●塩田平「訪塔記」.信濃国分寺
えー、先月末は信州旅路の後日談。
「大法寺」「安楽寺」「前山寺」を巡った後は、上田市街より一駅東へ。
そんな訳での信濃路訪塔記.最終回、「信濃国分寺篇」で御座います。
【写真上】信濃国分寺.三重塔。(重文)
室町中期建立、方三間三重塔婆、銅板葺 塔高20.1m
初重柱間:中央間.板唐戸、脇間.連子窓。
組物:各重三手先、中備.各重間斗束(束省略)。
軒組.各重二軒繁垂木。
外観は肘木形状等に一部折衷様式が見えるも、概ね和様で統一されている。
それに反して塔内部は純禅様で造営されており、これは構造強度上の利点から室町期以降の塔建造に良く見られる傾向である。
亦、塔姿が大法寺三重塔の影響を多分に受けており、内部構成は同じく同地域の安楽寺三重塔に倣ったものかも知れない。
【写真上】同.斜側面より。
初重には高欄のない切目縁を廻せ、二三重は平三斗を支えに腰組高欄を設ける。
建造様式が統一されている事もあり、和様塔らしい柔和な落ち着きを見せる。
尤も範としたとされる大法寺三重塔に較べると、平面や塔身の微妙な逓減比や軒隅の繊細な反り具合等の技巧は及ばす、やや間懈い印象。
【図面上】国分寺.大法寺.前山寺三重塔、各図面比較。
国分寺.大法寺の両塔が酷似している事が良く解る。
初重高の違いは単に組物手法に起因するものだが、平面や塔身の逓減比や軒出の差異は工匠の技術に加え、造営時期(鎌倉末期/室町中期)による様式の変化も影響している。
【写真上】信濃国分寺.本堂。(県宝)
万延元年(1860)建立 、桁行六間.梁間四間、二重一階
入母屋造..妻入(正面向拝二間.軒唐破風付)、桟瓦葺。
【写真左】同.正面より。
14.5mの大間口を妻入とし、入母屋破風と裳階の軒唐破風を正面に向ける。
両側面も奥行を多く取り、向拝こそ略されているが間口を設ける。
規模は一回り小さいも長野や甲斐善光寺と同様の意匠で、信濃周辺の密教系寺院の地域色が表れた大規模本堂建造物と云える。
但し長野善光寺が比較的伝統復古を意識して造営されたのに対し、此方は様式の過度混合化が伺える。
これは寺格のみならず、江戸末期と云う建造時期によるものと思われる。
【写真上】南側池泉より、一服しながら一写。
境内地蔵堂横にある喫煙所から眺む三重塔。
この周辺は他の観光所処に較べると些か地味なエリア、終始閑静なもの。
【写真左】旧国分寺史跡、金堂跡より塔跡を眺む。
【写真右】旧国分寺と現国分寺寺域図。
国道18号を隔てた場所にある旧国分寺跡。
創建時の寺域.礎石がほぼその儘残り、往時の伽藍群を想起出来る貴重な史跡。
行数都合上で詳細は割愛致しますが、国道と鉄道線路が寺跡を斜断しているのが本当に惜しい。
そんな訳での「塩田平訪塔記」四部作も漸く終篇。
この後は上田駅で酒席を済ませ、トーキョーへの帰路に就いたのでした。
おはり。