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2014.10.21

●「大町アルプス走」後.安曇野ポタリング①

えー、先日参加「第31回大町アルプスマラソン」のおまけ篇になります。

レースを終えた後は愛車ミニベロ「TERN VERGE P18」の出番。
当初の予定通り、秋晴れの安曇平を「古寺社巡礼ポタリング」する事と致しました。

このプラン、実は昨年も組んでいたのですが豪雨に流されおじゃん。
そんな訳で二年越しの自転車散策、大町アルプス「拾遺集」で御座います。

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【写真上】ゴール前2㎞地点より望む、爺ヶ岳と鹿島槍。
時刻は12:15、フルマラソンの部はこれからがゴールラッシュの時間帯。
会場の大町運動公園からマラソンコース沿いにサークルKを右折、先ずは大町温泉郷を目指します。

因みに今年は大会直前に観音寺周辺で熊が出没したらしく、熊鈴が無料配布。
「チリンチリン」と音を立てて走るランナーが多く見受けられました。
まぁこの大集団ですから、熊も寄ってこないでしょうけどね。

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【写真上】蓮華大橋より望む北アルプス.後立山連峰。
蓮華.爺.鹿島槍は勿論、五龍や白馬三山迄がクリアに見張らせます。
本当に壮大なパノラマ、最高の山景日和。

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【写真上】爺と鹿島槍。
大町市街からの山容眺望は、矢張りこの二峰が別格の美しさ。
蓮華大橋を渡って左折、久保~平地域を走る幹線道路を直進します。

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【写真上】正面に蓮華岳のスーパービューを眺めつつのポタリング
派手さは無いものの、どっしり重厚な山姿です。

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【写真上】続いては爺ヶ岳。
道路を進むにつれ、眼前の山々がスライドショーの様に変わって行きます。

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【写真上】今度は鹿島槍ヶ岳。
大町ならではの山景眺望、聳え立つ名山を楽しみつつの快適ポタ。

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【写真上】県道45号線に近づくと、今度は西側の眺望が一気に開けます。
刈入を終えた土田が視界の一面に。
奥の三つコブ稜線は左より霊松寺山.鷹狩山.南鷹狩山。
北アルプスの険峻群に較べると「小丘」に見えますが、何れも1100m級の山々です。

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【写真上】大町温泉郷.入口。
大町運動公園から5.2㎞、物見遊山がてらのんびり扱いで30分弱でした。

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【写真上】薬師の湯に到着。
時刻は12:40、未だランナーの姿もチラホラ程度です。
お陰で混雑も少なく、ゆっくりと湯治♨を満喫出来ました。

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【写真上】13:45.大町温泉郷を出立、県道45号線を北大町方面に進みます。
一見快適な直線舗装道も、歩道側のアスファルトにはひび割れがチラホラ散見。
ロードレーサーでかっ飛ばすには、チト怖い道路コンディションですかね。

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【写真上】鷹狩山がどんどんと近くに。
この後国道148号線を右折、北大町市街地に入ります。

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【写真上】若一王子神社。
この日一ヶ所目のポタリング立ち寄り所処。
いかにも「村の鎮守様」とした、鄙びた趣の郷社です。

朱塗りの鳥居向こうには三重塔と観音堂が立ち並ぶ、違和感のある境内風景。
元来は「若一王寺/若一王子権現」として祀られていた神仏習合社で、その名残を色濃く留めている点で貴重な史跡と云えるでしょう。
安政(1855)の境内絵図と比較して本殿.堂宇の配置も変わっておらず、明治期の神仏分離/廃仏毀釈の破却を免れた事が窺えます。

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【写真上】三重塔(県宝)。
宝永8年(1711)建立 方三間 三重塔婆 柿葺 
・柱間/中央間:棧唐戸  脇間:連子窓
・組物/三手先  ・軒組/二軒繁垂木
・中備 初重:蟇股 上重:何れも間斗束  

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【写真上】同.正面より。
二重垂木.三手先の素木造と、オーソドックスな塔婆建築。
外観.構造共に、ほぼ純和様の建築様式です。
最大の特徴は三重塔婆でありながら初重中備に蟇股を用いている点、及び蟇股内部に衣冠束帯の十二支彫刻(人身獣面)を施している事。
まぁ江戸建築意匠の一典型、個人的に蛇足感は否めませんが装飾過多にはならず素朴さを保っている点では好感が持てます。

江戸期の塔婆建築としては珍しく瓦葺では無く杮葺を用いてますが、これは単に地域的な事情として、材料が豊富にあった事が理由と考えられます。

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【写真上】組物近景。
軒出や反りの浅さ、各層逓減率の少なさは近世建立塔婆のそれですが、鈍重になりがちな江戸期建立の塔婆としてはバランスの取れたプロポーション。
この点に就いては杮葺とした屋根の軽快感が大きく寄与しています。
軒反りに就いては技巧的な面で仕方無いのでしょうが、初.二重目の軒出がもう少し長ければ更に均整の取れた塔姿となったでしょう。

甲信周辺の代表的な塔婆建造物として真っ先に思い出されるのは上田/別所地域の四塔婆。
それらの技術的な影響有無は不明ですが、地方山村の寺院建築としては水準の高さを感じる事が出来る遺構です。

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【写真上】観音堂(県宝)。
宝永3(1706)年建立 方三間.一間向拝附. 寄棟造(妻入) 茅葺(向拝.柿葺)。
建築様式的にも堂宇性格的にも、全くの寺院建造物。
三重塔と共に、権現社(習合社)であった事を示す顕著なものです。
拝殿とは廊下で繋がっている珍しい形式、この点に就いては釣屋等の神社的性格を持っています。

中小の山村寺院堂宇(特に甲信越)には良く見られる草葺。
理由としては三重塔同様、材料入手のし易さに由るものと考えられます。
それが「むくり」を帯びた柔らかい屋根形状を可能にし、茅葺独特の優しい雰囲気を醸し出しています。

他特徴としては、棟上に極めて短い箱棟を載せた寄棟造としており、一見宝形造と見間違う様な屋根形状を持っています。
近くの盛連寺観音堂も同じ形式で、地域的な特色と云えるものかも知れません。

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【写真上】観音堂.軒下近景。
蟇股や向拝虹梁、他には釘隠等にも装飾彫刻が施されています。
但しこれ等の彫刻は向拝下に集中しており、向拝自体が後年附設されたと考えるのが妥当なのでしょう。
正直、観音堂の美観的にも向拝は蛇足感が否めません。

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【写真上】瑞垣越しに見る本殿(重文)。
弘治2(1556)年建立 一間社 隅木入春日造 檜皮葺
全国各地で見られる、普遍的な一間社隅木入春日造。

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【写真上】同.近景。
室町末期の建立も承応3(1654)年に大修理が行われており、その際の影響が色濃く窺えます。
蛙股内部や弓木の彫刻、そして幾重にも設けられた装飾拳鼻はその顕著なもの。
江戸様式の典型とも云えるものです。

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【写真上】おまけ、拝殿前に掲げられていた厄除け祈祷の案内板。
うーん、如何やら今年の私めは「八方塞がり」らしく…。
ま、あと二カ月半だからテケトーに凌げるでしょう。

と、こんな感じの安曇平ポタリング紀行.前篇。
この後は大町マラソンのコース前半部から仁科御厨.盛連寺を経て、穂高方面に進むのでした。
つづく。

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