●バスに引かれて善光寺
えー、先月末は戸隠トレラン遠征の「後日談」…つーか「前日談」に成増。
7月29日は戸隠中社に前泊の為、お昼過ぎに長野入り。
戸隠行きのバス時刻には一時間程間があったので、善光寺に詣でてから宿に向かう事と致しました。
そんな訳で「バスに引かれて善光寺」参詣記になりまする。
【写真上】アルピコさん車中にて、一写。
長野駅から「真~っ直ぐに」に伸びる中央通りを善光寺に向かいます。
冬場以外の時期に長野を訪れたのは、学生時分以来22年振りの事。
【写真上】善光寺門前到着、参道から仁王門を望む。
善光寺さんを参詣するのも四年振り二度目。
白馬方面を筆頭に戸隠や妙高等、長野には年10回以上滑りに来るのですが、所謂フツーの「観光」で訪れる事は殆ど有りません。
矢張り私めにとっては「長野=スキー」だったり致します。
【写真上】参道.仲見世通りから山門を望む。
夏休みに入ったとは云え矢張り平日(7/29.木曜)、観光客の姿も疎らでした。
善光寺は無宗派の単立寺院ですが、「本坊.大勧進」は天台宗山門派の大本山、「大本願」が浄土宗鎮西派の大本山。
従い両派との関係は深いものの、密教「大本山寺院」的な威圧感は全く致しません。
寧ろ境内の雰囲気は民間信仰の色合いが強く、その辺は「浄土宗的」な影響のものかと思われます。
【写真上】山門一写(重文)。
1750年(寛延3)年の造営、入母屋造.栩葺、五間三戸.二階二重門。
江戸初~中期に良く見られる和様.禅宗様の折衷様。
規模の割に木柄が細く、高いシルエットとなっています。
【写真上】山門近景。
両脇の縦板壁花頭窓、隅反軒、通肘木を入れた三手先詰組等、柱上の弓欄間装飾など、特に禅宗的要素が色濃く現れています。
【写真上】山門より本堂を望む。
それにしても「暑い…」。
トーキョーに較べれはマシですが、それでも軽く30℃超え。
長野市街はもーちょい涼しいかと思ってたのですがね…。
【写真左】本堂(国宝)。
宝永4年(1707)の造営、入母屋造.単層裳腰付.檜皮葺、桁十四間.梁五間(妻入)。
屋根部 両側面:入母屋破風付。
裳腰部 正面:向拝三間、軒唐破風付。
両側面:向拝一間。
【写真上】側面より、本堂を眺む。
やっぱり撞木造はこの構図の方が、特徴を良く見て取れます。
「撞木造」の外見的な特徴は、妻側に対して極端に奥行きが長く、棟がT字型に見える(実際は長方形)事が挙げられます。
一般寺院の本堂(仏殿)と講堂(法堂)を「外陣.内陣」「内々陣」と云う形で一体化、加えて内陣を信徒参籠の場として多く取る為、などが特殊な形を成している要因。
ま、要するに「足し算」に「足し算」を加えた本堂建築様式、と云う事です。
【写真上】本堂前側部.近景。
向拝の附されている平入部柱間が、外陣と内陣の境界。
正面一間に吹き抜けを置いて内部四間を外陣、次の五間を内陣、更に奥三間を内々陣とする空間構成。
古典的な密教本堂では無く、庶民信仰要素の強くなる江戸期の時代的特色を良く現した構造となっています。
【写真上】本堂後側部.近景。
屋根には棟の両側面に入母屋破風が設けられており、撞木の形を現しています。
内々陣の左脇部には、瑠璃壇を設けて本尊安置の間とされています。
【写真上】境外後方より見遣る、本堂。
真後ろからだと、一般的な方五間の禅宗仏殿にしか見えません。
正面に対して極端に奥行きが深い本堂は同じ撞木造となる甲斐善光寺の外に、上田の信濃国分寺、塩山の向嶽寺などにも近似の構造が見られます。
外見的にも同じ単層裳階付で、信濃地方寺院本堂の地域的特色と考えられます。
【写真上】参詣の後はアルピコさんで一路戸隠へ。
と、こんな感じの善光寺、駆け足参拝。
この後はバスに揺られてる事約一時間、宝光社前で下車。
戸隠五社のうち三社を巡った後、宿に向かうのでした。
つづく。