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2013.10.08

●「嵯峨野」と「伊勢」を紡ぐもの

えー、此処数日間「伊勢神宮.式年遷宮参詣ログ」の更新計りで御座いましたが、実は本日で帰京5日目。
今回の上洛は余りあちこちを出歩かず、地元嵯峨野にて「のんべんだらり」と過ごしております。

で、今日は朝餉を終えて8時過ぎ。
腹熟しがてらに家の近所を軽くポタリング、三ヵ所の少祠を訪れて参りました。
其処等は何れも「伊勢の神宮」に所縁ある社。
古は平安の御世にて、神宮に奉仕される斎王の潔斎院跡と伝えられる神社です。

1
【写真上】野宮神社。
「嵯峨野めぐり」メインの一社、まぁ説明不要の著名な神社ですよね。

「野宮」は御所内初斎院で潔斎された斎王が、更に遷地して篭られる院。
従い本来の意は「一神社の固有名詞」では無く、「一般具象名詞」でした。
鳥居は古式に則り椚の黒木、転びも用いません。

2
【写真上】野宮神社.本殿。
何時もは他力本願で大賑わいの「良縁祈願」神社ですが、流石に平日早朝。
人影一つ見られません。
基本的に嵯峨野.嵐山散策は「朝のころ さらなり」な訳でして。

3
【写真上】斎明神社。
嵐山小学校裏に鎮座、まぁ観光に訪れる場所ぢゃありません。
文徳天皇皇女.恬子内親王(859年(貞観1)卜定)の野宮旧跡と伝えられます。

4
【写真上】斎明神社.本殿。
本殿/明和8(1771)年 一間二間 神明造.檜皮葺 (市登録文)。
拝殿/江戸末期 一間二間 入母屋造.檜皮葺 (市登録文)。

切妻.桟瓦葺の覆屋下に、拝殿と神明造の本殿。
造営当初は簀屋祢で葺かれ、四周を玉垣に囲まれていた記録が残されている。
現在檜皮葺の拝殿も嘗ては杮葺であった。
京都に残る神社本殿としては類例珍しい神明造、千木は内削、鰹木は4本。
尤も時代様式的には可也下り、菱格子や高床高欄が施され、柱上に長押.肘木の挿打の手法等が挙げられる等、寺院建築の影響を多分に受けたものである。

5
【写真上】斎宮神社。
三条通沿いは有栖川近くに所在。
斎王起源「倭姫命」の院跡、亦は数ある野宮跡の一つとも伝えられています。

6
【写真上】斎宮神社.本殿。
此方も神明造、千木は外削.鰹木は4本、昭和30年の造営。
余談ですが、此方の夏越祓の茅ノ輪は結構立派なものです。

尚、野宮に就いてですが基本的に一代限定で破却される潔斎所。
新斎王の卜定後には新たに造営されましたので、平安の御世には数知れずの野宮跡が存在した事でしょう。
因みに現在嵯峨野に残る野宮跡(伝)は三ヶ所、後は西院に一つ存在します。
まぁこの事からも解る通り、平安御世の嵯峨野はホーントに何も無い地。
「禊」「祓」のメッカになる程の、清浄(=辺鄙)な「洛外」だったのでした。

と、こんな感じの野宮跡巡り。
それは先日よりの「伊勢」から「嵯峨野」、90kmの長途を結ぶ巡礼でもありまして。
おしまい。

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