雨降り濡つ梅雨空の中、「青丹映える」地へと足を伸ばして参りました。
そんな訳での南都七大寺巡礼「薬師寺.古建築篇」で御座います。

当日、近鉄西ノ京駅に着いたのは9時半頃。
薬師寺「北唐門」迄は徒歩3分程なのですが大きく迂回、矢張り正門の「南門」から入る事と致しました。

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【写真上】休ケ岡八幡神社社殿。(重文)
本殿/慶長8年(1603)建立、三間社流造、檜皮葺。
東西脇殿/慶長8年(1603)建立、桁行三間.梁間一間、一重.切妻造、檜皮葺。
休ケ岡八幡宮は寺領南面に隣接する鎮守神、薬師寺の創建に遅れる事約100年、宇佐八幡宮より勧請されたもの。
現社殿は慶長期の造営、本殿は一般的な三間社流造も両脇に切妻脇殿を付設する珍しい形式。
但し再建時の加補ではなく古式に則ったもので、少なくとも平安期中にはこの社殿構造となっていた様である。

006【写真左】同.側面一写。
桃山様式の意匠が色濃く、庇柱下の組物や蟇股等にその特徴が見てとれる。
亦、社殿は二段に亘る乱積基壇上に建てられているが、これは後世補修の際に設けられたものと思われる。

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【写真上】南門より東西塔を眺む。(重文)
永正9年(1512)建立、四脚門.切妻造、本瓦葺。
簡素な四脚門、本来は南大門の造営されいてた場所に当たる。
往時は五間二間の二重門であったが数次の罹災で消失、現在の南門は旧西院の西門を移築してきたもの。
四脚門の控柱は通例角柱であるが、円柱とされているのが特徴。

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【写真上】東塔。(国宝)
天平2年(730)建立、三間三重塔婆、毎重裳階付.本瓦葺、塔高33.6m。
各重柱間:中央間.板唐戸、脇間.白塗壁。 
組物:身舎.三手先 、裳階部.平三斗 
中備:初二重部.間斗束、三重部.無し。
軒組:二軒繁垂木(地垂木.丸垂木、飛檐垂木.角垂木)。

薬師寺創建時より残る唯一の建造物にて、白鳳様式を今日に伝える希少な遺構。
日本最古の三重塔、塔婆全体でも法隆寺五重塔に次ぐ古いもの。
亦、塔高も三重塔として国内最大である。


六層から成る大小屋根と塔舎平面比の奏でる諧調意匠は正に秀逸。
具体的には本屋根の軒深且つ反りのある広がりに対して、軽快簡潔に差し上げられた裳階屋根。
更には各重平面逓減の大きさに加えて、裳階部縁下の締りの妙味。
これら要素の相乗効果により、調律に譬えられる無類の構造美を生み出している。

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【写真左】整然と並ぶ三斗組。白土壁のコントラストも見事。
組物は三手先最古の遺例、現存天平建造物の中で特殊な位置を占める。
三手先は軒支輪や横繋材が入らず、前方に突出するだけの単純な構造。
白鳳期組物(雲斗雲肘木)からのドラスティックな変遷が伺える。
時代様式的には「法隆寺五重塔.金堂」「法起寺三重塔」と「唐招提寺.金堂」との中間に属し、同様式のやや進んだものとしては「海龍王寺五重小塔」「当麻寺.東塔」が挙げられる。
裳階部の中備は平三斗、間斗束の入る初期の例。
何れも天平様式より一時代遡る古式な形式である。
【写真右】相輪全景。
相輪高は全高の三割、飛天の透かし彫りを施した水煙を上げる。
露盤上の受花が蓮形では無く平頭(四角)形状のものは他に類例が無く、これも天平以前の古い様式と思われる。

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【写真上】中門より眺む東塔。
矢張り少し引いて眺めた方が、塔姿の全体像が良く解る。
前述した様に構造としては「白鳳様式」と「天平様式」の中間に属するが、やや前者寄りの傾向が強い。
建立時期は天平期に当たるが藤原京からの寺移転の際、古式に則って再建された為と思われる。
他、上代建造物として外面的な特徴は「縁を設けずに基壇上に造営」「三層目は方二間」「骨格の太い直線的な塔婆」「初重から三重の逓減率の大きさ(0.42は現存塔婆遺構中最大)」が挙げられる。
尚、各重裳階部の脇間を中央間よりを広く取っている手法は異例。

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【写真上】西回廊より金堂と塔婆を眺む。
西塔と金堂は昭和の建造物、詳細は次項にて。

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【写真上】東院堂。(国宝)
弘安8年(1285)建立 桁行七間.梁間四間、一重.入母屋造、本瓦葺。
正面柱間:中央五間.板唐戸、脇間.連子窓。 
組物:出組、中備:間斗束、軒組:二軒繁垂木。

鎌倉時代、南都仏寺復興末期の再建。
頭貫木鼻や藁座等、細部には大仏様が見られるが総じて和様の建築様式。
これは堂宇の再建が、東大寺を初めとする鎌倉初期の南都仏寺復興期(大仏様主流期)より若干間が空いているのと、当時の薬師寺が興福寺支配下だった事に起因する。
当初は南面して建てられていたが、享保18年(1733)に現行西向に変更された。

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【写真上】同.近景と内部。
天井は格子板張、内部は床張。
古制を踏襲しつつも平安期の住宅様式的影響を受けており、鎌倉後期の和様仏堂の好例。
尚、同時期類例の建造物としては本山寺本堂.霊山寺本堂.元興寺極楽坊などが、時代は下るが外観上酷似しているものとして醍醐寺金堂が残っている。

と、こんな所処にて。
この後は「薬師寺.現代建築篇」へ続く。

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