●「御宇多天皇陵~嵯峨天皇陵」ショートトレラン
えー、本日は9日前、4月30日のデイリーアクティビティ.後日談。
この日は自宅から「きぬかけの路~西大路~今宮神社~御園橋」を往復。
京都マラソンの中盤部をハーフ走する予定でした、が...。
気付くと何故か「山ん中」を走ってるのでした。
14:00、嵯峨駅から一条通に入って広沢池へ。
この日のミヤコは26℃の夏日+初夏の陽射し。
しかもこれからが最も気温が上がり、西日の強くなる時間帯です。
「うーん、もーちょい時間ずらせばヨカッタ...」
で、広沢池を走り過ぎ、きぬかけの路に入った所処で...。
「今日はロード止めてトレイルにしよっと(^^♪」
そんな訳でアクティビティのプラン自体を変更。
過去何度か踏んだ事のある、北嵯峨の低山里山群を走る事に致しました。
14:10、広沢池から引き返して御宇多天皇陵へ。
陵墓の右手側、砂利路の林道を上ります。
フットギアはロード用(ペガ35)ですが、ハイキングコースのショートトレイル。
良く踏まれた平坦ルートなので、ランニングシューズでも大丈夫です。
7~8分すると長刀坂峠。
上り切ったピークの左手階段がハイキングコースの入口。
けどその前に、反対右手側のトレイルへッドに入ります。
ココ。
折角なので遍照寺山も踏んどく事に。
因みにこのルートは非正規コース、地理院地図に破線表示がある程度です。
序盤から中盤にかけてはしっかりとした踏み跡。
但し高度を上げるに従い不明瞭な山路となっていきます。
ま、高度つっても標高231mの「小丘」ですけどね。
遍照寺山.山頂。
ピークと云うよりは登り切った後の踏み跡が切れた踊り場、山名標も△点も無し。
樹林帯に囲まれ見晴らしも全く利きません。
「嵐山」も「小倉山(亀山)」もそうですが、嵯峨嵐山周辺の著名な山は「登る」ものじゃ無く「眺める」ものですね。
長刀坂峠に戻り、階段からハイキングコースに向かいます。
登山口に入ると、直ぐにお地蔵さんがお出迎え。
この横には「ポツンと一軒家」有り。
こんな山奥の僻地に、何か造ってます。
ぱっと見た感じ、公園か何か?。
因みに背後に佇むのは30分前に踏んだ遍照寺山。
たまーに短い上り、少しロープ場がある程度。
長刀坂峠~京見峠に至るトレイルは基本的に平坦基調の上り。
踏み跡もしっかりしており難路迷路はありません。
但し近年ハイキングコースとして整備されているものの、元々は作業路。
右に左に枝分かれする箇所が多く、その分岐路も良く踏まれているので初めて踏破する方は結構迷うかも。
ま、基本的には「西進」「平坦or軽い上り」をチョイスされれば間違い無いでしょう。
長尾山。
標高300mに満たない山頂、そして三方向に分岐するジャンクション的ピーク。
「山」って云うより「小峠」って感じです。
長尾山からは京都盆地の見晴らしが見事。
南~南東に掛けてクリアなワイドビューが拡がっています。
山頂から西へ直進すると京見峠、右に折れて北進すると砥石山。
砥石山付近に見晴らしの良い場所があるので、そっちに向かいます。
何か良く解らんピーク。
実は私め、過去35年間位ココが「砥石山」だと思っていました。
後からヤマレコで調べたらこの先が砥石山、ちゃんと山名標もあるみたいです。
自宅近辺の裏山が故、身近過ぎて全然「山」の意識が無いのでした...。
標高300mでこの素晴らしいスーパーパノラマ。
左には松尾山~嵐山.烏山上ヶ峰と伸びる嵐山丘陵群。
中央奥には沓掛山より馬掘に続く唐櫃越。
右手には愛宕山を中心とした愛宕山地の山々。
嵯峨/嵐山/広沢/松尾の洛西ロコ住民にとっては、何時も見慣れた山々が一望の下に見晴らせます。
うーん、此処でお弁当広げてピクニックランチしたい位♪。
北面、裏愛宕の眺望
659Pから660mの無名ピークを経て、左に朝日峯。
北西には愛宕三山の二峰。
左端に地蔵山、中央に竜ヶ岳、その右には792P。
南西には山上ヶ峰から続く嵐山丘陵群、一段下がった前衛には小倉山。
左奥の山影は北摂山系.北東端の小塩山。
比叡山地~京都西山~北摂山地の展望を楽しんだ後は長尾山に戻ります。
京見峠。
左手は直指庵、右手は菖蒲谷池、直進すると嵯峨天皇陵。
直指庵から菖蒲谷池に向かうコースは、昔ブラックバス釣りに良く使いました。
最近はちゃんとプレートも掛かってます。
京見峠を直進し、上り返しの落ち着いた辺りが、
朝原山。
ピーク感はゼロ、尾根路の通過点と云った頂。
京見峠から嵯峨天皇陵までも良く踏まれたトレイルですが、相変わらず作業路の分岐も多し。
基本的には南進で緩く高度上げていく感じ、所要時間は10~15分位かな。
嵯峨天皇山上陵、とーちゃく。
陵墓の裏っ側に取り付き、外周路をぐるっと回って正面に出ます。
広沢池と大沢池。
手前の住宅地も昔は殆ど田畑、倍以上増えましたかね。
と云うより天皇陵の参道自体、以前は樹林の繁みで殆ど見晴らし利きませんでした。
因みに「嵯峨野」の古来からの定義は、大覚寺/化野を北西端として東は双ヶ岡、南は梅津辺りまでの広大な区域の総称。
これら一帯全てが「野は嵯峨野 さらなり」。
田畑と竹林と原野の広がる鄙風情なのでした。
応時の嵯峨野(つっても60年くらい前までなのですが)を偲ばせる呼称は、近年/現在になっても幾つか残ってます。
常磐(太秦)にある高校が「嵯峨野高校」だったり、帷子ノ辻近くの小学校が「嵯峨野小学校」だったり、嵐電有栖川駅の旧駅名が「嵯峨野」だったりする事からも嘗ての「野」の広さが思い起こせます。
しかしその原風景は宅地造成や都市開発により削り取られ、今となっては風致地区の一帯のみに辛うじてその姿を留めているだけ。
谷崎の言葉を借りるならば嵯峨野は「年々奥に追い詰められて」いるのです。
要約、現在の「嵯峨野」とは、往時の「奥嵯峨」と「北嵯峨の一部」に過ぎないのでして。
プチトレイル終了。
Time/1:08:57 DST/6.54km EA/305m
トレランと云うよりはクロカンでしたね。
最後に、北嵯峨農道よりこの日辿ってきた稜線。
右手の遍照寺山から中央の長尾山を経て、左端の朝原山/山上陵へ。
と、こんな感じの「From天皇陵to天皇陵」里山走。
「大同の御代」と「文永の御代」を繋いだ、令和二年のトレランでした。
おしまい。