●塩田平「訪塔記」.大法寺
えー、先日信州旅路の後日談。
22日に諏訪湖マラソン出場の後、松本でもう一日延泊。
翌朝より上小方面を遊山する事と致しました。
そんな訳での信濃遍路「訪塔記」、その壱で御座います。
【写真上】塩田平.田園風景二写。
松本より篠ノ井経由で上田着、そこから千曲バスに揺られて計二時間半。
赴いた地は山間の長閑な里村、青木村.当郷で御座います
果たして何故こんな遠地に訪れたのかと申しますと…。
【写真上】大法寺三重塔.全景(国宝)。
正慶2年(1333)建立.三間三重塔婆.檜皮葺.塔高18.56m。
初重柱間:中央間.板唐戸、脇間.連子窓。
初重中備:中央間.刳抜蟇股、脇間.間斗束。二三重中備:中央間に間斗束のみ。
組物:初重.二手先.二三重.三手先。
鎌倉末期の総和様塔婆建築。
この塔の大きな特徴として、組物初重に二手先、ニ重三重に三手先を用いる点が挙げられる。
多重塔の組物は各重三手先が通常であるが、初重平面を大きくとり塔立に安定感を持たせる為の手法であり類例が少ない。
同様の技法を用いたものとして「奈良興福寺」「石川那谷寺」三重塔(両塔共初重は出組)がある。
【写真上】同.後正面より。
こうして見ると屋根の反り形状と各重の逓減率が良く解る。
屋根中央部は平反に近い真反も軒隅角部では一転、羽根状の反りを見せる。
伸びやか且つ軽快かな曲線美は、桧皮葺ならではの意匠。
各層の平面逓減は中世以前の塔並みの大きさを持ち(初重1に対し最上層0.43)、小塔ながらも規律の取れた上品な美しさを醸しだしている。
【写真上】同.斜横より。
「長押打」「跳高欄」「板唐戸」等、和様の手法が良く見てとれる。
亦、各重の平面逓減と軒出のバランスも秀逸。
一層部の二手先に由る浅い軒出(大きい身舎平面)が塔姿に安定感と落ち着きを、二層三層部の深い軒出(小さい身舎平面)が塔姿に軽快感と瀟洒さを生んでいる。
【写真上】組物近景。
整然と組された二軒繁垂木、伸び上がる様な軒隅が美しい。
【写真上】観音堂。
江戸期建立(詳細期不明)、桁行三間.梁間三間、一重.寄棟造、檜皮葺。
厨子.須弥檀(十一面観音像)を祀る簡素な小堂。
規模形状と地域性から、元来は茅葺であったと思われる。
【写真左】観音堂厨子及び須弥檀。
(共に重文)
厨子:室町前期造営、方一間.入母屋造、本瓦形板葺。
須弥壇:室町前期造営、唐様須弥壇、高欄付。
「入母屋の形状」「扇垂木」「幾何学的な三手先詰組」「桟唐戸」等、典型的な純禅様の意匠。
厨子としては大型の部類である。
【写真上】仏堂(観音堂)横より眺む三重塔。
「見返りの塔」の異名通り、振り返って仰ぎ見てみました。
嘗て寺院の中心的建造物として建てられていた塔姿も、上代から時代が下るに従ってその役割は「教義の中心」から「象徴的」なものとなっていく。
特に山岳寺院に関してその傾向は顕著で、平安期以降の多重塔は主要伽藍から離れた小高い場所に建てられる事が殆どである。
従って中世以降多くの塔姿は視点的に「見上げる」ものであり、その意味ではこの視点からの拝観(鑑賞)が正しいのかも。
【写真上】境内横.野焼き風情。
寺域周辺を囲む田畑では、日々日常の山鄙風景が営まれています。
国宝の直ぐ隣で「火の元ほったらかし」と云うのも、長閑なものでして。
【写真上】帰路の折、「爽秋」一写。
秋晴れの青空、風に靡く薄穂、収穫を終えた刈小田…、信濃路の里村はもう深秋気配で御座います。
尤も雪国の秋は足早に、将気付けば「初冬」が近づいているものでしょう。
そんな訳での「塩田平逍遥」、この後は別所温泉の八角塔に向かうのでした。
続く。