●新春墓参
えー、先日帰京の後日談。
ミヤコ滞在最終日は1月5日、東下り3時間前の朝で御座います。
自宅からチャリを漕ぎ出し、北嵯峨方面にぷらぷら北上。
とある方の「お墓参り」に出掛けて参りました。
大覚寺の裏門から北嵯峨外周路に出て目的地へ。
キョート盆地の北西端にて北嵯峨の「どんつき」、朝原山(御廟山)の麓。
まぁ「山」つっても標高190m、10分あれば山頂まで上れます。
上ります。
昔はフツーの赤土山路でしたが、2013年の台風18号被害により参路が崩落。
現在の砂利敷.切石段路となりました。
右手には北嵯峨の田園風景が一望出来ます。
台風被害修復の際に樹々の間伐も行われ、見晴らしの良い参路となりました。
以前は樹林帯に覆われ、これ程展望は利きませんでした。
嵯峨御所.大沢池、赤い建物は多宝塔。
今からお参りする方が、昔住んでおられた所処です。
旧遍照寺苑池、広沢池。
尚、池東岸はヤヤコシイ方々が買収、某教団「平安郷」の敷地となっています。
京セラ本社ビル(伏見区竹田鳥羽殿町/1998年竣工)。
高さ94.82m、京都市で3番目に高い建造物。
日本電産本社ビル(南区久世殿城町/2003年竣工)。
高さ100.6m、京都市で2番目に高い建造物。
京都タワー(下京区東塩小路町/1964年竣工)。
高さ131m、京都市で1番高い建造物。
以上、京都市の高層建造物.TOP3。
因みに「京都ホテルオークラ」は58m、「京都駅ビル」は59.8m、
「東寺五重塔」は54.8m、「八坂の塔」は49mで御座います。
諡号が示す通り、同地にとって嵯峨天皇は大恩人。
皇子の頃から嵯峨野一帯は御領地であり、即位後には離宮.嵯峨院を造営。
御上になられても度々行幸、譲位後は仙洞とし移り住まれました。
その後の嵯峨院は大覚寺となり、淳和.宇多.後嵯峨.後宇多.後醍醐天皇ら所縁の門跡として歴史の表舞台にも度々登場します。
後嵯峨院の御代以降、大覚寺の寺運は衰えますが、天龍寺.臨川寺.宝幢寺などの足利禅刹による洛外の宗教衛星都市「嵯峨嵐山」隆盛の礎となりました。
また嵯峨天皇は「嵯峨」のみならず、「ミヤコ=京都」にとっても大恩人。
平城上皇が旧都平城京への遷都と復位重祚を目論んだ「薬子の変」を鎮圧。
桓武さんが「万代宮」と定めた平安宮を、実質的に「恒久の都」としたのが嵯峨天皇なのです。
若し嵯峨さんが平城さんとの政変に敗れていたなら...。
現在の京都は1200年のミヤコどころか「大津」「飛鳥藤原」「恭仁」「長岡」的な存在。
下手すりゃ今でも「山背」と呼ばれていたかもしれません。
そんな訳で「嵯峨」と「ミヤコ」の大恩人に感佩の念を表し、帰京の折には必ず墓参する私め。
「令和ノ初春ニ、弘仁ノ御代ヲ偲ブ」のでした。