えー、85日間の「月山/春スキー&夏スキー」雪山生活を終え下山15日目。
早いもので月山を下山し、もう半月が経ってしまいました。
本日は過ぎ去りし「月山の日々」名残ログ…、では無くそのプロローグ。
約3ヶ月前、4月24日は月山入山の日まで時間が遡ります。
4月25日から始まる月山雪山ワークの為、前日早朝に山形入りした私め。
実はこの日が人生初となる「山形上陸」で御座います。
西川町/月山姥沢に向かうパスの出発時刻は13時。
折角の初ヤマガタなので霞城や駅周辺、そして山寺を物見遊山してから月山入りしようとした次第でして。
そんな訳で「穀雨の山寺」、参詣記で御座います。
【写真上】9:15、山寺駅とーちゃく。
駅正面には2007年に閉館した旧山寺ホテル。
「やまがたレトロ館」として再開したもの、また閉めちゃったみたいです。
【写真上】山寺とーちゃく。
立谷川を渡り、旅館と土産物店の立ち並ぶ門前街を歩く事10分弱。
正式な寺号は「宝珠山立石寺」、まぁ通称の「山寺」でイイですよね。
【写真上】入山口の上り参道。
根本中堂の屋根が見えて参りました。
「古建築物の観賞」的な視点で云うと、順路の最初がメインディッシュ。
【写真上】根本中堂。
室町期正平年間(1346~1370年頃)再建 国指定重文
五間五間(向拝一間) 一重入母屋造 銅板葺
山寺の本堂にて中心道場、そして寺内堂宇の中で最古の建造物。
外観は禅宗様式の色合いが濃く、其処に再建時の桃山様式を加えています。
創建当初は茅葺、近世に入り杮葺きだったものが現在は銅板屋根。
室内は奥三間を内陣、外二間を外陣とする中世密教本堂の古式を伝えています。
【写真上】軒組は二軒繁垂木。
軒は深く、軒先の反りも禅宗様式。
【写真上】向拝の蟇股と虹梁木鼻。
向拝は増補/再建の際に最も手を加えやすい場所、桃山様式が見て取れます。
山寺には創建時の古建築は無く、伽藍数宇が近世の再建物であるに過ぎません。中堂にしても現存する天台寺院本堂としては、中小規模の部類です。しかし山寺の歴史的価値は古建造物よりも、凝灰岩を主とする岩塊山域を巧みに利用した天台寺院特有の伽藍配置を今に残し、往時の寺観を僅か偲ぶ事が出来る点にあります。
そう云う意味では鎌倉建長寺/平泉毛越寺/京都西芳寺などと同じく、寺域そのものが貴重な史跡遺構と云えるものでしょう。
【写真上】中堂の西横には清和天皇の供養塔。
実家の近く(水尾)に陵がある御縁でお参り一写。
山内最古の石塔との事、寺史を信じれば10c末の建立でしょうか。
【写真上】中堂隣の山域には日枝神社。
やっぱり天台寺院と云ったら「日吉さん」、まぁ運命共同体みたいなものです。
【写真上】日枝社の石鳥居を潜ると、
【写真上】念仏堂と鐘楼。
念仏堂は根本中堂の東にあったものが、元禄期に現在地に移されたとの事。
【写真上】山門。
拝観料をお納めして奥の院へ。
根本中堂から山門へは殆ど平行移動、ココから本格的な石段上りが始まります。
【写真上】参道は石段で整備されています。
この辺りが四寸道。
【写真上】香の岩を見上げつつ、
【写真上】石段をてくてくと登ります。
参道には奇岩巨岩や小祠、円仁や芭蕉所縁の塚碑が点在しており、物見遊山しつつ登っていくとそれ程長い道程には感じません。
【写真上】仁王門。
嘉永元年(1848)再建 三間一戸.八脚門、入母屋造、銅板葺。
組物や柱間装置もシンプル、総じて和様の三間一戸門。
【写真上】上から見ると少しバランス悪い。
軒出と主屋の均衡が悪い上、下層を吹放ちにしてるので建物のボリュームが過度に上層に偏ってます。
【写真上】仁王門を過ぎると、性相院.金乗院を始めとする塔頭群が現れます。
真っ直ぐ進むと奥の院ですが、雨宿りがてら先に五大堂へ。
左に折れて崖道の突き当り向かいます。
【写真上】納経堂。
宝永2年(1705)再建 県指定 一間一間 一重宝形造 銅版葺。
百丈岩の頂に立つ朱塗の小祠、柱間5尺1寸/一軒疎垂木の小堂、もと杮葺。
慶長4年(1599)の再建とされているが宝永2年の棟札も確認されており、後者時期の再建と見るのが妥当。
母屋規模に対して木割の太い長押や平三斗がアクセントに利いています。
【写真上】開山堂と納経堂。
開山堂は嘉永4年(1851)の再建。
二宇の脇に延びる岩路を上ると五大堂。
【写真上】五大堂。
縣造の舞台建造物、現在では寺内有数の展望スポット。
【写真上】で、五大堂からの展望が、
【写真上】想像以上の景観美。
二口山塊の山麓渓谷を縫う様にして走る山寺街道と立谷川。
南北を里山に挟まれた山村集落には、春霞と雨煙の棚ぶ幻想的な風景が広がっていました。
【写真上】注意書き看板が虚しい…。
五大堂の板面は落書きだらけ、しかもコレが結構な多国籍言語です。
【写真上】開山堂より望む、対崖の胎内堂。
【写真上】再び塔頭の並ぶ参道に戻り、
【写真上】石段の突き当りが奥の院。
入山口から約0.7㎞、高低差役150m。
あちこち立ち寄りながらの参詣でも、40~50分あれば到着します。
【写真】奥の院全景。
左より奥の院(如法堂)、大仏殿、鐘楼。
【写真上】岩窟に納められた三重小塔。
永正16年(1519)建立 国指定重文 一間三重塔婆 杮葺
格子硝子に囲われ殆んど観賞不能、「これじゃ何も見えん…」。
元興寺と海龍王寺(五重小塔)では堂内で直に見れたのになぁ。
【写真上】無理繰り軒組一写。
相輪頂までの塔高さは2.4mと国内最小、と云っても近世以前造営の木造三重小塔婆は他に朝護孫子寺にしかありません。
和様を基本に組物.木鼻は禅宗様を用いる折衷様で構成されています。
深い軒出に平反り.二軒繁垂木の屋根、組物は三手先くらいしか確認出来ませんでした。
尚、内部は省略された箱物構造で、実物塔の代用として室内奉祀目的に造られたものか、若しくは純粋な工芸的作品。
岩窟が覆堂としての性格を持っています。
【写真上.下】あとは来た路を戻ります。
【写真上】参道にて、願掛け積石。
【写真上】下山前に本坊社務所へ。
前庭ではソメイとシダレが満開。
【写真上】抜苦門と枝垂桜。
【写真上】参詣終了。
因みに登山口から奥の院まで石段の数は1050段との事。
まぁ数えて登ったりはしてませんけどね。
尚、今回の山寺詣で円仁.芭蕉由来のみちのく名刹「四寺廻廊」完詣。
松島の瑞巌寺(2007年)、平泉の中尊寺/毛越寺(2011年)から大分間が空いてしまいましたが、これで四刹コンプリートとなりました。
【写真上】帰途、山寺駅前より一写。
春霞煙る百丈岩に望む、五大堂.開山堂.納経堂の堂宇群。
山形駅に戻った後はユトリアさんの高速バスと西川町町営バスで月山姥沢へ。
季節は春から冬に巻き戻し「雪」の世界への帰参、84泊85日の「月山.春&夏スキーライフ」が始まるのでした。
おしまい。