●越後湯沢「ゆうゆう散歩」
えー、先月末は「越後湯沢秋桜ハーフマラソン」遠征の後日談。
大会翌日は早朝より「飯士山トレック」、下山を終えたのが12時過ぎ。
後は温泉でひとっ風呂浴びて帰るだけなのですが、16時の「Maxとき」には未だ時間が残っています。
そこでモノは序で、もう一か所「気に掛る場所」へ立ち寄る事と致しました。
【写真上】9/29「越後湯沢秋桜ハーフ」、完走後のゴール前写真。
そう、「気になった場所」と云うのは奥に見えるスキー場。
尤もこの件は昨日この時点で思い付いたもの、ルートも何も調べておらず「テケトー」該当方角に向かうしかありません。
と云う訳で岩原を発った後、一路大源太山方面にチャリを扱ぎ出すのでした。
【写真上】奥添地橋にて。
暫くは前日「越後湯沢秋桜ハーフ」の序盤コースを進みます。
うーん、ちゃんと近づいてるのかどーか、解りません…。
【写真上】同.奥添地橋にて、岩原スキー場と飯士山を振り返る。
一時間程前、あそこの頂上にいました。
【写真上】県道457号から谷後.土樽方面への分岐路。
マラソンコースとは此処でお別れ、谷後橋を左折。
方角的には多分合ってると思います…。
【写真上】谷後集落の田園風景。
橋を渡った後は岩の沢の小峠を越え、山村集落へ。
民家脇の小道を縫って進むと、何とか目的地に到着出来ました。
【写真上】そんな訳で目的地到着。
「加山キャプテンコーストスキー場!!!」
…否、正確には「旧.加山キャプテンコーストスキー場」。
2009/10シーズンを最後に閉鎖された、加山雄三氏経営のスキー場「跡地」です。
(正式に閉鎖決定されたのは2011年7月も、実質休業していたのは上記年から)
1990/91にオープンし実働19年、クローズからは既に4年が経とうとしています。
尤も私めは一度も滑りに来た事が無く、全てWikiさんの受け売りですけどね。
【写真上】ゲレンデ前景一写。
当然の如くゲレンデは荒れるに任せ、宛ら「薄畑」の様相を呈しています。
因みに正面上部が第3ゲレンデ、上級者コースらしいです。
【写真上】ゲレンデ中央のリフト跡、手前が第3クワッド、奥が第1ペアリフト。
ビニールシートに覆われ放置された搬器。
蒼色を基調とした索道と云うのも、スキー場では珍しいものでして。
【写真上】ゲレンデ山麓左側の第一クワッド跡。
此処からゲレンデを登る事に致しました、が…「けもの道」すらありません。
取敢えず薄の密生具合が少ない所処から取り付き、後はヒタスラ「掻き分け」「踏み分け」進むのみです。
【写真上】中央の第3クワッド&第1ペア方面迄登って来ました。
身体中、雑草片やらくっつき虫やら薄穂やらで「草だらけ」。
しかも登っていくに従い、草木の群生具合はどんどん非道くなっていきます。
【写真上】ゲレンデ一面を覆い尽くす、背丈以上の薄群.他雑草。
幾ら何でも此処から先は「トテモ無理」。
仕方無く10分登った地点で登頂を断念、引き返すのでした。
【写真上】えーっと、何処から登って来たんだっけ…。
登って来た経路をすっかり見失い、また最初から「My獣路」の作成。
こんな莫迦な事はもう二度と致しません…。
【写真上】第3クワッド下より中央ゲレンデを眺む。
結局登ったのはゲレンデ下部の平べったくなった所処迄。
下から見る限りでは、もう一寸行けそうだったんですけど…。
因みに残されている索道は整備さえすれば全然使えそう。
マックアースさん、神立高原の序でに如何ですか?。
【写真上】帰途の折、スキーセンターと駐車場一写。
アスファルト継ぎ目からは雑草が生い茂り、見事な迄の「区画整理」。
駐車場って4年もほったらかすと、こんな風になるんですね…。
と、こんな具合な「廃墟スキー場」検分記。
尚本日の表題は、某テレ朝の「若大将.冠番組」に因んだもの。
カンの良いスキーヤーなら、タイトルだけで目的地がお解りだった事でしょう。
【写真上】おまけ一写。
「破棄つながり」で岩原スキー場のゴンドラステーション。
岩原のメインゲレンデ東側架けられていた、2813mのゴンドラ。
2007/08シーズンにて休止(多分もう廃業)、その後ほったらかしになっています。
ま、此処と云い「ガーラ」「湯沢高原」「舞子高原」と云い、湯沢駅周辺のスキー場ゴンドラはコース滑走としての面白味が無く、単なる輸送機器扱い。
無くなってもスキー場運営には殆んど影響無いみたいです。
ホントは「石打丸山」に一基架けて欲しいんですけどね。
そんな訳で4日続いた「越後湯沢」ネタも、漸くこれにて終了。
最後は何か「追憶のゲレンデ」みたいなログ立てになってしまいました。
おしまい。