・Ⅹⅹⅰ.建築雑感

2021.01.31

●デイリーラン(1/29)&新春社参

えー、本日は1月27日ログ↓の続きみたいなもの。
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2021/01/post-a8a579.html

昨日のミヤコはやっと「盆地っぽい」冬の底冷え。
鄙嵯峨野の地では日中小雪が舞い散る一時も御座いました。
そんな寒さの中、私めは例に由ってのデイリーラン。
兼「仕切り直し」の新春社参に出駆けて参りました。

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ジョッグの途中に立ち寄ったのは松尾大社さん。
幼少の頃より慣れ親しんだ我が家の初詣先は「日ノ本第一の酒造神」。
職業柄もあり、参詣しない訳には参りません。

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先着で「ジョギング詣」の御夫婦がおられました。

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築地塀の隙間より、本殿一写(重文)。
天文11(1542)年造営、桁三間梁四間、流造、一重.檜皮葺。
屋根は前後同じ長さに流れている両流、所謂「松尾造」。
写真では切れていますが、正面平側には附.向拝。

屋根は2017年に檜皮の葺き替えが行われたばかりです。

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本殿近景。
両流の屋根曲線と柱/長押の直線、漆喰白壁と濃褐檜柱のコントラストが美しい。
基本的には禅宗様式ながら、斗栱などの柱間装置は至ってシンプル。
あと箱棟の棟端装飾が唐破風形になっているのは珍しい様式です。

てな訳で今回の「頃中」イレギュラー帰京。
昔からお世話になっている神様への御挨拶は全て終える事が出来ました。

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愛宕さん(1/28)。
中学ん時の登山大会に始まり「千日詣」に「トレラン」に。
そして「火迺要慎」護符でお世話になっている神社さん。

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辰巳稲荷さん(1/29)。
大学時分に祇園町で働いていた頃からのお付き合い。
知恩院の鐘を聞きながら此方に初詣するのが大晦日のルーティンでした。

以上、遅蒔き乍らの令和三年新春「社参の儀」三景。
これで明後日、心置きなくミヤコを離れられるのでして。

 

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2018.07.31

●4月24日、山寺へ

えー、85日間の「月山/春スキー&夏スキー」雪山生活を終え下山15日目。
早いもので月山を下山し、もう半月が経ってしまいました。

本日は過ぎ去りし「月山の日々」名残ログ…、では無くそのプロローグ。
約3ヶ月前、4月24日は月山入山の日まで時間が遡ります。

4月25日から始まる月山雪山ワークの為、前日早朝に山形入りした私め。
実はこの日が人生初となる「山形上陸」で御座います。
西川町/月山姥沢に向かうパスの出発時刻は13時。
折角の初ヤマガタなので霞城や駅周辺、そして山寺を物見遊山してから月山入りしようとした次第でして。

そんな訳で「穀雨の山寺」、参詣記で御座います。

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【写真上】9:15、山寺駅とーちゃく。
駅正面には2007年に閉館した旧山寺ホテル。
「やまがたレトロ館」として再開したもの、また閉めちゃったみたいです。

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【写真上】山寺とーちゃく。
立谷川を渡り、旅館と土産物店の立ち並ぶ門前街を歩く事10分弱。
正式な寺号は「宝珠山立石寺」、まぁ通称の「山寺」でイイですよね。

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【写真上】入山口の上り参道。
根本中堂の屋根が見えて参りました。
「古建築物の観賞」的な視点で云うと、順路の最初がメインディッシュ。

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【写真上】根本中堂。
室町期正平年間(1346~1370年頃)再建 国指定重文
五間五間(向拝一間) 一重入母屋造 銅板葺

山寺の本堂にて中心道場、そして寺内堂宇の中で最古の建造物。
外観は禅宗様式の色合いが濃く、其処に再建時の桃山様式を加えています。
創建当初は茅葺、近世に入り杮葺きだったものが現在は銅板屋根。
室内は奥三間を内陣、外二間を外陣とする中世密教本堂の古式を伝えています。

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【写真上】軒組は二軒繁垂木。
軒は深く、軒先の反りも禅宗様式。

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【写真上】向拝の蟇股と虹梁木鼻。
向拝は増補/再建の際に最も手を加えやすい場所、桃山様式が見て取れます。

山寺には創建時の古建築は無く、伽藍数宇が近世の再建物であるに過ぎません。中堂にしても現存する天台寺院本堂としては、中小規模の部類です。しかし山寺の歴史的価値は古建造物よりも、凝灰岩を主とする岩塊山域を巧みに利用した天台寺院特有の伽藍配置を今に残し、往時の寺観を僅か偲ぶ事が出来る点にあります。
そう云う意味では鎌倉建長寺/平泉毛越寺/京都西芳寺などと同じく、寺域そのものが貴重な史跡遺構と云えるものでしょう。

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【写真上】中堂の西横には清和天皇の供養塔。
実家の近く(水尾)に陵がある御縁でお参り一写。
山内最古の石塔との事、寺史を信じれば10c末の建立でしょうか。

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【写真上】中堂隣の山域には日枝神社。
やっぱり天台寺院と云ったら「日吉さん」、まぁ運命共同体みたいなものです。

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【写真上】日枝社の石鳥居を潜ると、

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【写真上】念仏堂と鐘楼。
念仏堂は根本中堂の東にあったものが、元禄期に現在地に移されたとの事。

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【写真上】山門。
拝観料をお納めして奥の院へ。
根本中堂から山門へは殆ど平行移動、ココから本格的な石段上りが始まります。

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【写真上】参道は石段で整備されています。
この辺りが四寸道。

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【写真上】香の岩を見上げつつ、

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【写真上】石段をてくてくと登ります。
参道には奇岩巨岩や小祠、円仁や芭蕉所縁の塚碑が点在しており、物見遊山しつつ登っていくとそれ程長い道程には感じません。

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【写真上】仁王門。
嘉永元年(1848)再建 三間一戸.八脚門、入母屋造、銅板葺。
組物や柱間装置もシンプル、総じて和様の三間一戸門。

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【写真上】上から見ると少しバランス悪い。
軒出と主屋の均衡が悪い上、下層を吹放ちにしてるので建物のボリュームが過度に上層に偏ってます。

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【写真上】仁王門を過ぎると、性相院.金乗院を始めとする塔頭群が現れます。
真っ直ぐ進むと奥の院ですが、雨宿りがてら先に五大堂へ。
左に折れて崖道の突き当り向かいます。

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【写真上】納経堂。
宝永2年(1705)再建 県指定 一間一間 一重宝形造 銅版葺。

百丈岩の頂に立つ朱塗の小祠、柱間5尺1寸/一軒疎垂木の小堂、もと杮葺。
慶長4年(1599)の再建とされているが宝永2年の棟札も確認されており、後者時期の再建と見るのが妥当。
母屋規模に対して木割の太い長押や平三斗がアクセントに利いています。

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【写真上】開山堂と納経堂。
開山堂は嘉永4年(1851)の再建。
二宇の脇に延びる岩路を上ると五大堂。

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【写真上】五大堂。
縣造の舞台建造物、現在では寺内有数の展望スポット。

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【写真上】で、五大堂からの展望が、

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【写真上】想像以上の景観美。
二口山塊の山麓渓谷を縫う様にして走る山寺街道と立谷川。
南北を里山に挟まれた山村集落には、春霞と雨煙の棚ぶ幻想的な風景が広がっていました。

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【写真上】注意書き看板が虚しい…。
五大堂の板面は落書きだらけ、しかもコレが結構な多国籍言語です。

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【写真上】開山堂より望む、対崖の胎内堂。

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【写真上】再び塔頭の並ぶ参道に戻り、

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【写真上】石段の突き当りが奥の院。
入山口から約0.7㎞、高低差役150m。
あちこち立ち寄りながらの参詣でも、40~50分あれば到着します。

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【写真】奥の院全景。
左より奥の院(如法堂)、大仏殿、鐘楼。

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【写真上】岩窟に納められた三重小塔。
永正16年(1519)建立 国指定重文 一間三重塔婆 杮葺

格子硝子に囲われ殆んど観賞不能、「これじゃ何も見えん…」。
元興寺と海龍王寺(五重小塔)では堂内で直に見れたのになぁ。

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【写真上】無理繰り軒組一写。
相輪頂までの塔高さは2.4mと国内最小、と云っても近世以前造営の木造三重小塔婆は他に朝護孫子寺にしかありません。
和様を基本に組物.木鼻は禅宗様を用いる折衷様で構成されています。
深い軒出に平反り.二軒繁垂木の屋根、組物は三手先くらいしか確認出来ませんでした。

尚、内部は省略された箱物構造で、実物塔の代用として室内奉祀目的に造られたものか、若しくは純粋な工芸的作品。
岩窟が覆堂としての性格を持っています。

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【写真上.下】あとは来た路を戻ります。

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【写真上】参道にて、願掛け積石。

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【写真上】下山前に本坊社務所へ。
前庭ではソメイとシダレが満開。

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【写真上】抜苦門と枝垂桜。

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【写真上】参詣終了。
因みに登山口から奥の院まで石段の数は1050段との事。
まぁ数えて登ったりはしてませんけどね。

尚、今回の山寺詣で円仁.芭蕉由来のみちのく名刹「四寺廻廊」完詣。
松島の瑞巌寺(2007年)、平泉の中尊寺/毛越寺(2011年)から大分間が空いてしまいましたが、これで四刹コンプリートとなりました。

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【写真上】帰途、山寺駅前より一写。
春霞煙る百丈岩に望む、五大堂.開山堂.納経堂の堂宇群。

山形駅に戻った後はユトリアさんの高速バスと西川町町営バスで月山姥沢へ。
季節は春から冬に巻き戻し「雪」の世界への帰参、84泊85日の「月山.春&夏スキーライフ」が始まるのでした。
おしまい。

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2015.08.18

●バスに引かれて善光寺

えー、先月末は戸隠トレラン遠征の「後日談」…つーか「前日談」に成増。
7月29日は戸隠中社に前泊の為、お昼過ぎに長野入り。
戸隠行きのバス時刻には一時間程間があったので、善光寺に詣でてから宿に向かう事と致しました。

そんな訳で「バスに引かれて善光寺」参詣記になりまする。

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【写真上】アルピコさん車中にて、一写。
長野駅から「真~っ直ぐに」に伸びる中央通りを善光寺に向かいます。
冬場以外の時期に長野を訪れたのは、学生時分以来22年振りの事。

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【写真上】善光寺門前到着、参道から仁王門を望む。
善光寺さんを参詣するのも四年振り二度目。
白馬方面を筆頭に戸隠や妙高等、長野には年10回以上滑りに来るのですが、所謂フツーの「観光」で訪れる事は殆ど有りません。
矢張り私めにとっては「長野=スキー」だったり致します。

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【写真上】参道.仲見世通りから山門を望む。
夏休みに入ったとは云え矢張り平日(7/29.木曜)、観光客の姿も疎らでした。

善光寺は無宗派の単立寺院ですが、「本坊.大勧進」は天台宗山門派の大本山、「大本願」が浄土宗鎮西派の大本山。
従い両派との関係は深いものの、密教「大本山寺院」的な威圧感は全く致しません。
寧ろ境内の雰囲気は民間信仰の色合いが強く、その辺は「浄土宗的」な影響のものかと思われます。

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【写真上】山門一写(重文)。
1750年(寛延3)年の造営、入母屋造.栩葺、五間三戸.二階二重門。
江戸初~中期に良く見られる和様.禅宗様の折衷様。
規模の割に木柄が細く、高いシルエットとなっています。

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【写真上】山門近景。
両脇の縦板壁花頭窓、隅反軒、通肘木を入れた三手先詰組等、柱上の弓欄間装飾など、特に禅宗的要素が色濃く現れています。

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【写真上】山門より本堂を望む。
それにしても「暑い…」。
トーキョーに較べれはマシですが、それでも軽く30℃超え。
長野市街はもーちょい涼しいかと思ってたのですがね…。

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【写真左】本堂(国宝)。
宝永4年(1707)の造営、入母屋造.単層裳腰付.檜皮葺、桁十四間.梁五間(妻入)。
屋根部 両側面:入母屋破風付。
裳腰部 正面:向拝三間、軒唐破風付。
両側面:向拝一間。

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【写真上】側面より、本堂を眺む。
やっぱり撞木造はこの構図の方が、特徴を良く見て取れます。

「撞木造」の外見的な特徴は、妻側に対して極端に奥行きが長く、棟がT字型に見える(実際は長方形)事が挙げられます。
一般寺院の本堂(仏殿)と講堂(法堂)を「外陣.内陣」「内々陣」と云う形で一体化、加えて内陣を信徒参籠の場として多く取る為、などが特殊な形を成している要因。
ま、要するに「足し算」に「足し算」を加えた本堂建築様式、と云う事です。

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【写真上】本堂前側部.近景。
向拝の附されている平入部柱間が、外陣と内陣の境界。
正面一間に吹き抜けを置いて内部四間を外陣、次の五間を内陣、更に奥三間を内々陣とする空間構成。
古典的な密教本堂では無く、庶民信仰要素の強くなる江戸期の時代的特色を良く現した構造となっています。

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【写真上】本堂後側部.近景。
屋根には棟の両側面に入母屋破風が設けられており、撞木の形を現しています。
内々陣の左脇部には、瑠璃壇を設けて本尊安置の間とされています。

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【写真上】境外後方より見遣る、本堂。
真後ろからだと、一般的な方五間の禅宗仏殿にしか見えません。

正面に対して極端に奥行きが深い本堂は同じ撞木造となる甲斐善光寺の外に、上田の信濃国分寺、塩山の向嶽寺などにも近似の構造が見られます。
外見的にも同じ単層裳階付で、信濃地方寺院本堂の地域的特色と考えられます。

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【写真上】参詣の後はアルピコさんで一路戸隠へ。
と、こんな感じの善光寺、駆け足参拝。
この後はバスに揺られてる事約一時間、宝光社前で下車。
戸隠五社のうち三社を巡った後、宿に向かうのでした。
つづく。

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2014.10.21

●「大町アルプス走」後.安曇野ポタリング②

えー、先日参加「第31回大町アルプスマラソン」のおまけ篇その②。
レース後は愛車ミニベロ「TERN VERGE P18」にて、秋晴れの安曇平をポタリング。
大町温泉郷で湯治の後、若一王子神社から仁科御厨.盛連寺へと向かいました。

そんな訳での「安曇平.自転車紀行」続篇で御座います。

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【写真上】観音橋より望む、爺と鹿島槍。
若一王子神社から大町市街を右折、大会コース前半部へ。
観音橋からの両山眺めは、橋に刻まれているレリーフ通りのシルエットです。

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【写真上】大町マラソン.4㎞地点。
306号線を直進左折、大町総合公園前より大会コースを走ります。
人影は全く見えれず、たま~に車が通る程度。
ほんの数時間前迄3800人のランナーが走っていたとは思えない静けさ、何だか「祭の後」ってのを実感してしまいました。

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【写真上】清水集落、野焼き風景。
幾重にも連なる蒼山影、一面に広がる刈稲田、あちこちより棚引く野焼きの煙。
日本の原風景とも云える、晩秋の山村景趣です。

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【写真上】大町マラソン.7㎞地点。
この先の国営公園入口を左折、496号線に入ります。

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【写真上】八王子.五社神社の前にて、北西の眺望。
爺.鹿島槍に五龍.白馬三山の見晴らし。
鍬ノ峰の尾根筋に隠れて蓮華岳は見えなくなってしまいました。

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【写真上】8.13㎞の折り返し地点。
大会コースとは此処でお別れ。
このまま直進、安曇沓掛駅を通り越し334号線を池田町方面へ直進します。

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【写真上】宮本橋を渡り51号交差点の手前より。
相変わらずのスーパービュー、ビューティフルパノラマ。
鍬ノ峰を中央に左手には唐沢岳~餓鬼岳と続く稜線。
左の蓮華.爺.鹿島槍はあんなに小っちゃくなってしまいました。

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【写真上】同.爺.鹿島槍より続く、白馬連峰の眺望。
写真では解り難いですが、唐松.白馬三山は薄らと白化粧。
その奥の小蓮華岳.乗鞍岳の山容迄がはっきりと覗えました。

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【写真上】社集落の上り坂を越え、仁科神明宮へ。
この日二ヶ所目の立ち寄り所処、2011年以来三年振りに訪れました。

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【写真上】社殿二棟(共に国宝)。
(右)中門:寛永13年(1636)造営 四脚門.切妻造、檜皮葺。
(中)釣屋:寛永13年(1636)造営(附.本殿.中門)。
(左)本殿:寛永13年(1636)造営 桁行三間.梁間二間、神明造、檜皮葺。

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【写真上】本殿近景。
尚、仁科神明宮に関しては三年前に解説述べてますので、今回は記述パス。
詳細はコチラにて。↓
http://bamboo-bar.air-nifty.com/blog/2011/10/post-5b2f.html

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【写真上】仁科御厨より1.3㎞北西に移動、盛連寺へ。
この日三ヶ所目の立ち寄り所処。

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【写真上】正面より見る観音堂。(重文)
文明3(1470)年建立 方三間 寄棟造 銅板葺。
元来茅葺だけあって軒出が大きく、縁束を兼ねた軒柱で四囲を囲っています。
軒組は一重繁垂木、柱間装置も正面中央桟唐戸、戸口部以外は縦板壁と至って素朴な造りとなっています。
建築資材は建立時のものを多く残しており、建物自体の保存状態は極めて良好。

尚、近隣の「若一王子神社.観音堂(妻入)」と同じく、棟上に短い箱棟を載せた寄棟造としており、一見宝形造と見間違う様な屋根形状を持っています。
箱棟本来の設置意味合いは茅葺頂部と棟木の保護ですが、大きさからして装飾的要素が強いものと思われます。
この点に関しては地域的な特色と云えるものかも知れません。

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【写真上】同.斜め側より。
しかし如何せん惜しまれるのが屋根。
昭和40年の解体改修時に、茅葺から現状の銅板葺に替えられました。
その所為で草葺の持つ屋根の起りや柔らかい外観が失われてしまい、趣を殺ぐものとなってしまってます。
葺替えの手間暇や予算を考えると仕方無いのでしょうが、同市近隣の若一王子神社観音堂は茅葺を維持しており、その辺上手く協同して維持出来なかったのかと。

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【写真上】51号線を南下。
御覧の様な開放感溢れる、快適下りロード。
一点透視的な直線道路、右手に北アルプスを眺めつつのポタが続きます。

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【写真上】池田町~松川村間より、北西の山景。
中央手前の前衛は鍬ノ峰、左に伸びた稜線の頂が餓鬼岳.東餓鬼岳。

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【写真上】同.真西の山景は常念山脈の前衛群。
手前より、雨引山.唐沢山.清水岳と幾重にも重なる稜線の右奥には餓鬼岳。
中央二つに別れるピーク(実は3つ)は「安曇富士」有明山。

この時点で時刻は15時半、以降は西日全開の時間帯です。
うーん、如何やら有明.常念山方面の撮影は無理っぽくなってきました。

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【写真上】16:10、ポタリング終了。
当初は豊科か穂高迄行くだったのですが、時間がミョーに中途半端です。
時計を見ると予定の一本前の電車に乗れそうなので細野駅にてフィニッシュ。
愛機を輪行袋に詰め込んで撤収する事と致しました。

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【写真上】細野駅ホームにて。
ローカル風情漂う無人の単線路、ホームも一本しかありません。
気付けば山の端がほんのり橙に染まる時間帯となっていました。

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【写真上】安曇平最後の一枚は、日没間近の安曇富士。
丁度有明山の真横に太陽が沈む所処、カメラを向けてもこんなのしか撮れません。
やっぱり北アルプス(特に御立山連峰以南)の撮影は午前中に限りますね。
それにしても西日が眩チイ…。

そんな訳で走行距離34.4㎞、約三時間半の「安曇平ポタリング」も終了。
この後は松本の飲み屋にて打ち上げ夕餉、19:20の「あずさ」にてトーキョー帰路に着いたのでした。
おしまい。

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●「大町アルプス走」後.安曇野ポタリング①

えー、先日参加「第31回大町アルプスマラソン」のおまけ篇になります。

レースを終えた後は愛車ミニベロ「TERN VERGE P18」の出番。
当初の予定通り、秋晴れの安曇平を「古寺社巡礼ポタリング」する事と致しました。

このプラン、実は昨年も組んでいたのですが豪雨に流されおじゃん。
そんな訳で二年越しの自転車散策、大町アルプス「拾遺集」で御座います。

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【写真上】ゴール前2㎞地点より望む、爺ヶ岳と鹿島槍。
時刻は12:15、フルマラソンの部はこれからがゴールラッシュの時間帯。
会場の大町運動公園からマラソンコース沿いにサークルKを右折、先ずは大町温泉郷を目指します。

因みに今年は大会直前に観音寺周辺で熊が出没したらしく、熊鈴が無料配布。
「チリンチリン」と音を立てて走るランナーが多く見受けられました。
まぁこの大集団ですから、熊も寄ってこないでしょうけどね。

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【写真上】蓮華大橋より望む北アルプス.後立山連峰。
蓮華.爺.鹿島槍は勿論、五龍や白馬三山迄がクリアに見張らせます。
本当に壮大なパノラマ、最高の山景日和。

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【写真上】爺と鹿島槍。
大町市街からの山容眺望は、矢張りこの二峰が別格の美しさ。
蓮華大橋を渡って左折、久保~平地域を走る幹線道路を直進します。

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【写真上】正面に蓮華岳のスーパービューを眺めつつのポタリング
派手さは無いものの、どっしり重厚な山姿です。

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【写真上】続いては爺ヶ岳。
道路を進むにつれ、眼前の山々がスライドショーの様に変わって行きます。

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【写真上】今度は鹿島槍ヶ岳。
大町ならではの山景眺望、聳え立つ名山を楽しみつつの快適ポタ。

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【写真上】県道45号線に近づくと、今度は西側の眺望が一気に開けます。
刈入を終えた土田が視界の一面に。
奥の三つコブ稜線は左より霊松寺山.鷹狩山.南鷹狩山。
北アルプスの険峻群に較べると「小丘」に見えますが、何れも1100m級の山々です。

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【写真上】大町温泉郷.入口。
大町運動公園から5.2㎞、物見遊山がてらのんびり扱いで30分弱でした。

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【写真上】薬師の湯に到着。
時刻は12:40、未だランナーの姿もチラホラ程度です。
お陰で混雑も少なく、ゆっくりと湯治♨を満喫出来ました。

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【写真上】13:45.大町温泉郷を出立、県道45号線を北大町方面に進みます。
一見快適な直線舗装道も、歩道側のアスファルトにはひび割れがチラホラ散見。
ロードレーサーでかっ飛ばすには、チト怖い道路コンディションですかね。

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【写真上】鷹狩山がどんどんと近くに。
この後国道148号線を右折、北大町市街地に入ります。

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【写真上】若一王子神社。
この日一ヶ所目のポタリング立ち寄り所処。
いかにも「村の鎮守様」とした、鄙びた趣の郷社です。

朱塗りの鳥居向こうには三重塔と観音堂が立ち並ぶ、違和感のある境内風景。
元来は「若一王寺/若一王子権現」として祀られていた神仏習合社で、その名残を色濃く留めている点で貴重な史跡と云えるでしょう。
安政(1855)の境内絵図と比較して本殿.堂宇の配置も変わっておらず、明治期の神仏分離/廃仏毀釈の破却を免れた事が窺えます。

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【写真上】三重塔(県宝)。
宝永8年(1711)建立 方三間 三重塔婆 柿葺 
・柱間/中央間:棧唐戸  脇間:連子窓
・組物/三手先  ・軒組/二軒繁垂木
・中備 初重:蟇股 上重:何れも間斗束  

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【写真上】同.正面より。
二重垂木.三手先の素木造と、オーソドックスな塔婆建築。
外観.構造共に、ほぼ純和様の建築様式です。
最大の特徴は三重塔婆でありながら初重中備に蟇股を用いている点、及び蟇股内部に衣冠束帯の十二支彫刻(人身獣面)を施している事。
まぁ江戸建築意匠の一典型、個人的に蛇足感は否めませんが装飾過多にはならず素朴さを保っている点では好感が持てます。

江戸期の塔婆建築としては珍しく瓦葺では無く杮葺を用いてますが、これは単に地域的な事情として、材料が豊富にあった事が理由と考えられます。

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【写真上】組物近景。
軒出や反りの浅さ、各層逓減率の少なさは近世建立塔婆のそれですが、鈍重になりがちな江戸期建立の塔婆としてはバランスの取れたプロポーション。
この点に就いては杮葺とした屋根の軽快感が大きく寄与しています。
軒反りに就いては技巧的な面で仕方無いのでしょうが、初.二重目の軒出がもう少し長ければ更に均整の取れた塔姿となったでしょう。

甲信周辺の代表的な塔婆建造物として真っ先に思い出されるのは上田/別所地域の四塔婆。
それらの技術的な影響有無は不明ですが、地方山村の寺院建築としては水準の高さを感じる事が出来る遺構です。

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【写真上】観音堂(県宝)。
宝永3(1706)年建立 方三間.一間向拝附. 寄棟造(妻入) 茅葺(向拝.柿葺)。
建築様式的にも堂宇性格的にも、全くの寺院建造物。
三重塔と共に、権現社(習合社)であった事を示す顕著なものです。
拝殿とは廊下で繋がっている珍しい形式、この点に就いては釣屋等の神社的性格を持っています。

中小の山村寺院堂宇(特に甲信越)には良く見られる草葺。
理由としては三重塔同様、材料入手のし易さに由るものと考えられます。
それが「むくり」を帯びた柔らかい屋根形状を可能にし、茅葺独特の優しい雰囲気を醸し出しています。

他特徴としては、棟上に極めて短い箱棟を載せた寄棟造としており、一見宝形造と見間違う様な屋根形状を持っています。
近くの盛連寺観音堂も同じ形式で、地域的な特色と云えるものかも知れません。

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【写真上】観音堂.軒下近景。
蟇股や向拝虹梁、他には釘隠等にも装飾彫刻が施されています。
但しこれ等の彫刻は向拝下に集中しており、向拝自体が後年附設されたと考えるのが妥当なのでしょう。
正直、観音堂の美観的にも向拝は蛇足感が否めません。

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【写真上】瑞垣越しに見る本殿(重文)。
弘治2(1556)年建立 一間社 隅木入春日造 檜皮葺
全国各地で見られる、普遍的な一間社隅木入春日造。

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【写真上】同.近景。
室町末期の建立も承応3(1654)年に大修理が行われており、その際の影響が色濃く窺えます。
蛙股内部や弓木の彫刻、そして幾重にも設けられた装飾拳鼻はその顕著なもの。
江戸様式の典型とも云えるものです。

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【写真上】おまけ、拝殿前に掲げられていた厄除け祈祷の案内板。
うーん、如何やら今年の私めは「八方塞がり」らしく…。
ま、あと二カ月半だからテケトーに凌げるでしょう。

と、こんな感じの安曇平ポタリング紀行.前篇。
この後は大町マラソンのコース前半部から仁科御厨.盛連寺を経て、穂高方面に進むのでした。
つづく。

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2012.01.21

●法華寺から「海龍王寺」へ

えー、正月帰京の後日談。
1月8日は「平城京新春マラソン」に参加した際の事。
正午前にレース完走、西大寺北口の喫茶店で「お茶」した後は佐保路を東進。
法華寺町周辺の古刹を巡って参りました。

そんな訳での「南都.北一条巡礼」その三、「海龍王寺篇」になります。

1
【写真上】西金堂。(重文)
奈良時代(8c中)建立、桁行三間.梁間二間、一重.切妻造、本瓦葺。
約27㎡の小規模金堂ではあるが、数少ない天平期金堂建造物として貴重な遺構。
惜しむらくは鎌倉期に於ける改修で大幅に手が加えられ、創建時の姿は可也損なわれており、組物.軸部.柱間装置等の主要部材は殆どが後補に由るものである。
但し堂宇規模と基本的な形状の変更は無く、壇上積の基壇や緩勾配の屋根から上代の金堂建築様式を窺う事が出来る。

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【写真上】同.側面より。
二重虹梁蟇股の架橋は天平建築の典型。
しかし旧例を踏襲してはいるものの、これも鎌倉期の改修に由るもの。
虹梁が全体的に水平になっている点と貫材が追補されている事により、本来持っていた軽快な感じはやや損なわれている。

2
【写真上】同.近景。
組物は平三斗も、三斗の高さが中世様式の低いものとなっている。
「頭貫の木鼻」「板扉軸部の藁座」「軒先の鼻隠板」も大仏様の手法で鎌倉期の補修に由るもの、大型の連子窓も後補造作である。
亦、軸部横材も長押では無く貫で構成されており、創建時の意匠を窺い知る事は出来無い。

尚、明治期迄は本堂を挟み東面して東金堂があったが、明治初期に廃仏毀釈運動の余波を受け失われた。

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【写真上】五重小塔。(国宝)
天平時代初期(8c前半)建立、三間五重塔婆、本瓦形板葺、塔高4.01m。
西金堂内に安置されており、天平期唯一の五重塔遺構。
同時期塔婆としても薬師寺東塔と並び二例しか現存しておらず、上代建築手法の進化過程を知る上で重要な遺例である。

相輪迄の塔高が約4m(基壇除く)、実物の1/10寸法で造られている。
但し台輪から上部を箱造りとし、組物や軒廻りは外から張り付ける形式で内部構造や各層板扉は省略されている。
この点から、実寸建築の雛形模型としてでは無く、実物塔の代用として室内奉祀目的に造られたものと考えられ、従い金堂自体が覆堂としての性格を持っていたと云える。

Photo_2【図面左】図面比較。
上記の様に工芸品的性格の小塔と云う事から、柱間割付や組物間隔など構造上の問題は無視出来るので、塔婆全体のバランスは完璧に近い。
加えて真反りに近い屋根形状と深い軒出が一段と安定感を増して見せる。

因みに平面逓減率は0.45と薬師寺東塔(0.41)に次ぐ大きさで、全体的なプロポーションも近似しているが、組物の収まりに然程の無理詰感が無い点や、最上層を三間としている点は前述理由に由るものである。

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【写真上】同.近景二写。
斗栱は元より、腰組跳高欄に軒廻りの地円飛角、屋根の隅棟.稚児棟に至る迄、精巧に造形されている。
組物は支輪桁の無い初期三手先で薬師寺東塔に近い様式だが、二段目肘木上に中巻斗が加えられており、その配置は秩然とした整いを見せる。
亦、肘木の舌も消えており、原始的三手先からの発展過程が窺える。

因みに薬師寺東塔に初めて見られる三手先組物は、海龍王寺五重小塔を経て唐招提寺に於いて一応の完成を見、更に當麻寺東塔.元興寺五重小塔から平安期にかけて整備されていく。

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【写真上】本堂。(市指定)
江戸前期(17c前中盤)建立、桁行五間.梁間四間、一重.入母屋造、本瓦葺。
嘗ての中金堂跡に位置する。
組物.軸部等構造上の手法は折衷様からなるも、西金堂.経蔵との調和を考えてか全体的には和様の色合いが強い。
内部の平面構成も三間二間の主屋に庇を廻す古代的なものだが、中央を内陣、周囲を外陣.脇陣とする中世密教本堂形式となっている。
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【写真上】経蔵。(重文)
正応元年(1288)建立 桁行三間.梁間二間、一重.寄棟造、本瓦葺。
軸部や組物等の様式は西金堂と酷似しており、改修の同時期かやや下っての造営と思われる。
構造は三間二間の一般的経蔵であるが、寄棟.高床式の外観形状は唐招提寺や東大寺の校倉造経蔵を想起させるものがあり、それ等を範としたのかも知れない。

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【写真上】同.近景。
頭貫木鼻は大仏様、出三斗には肘木や笹繰に珍しく禅宗様の影響が伺える。
基本的には簡素な構造で好感が持てるが、上代のものと較べると木割の細さや貫材の煩わしさが目に付き、明朗且つ力強い建築美は失われてしまっている。

と、こんな所処にて。
この後は一条通りを更に東進、「不退寺」へと向かったのでした。

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2012.01.20

●平城宮跡から「法華寺」へ

えー、正月帰京の後日談。
1月8日は「平城京新春マラソン」に参加した際の事。
正午前にレース完走、西大寺北口の喫茶店で「お茶」した後は佐保路を東進。
法華寺町周辺の古刹を巡って参りました。

そんな訳での「南都.北一条巡礼」その二、「法華寺篇」になります。

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【写真上】法華寺.南門。(重文)
慶長年間(1596~1615)建立、四脚門、切妻造.本瓦葺。
桃山期に類例の多い一般的な四脚門、同寺の正門に当たる。
中央の蓑束や蟇股、木鼻付虹梁の様式は同時代の特徴を良く現している。

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【写真上】本堂二写。(重文)
慶長6年(1601)建立、桁行七間.梁間四間、一重.寄棟造、本瓦葺。
概ね和様、桃山様式に則って再建されているが、同時期造営のものとしては保守的な部類の建造物。
当初は講堂として建てられた為、規模.構造共に本堂形式にはなっていない。
再建に当たっては鎌倉期部材(旧金堂.旧講堂)が一部再利用されている。

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【写真上】同.側面近景。
組物は出組、中備は間斗束、頭貫には大仏様木鼻。
尚、向拝下部の蟇股や手挟には、桃山期の典型的な彫刻装飾が見てとれる。

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7
【写真上】鐘楼二写。(重文)
慶長7年(1602)建立、桁行三間.梁間二間、袴腰付.入母屋造、本瓦葺。
袴腰付鐘楼は上層に縁.高欄を設けるのが通常だが、それが省かれた珍しいもので類例の無い遺構。
その為上下の均衡が悪く感じるが、楼高が低い為に然程気にはならない。

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【写真上】浴室。(県指定/重要有形民俗文化財)
明和3年(1766)建立、桁行二間.梁間三間、切妻造.妻入、桟瓦葺。
俗に「カラブロ」と呼ばれる蒸し風呂形式の湯屋施設、但し竃.湯釜等の内部構造は失われている。
江戸中期再建、加えて浴室と云う堂宇性格の為に禅宗様建築になっている。

と、こんな所処にて。
この後はお隣「海龍王寺」へと向かったのでした。

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2012.01.19

●西大寺から「秋篠寺」へ

えー、正月帰京の後日談、1月8日は「平城京新春マラソン」に参加した際の事。
受付からスタート迄、約2時間程の空き時間がありましたので、アップがてら秋篠寺へ足を運んで参りました。

そんな訳での「南都.北一条巡礼」その一、「秋篠寺篇」になります。

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【写真上】秋篠寺本堂(国宝)、全景三写。
鎌倉前期建立 桁行五間.梁間四間、一重.寄棟造、本瓦葺。
南都仏教寺院復興期に当たる鎌倉前期の再建、上代の金堂建築様式を良く伝える五間四面堂である。
「基壇は古代寺院通例の壇正積とし、床は板張りとせず土間とする」「屋根は寄棟とし、緩勾配で軽快な外観」「装飾的要素を持たない簡素な組物」「漆喰壁を基調とし、連子窓を配した柱間や内開きの板扉」等、極めて旧例を守っている。

素朴で簡素な中に上品さを併せ持っており、屋根勾配と棟長.大平のバランス、軒延びの美しさは特に秀逸である。

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【写真上】近景一写。
同期は奈良寺社の再建が数多く行われており、様式的には
①大仏様を主として建てられたもの。
②大仏様や平安期の住宅建築の要素を一部取り入れた新和様。
③新様式の受容を極力抑え、古式に則ったもの。
の三つに大別出来る。
前述の様に秋篠寺本堂は③の代表的遺例として貴重な建造物である。
尚、①には「東大寺南大門」「同.開山堂」、②には「元興時極楽坊本堂」「興福寺東院堂」等が挙げられる。

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【写真上】側面より。
造営当時は前面一間通りを吹き放ちにしていたとされ、唐招提寺金堂に見られる様な天平後期の仏殿様式に則っていたと思われる。
明治期の改修により現在の姿に改められた。

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【写真上】組物近景。
組物は平三斗、中備は間斗束、共に簡素なもので装飾意匠は全く無い。
側面板扉や連子窓の楣が貫になっているのは数少ない新様式の手法である。

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【写真上】おまけ一写、前庭東側の喫煙所。
天平情緒溢れる国宝本堂を眺めながら一服出来る、有難い場所。
山城.大和の御仏は、基本的に喫煙に寛容であられるのです。
そんな訳で小一時間の秋篠滞在。
この後は急ぎ平城宮跡に戻り、大会に参加したのでした。

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2012.01.18

●法界寺にて

えー、先日帰京の後日談。

新年を向かえ、三ヶ日は只管「飲んで」「食べて」「観て」「寝て」のグータラ三昧。
そんな「怠惰の日々」から脱却すべく、明け水曜日は一寸遠出をする事に。
お昼前より洛中を横断、山科の南は日野法界寺迄足を運んで参りました。

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【写真上】阿弥陀堂.(国宝)、全景二写。
鎌倉前期(13c前半)建立、桁行五間.梁間五間、一重裳階付、宝形造.檜皮葺。
13世紀前半の再建、中世浄土教.阿弥陀堂建築の代表的遺構。
方五間の四囲に一間通りの裳階を廻らし「方七間の重層」とも見えるその外観は、方三間が殆どの現存阿弥陀堂の中で最大規模を誇る。

建築様式的には「一間四面の宝形造」「檜皮葺」「屋根頂に宝珠露盤を置く」等、平安後期の阿弥陀堂様式に則って造営されているが、定法を踏襲しつつも平面構成や立面意匠はそれを発展.進化させたものとなっている。
中でも特に注目すべきは柱間.柱筋が四面其々に異なる点で、同時期仏堂として類例が少なく(愛媛.大宝寺等)非常に珍しい。
これにより前代の阿弥陀堂建造物に較べ、自由な平面構成を可能にすると共に、立面意匠に変化を与える大きな要因となっている。

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【写真上】同.正面中景と近景。
正面柱間は全て格子の蔀戸。
平安期邸宅建築の影響によるもので、同時期の本堂建築に類例が見られる。
裳階屋根の正面は中央を一段上げる跳ね上げ屋根形式。
平等院鳳凰堂や厳島神社にも見られる天平古式に則った手法である。

主屋.裳階共に、組物は平三斗.中備は間斗束。
肘木上に乗る三斗は平安期より可也低いものとなっており、様式の中世化が窺える。
亦、柱間が異なる為に同一線上に位置していないのが見てとれる。

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【写真上】東側面。
主屋の丸柱に対し裳階部には大面取の角柱を配する事により、吹き放ちの開放感も相俟って外観を一層軽快に見せる。
然程高さの無い堂宇にも関わらず、軸部(縦線)のメリハリが利いているのはこの手法に由るものである。

尚、廂下の吹き放ちは嘗て正面のみが吹き抜けで、側面と背面には小部屋(恐らく参篭用)が設けられていた痕跡が残っている。
側面の柱間装置が其々異なっている(西側.蔀戸.東側.引違戸)のは、これに起因すると思われる。
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【写真上】斜側面より近景。
基本的に組物や柱間装置に特筆すべき装飾性は無く、簡素な造りである。
にも関わらず阿弥陀堂としてのみならず、同時期建立の仏堂建造物としても群出した優雅な佇まいを醸しだしている。
「緩やかな檜皮屋根勾配」「軽快に差し上げられた裳階屋根」「正面柱間に施された蔀戸」「裳階下四方吹放ちの縁」…。
これら意匠要素を洗練されたバランス感覚で纏め上げた見識が、装飾技巧を上回っていると云える。
勿論それは、藤原氏を始めとする王朝貴族の審美眼があってこそのものである。

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【写真上】本堂(薬師堂)。(重文)
康正2年(1456)建立、桁行五間.梁間四間、一重.寄棟造、本瓦葺。
明治37年(1904)、大和斑鳩の伝燈寺本堂を移築したもの。
旧規に則った寄棟造屋根、柱間は板扉.連子窓とする等、外観は和様を主として造営されているが、擬宝珠付高欄の様式や屋根勾配から中世仏堂であることを窺わせる。

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【写真上】同.組物二写。
組物は出三斗、木鼻や藁座に禅宗様式の影響が見てとれる。
中備は両側面の板扉上にのみ板蟇股を配し、それ以外は全て間斗束。
蟇股の繰形や間斗束の斗絵様からは、南北朝以降の手法が確認出来る。

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【写真上】総門より境内を望む。
創建当初、法界寺には少なくとも四つの阿弥陀堂が寄進建立(中右記)されており、その他薬師堂.観音堂.塔婆等の諸堂宇が整備された壮大な伽藍群を誇っていた。
しかし御多分に漏れず、承久の兵火等で一山全焼。
その後鎌倉初期に再建したもので、唯一現存しているのが阿弥陀堂である。
従って阿弥陀堂建造物と対となる浄土式庭園は現在見る影も無く、境内南側に矮小な苑池が残るのみとなっている。

と、こんな所処にて。
この後は小一時間掛けて旧奈良街道をてくてく北上。
嘗ての寺領争いの仇敵、「醍醐寺」へと向かったのでした。

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2011.12.02

●「目白の森」にて

えー、昨日より「師走」で御座います。
果たして「暦に合せた」のかは扨不知、此処帝都でも冷え込み具合は「冬の入り」。
日中の最高気温も8℃止まりと、今季一番の寒さとなりました。

そんな「初冬の候」の夕間暮れ、私めはチャリンコを漕ぎ出して目白迄。
例に由っての思い付き、「椿山荘」の夜間庭園ライトアップへ出掛けて参りました。

0【写真左】椿山荘へのアプローチ。
折角なのでフォーシーズン側では無く、冠木門から訪れる事に。
金茶の土壁に行灯の燈し具合も中々と良い風情。
ほんの数十メートルだけですが、茶屋街の趣漂う神田川沿いで御座います。
因みに店暖簾は手前より「残草」「中庵」「木春堂」。

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【写真上】庭園内、ライトアップ風景三写。
照明灯の光色が少々「毒々しい」ワインレッド。
お蔭で「紅葉の赤」なのか「電灯色の赤」なのか、サッパリ解りません。
行き過ぎた「演出装置」は何事に付けても宜しくないものでして。

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【写真上】苑内.露地風景。
街路灯はこの程度、「やや控え目」な位が丁度良い塩梅です。
尚、当日は折からの冷え込みに加え、小雨が振ったり止んだりの空模様。
当然の如く、庭園内「全くの貸切」で御座いました。

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【写真上】三重塔。(登録有形文化財)
「旧寛永寺五重塔」「池上本門寺五重塔」と並び、東京に現存する三古塔の一つ。
建立年代は上記塔のみならず、都心古建築の中でも尤も古いもの。
園内を見下ろす小高い丘上に建っております。

此処にも赤いスポットライトが投射、紅葉との色区別が全くつきません。
因みに同塔は昨年11月より半年間、改修工事により屋根瓦の葺き替え等が行われており、つい先日落慶式典が終わった計り。

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【写真上】同.近景二写。
室町後期(16C中後半)建立、三間三重塔婆、銅板瓦葺、塔高18.5m。
初重柱間:中央間.棧唐戸、脇間.連子窓。
組物:各重三手先、中備.一重二重間斗束.三重無し。 
軒組.各重二軒繁垂木。

一辺2.95mと細身で小振りな三重塔。
広島県竹林寺の塔婆を大正14年に解体移築したもので室町末期の遺構、新しくとも江戸初期は下らないと思われる。
上記の様に可也小型塔ではあるが、木割は規模に対して太く力強さを感じさせる。
様式は和様の外観を基調に、軸部や木鼻装飾等に禅宗様を加味した折衷様。
各重逓減、屋根軒反りは少ない。

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【写真上】三重塔よりフォーシーズンホテルを眺む。
塔姿を陰翳にした構図は、夜の方が映えるものです。

そんな訳で小一時間程の「椿山荘」滞在。
時計の針も午後六時を廻り、寒さも増してきたので帰路に着く事と致しました。
因みに自宅中野坂上からの距離は約6.5㎞、チャリンコで片道約20分です。
いゃあ、意外と近いものでして。

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